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ミケロッティによる唯一のコンバーチブル

2023年5月。戦前戦後のクラシックカーが、グレートブリテン島の古い飛行場へ集まった。ロンドン・ケンジントンに拠点を置くカーディーラー、グレガー・フィスケン社が開催したイベントは、さながら、英国紳士のおもちゃ箱といった様相になった。

【画像】ミケロッティ・コンバーチブル フェラーリ166/195S インター 同時期のモデルと250 GTEも 全140枚

フォードGT40にジャガーCタイプ、アルファ・ロメオ8C、タルボラーゴのグランプリカー。お宝ばかりで、どれから見ていいのかわからない。今どこにいるのか、忘れてしまいそうになる。


フェラーリ166/195 インター・コンバーチブル(1951年/欧州仕様)

そんな興奮高まる会場から、英国編集部は極めて貴重な1台へ目を付けた。落ち着いたダークブルーに塗られたボディが包む、シャシー番号は0051S。見事な曲線美と格子状のフロントグリルは、クラシック・フェラーリのトレードマークといっていい。

フロントフェンダーには、Vのロゴがあしらわれている。若干調和していないコンバーチブル・ボディは、ジョヴァンニ・ミケロッティ氏が所属していたヴィニャーレ社による作品だと、ひっそり主張するように。

166 インターのオリジナルとなるクーペボディは、カロッツエリア・トゥーリング社がスタイリングを手掛けた。だが、こちらは小さなオープン2シーター。取材を申し出ると、ロンドンの西にあるロートン飛行場まで撮影用に手配していただいた。

初期のフェラーリのアイデンティティを構築

トリノのヴィニャーレ社とミラノのカロッツエリア・トゥーリング社は、初期のフェラーリのビジュアル・アイデンティティを構築する重要な役割を果たした。1950年代後半に、ピニンファリーナ社と正式に契約が結ばれるまで。

このフェラーリには肉厚なレザーシートが載り、ダッシュボードにはクロームリングのメーターが並ぶ。イタリアの公道レース、ミッレミリアでの勝利を念頭にデザインされたわけではないものの、フロントバンパーは備わらず、凛々しい佇まいにある。


フェラーリ166/195 インター・コンバーチブル(1951年/欧州仕様)

V12エンジンから後方へ伸びる、エグゾースト・パイプの取り回しに苦労しているのがわかる。ホイールベースは、小柄なMG Tタイプより短い2250mm。ドラムブレーキを包むボラーニ社製のワイヤーホイールが、相対的に大きく見える。

ボディの下を覗くと、2本の楕円形パイプからなるチューブラーシャシー構造が見える。その間に、アルミ製のディファレンシャルケースがぶら下がる。

リア・サスペンションは、リーフスプリングにリジッドアクスル。フロント側は、当時のフィアットのような不等長ウィッシュボーンと、横向きに配置されたリーフスプリングという組み合わせ。

足まわりの洗練度は、決して高くない。繊細な操縦性より、耐久性が重視されている。

納車後すぐに195 S用V型12気筒へ換装

1950年代に作られたフェラーリは、波乱万丈な生涯を歩んできた例が多い。興味深い歴史を、優雅なボディに秘めている。それでも、1台のみが作られたヴィニャーレ・ボディのコンバーチブルほど、紆余曲折を経てきた例は限られるはず。

初代オーナーは、1949年のミッレミリアへフェラーリ166 バルケッタで出場し34位で完走した、プライベート・レーサーのジョバンニ・ヴァッカリ氏。彼に関して残された情報は限定的だが、フェラーリを強く支持した1人ではあった。


フェラーリ166/195 インター・コンバーチブル(1951年/欧州仕様)

1953年には、ピニンファリーナ・ボディの250 MMもオーダーしている。裕福なイタリア紳士だったようだが、豊かな財力を何から得ていたのかはわかっていない。

少なくとも、フェラーリが1950年7月に0051S番のシャシーを完成させ、トリノのヴィニャーレ社へ引き渡したことは記録にある。ヴァッカリが、クルマの代金として215万リラを支払ったことも。

1950年12月、ヴィニャーレ・ボディのフェラーリ166 インター・クーペが完成。MI-161860のナンバーで登録された。このデザインのボディは、約10台に与えられたと考えられている。

ところが、ヴァッカリは納車後すぐに166 インター・クーペをマラネロに返送。フェラーリ195 Sが積む、V型12気筒2341ccエンジンへ載せ替えるように頼んでいる。

この195 Sは、1950年のみに作られた短命なスポーツ・レーシングカー。1951年の195 インターではシングル・キャブレターになっていたが、Sではトリプル・キャブレターを積み、圧縮比が高く、最高出力は100psから170psへ上昇していた。

ルーフの切断以上のデザイン的な変更

さらに彼は、クーペボディをコンバーチブルへコンバージョンするため、エンジンが換装された166/195S インターをヴィニャーレ社へ搬送。職人たちは、ルーフを切断する以上のデザイン的な変更を施した。

フロントグリルの形状が改められ、ボンネットに開けられていたスリムなエアインテークは滑らかに埋められた。現在は残っていないが、フロントフェンダー後方には小さなエアアウトレットも並べられた。


フェラーリ166/195 インター・コンバーチブル(1951年/欧州仕様)

1951年に、166/195S インター・コンバーチブルが完成。しばらくスイスで乗られ、1960年代にアメリカへ渡っている。

オーナーの変遷などは不明ながら、最終的にはテキサス州オースティンに流れ着いたようだ。帰還した空軍の兵士が購入し、自宅へ運んだ可能性が高い。

高校生の頃からAUTOCARの読者だったというデイビッド・スミス氏は、この166/195 インター・コンバーチブルにオースティンで出会っている。「高校生の頃、銀行の地下駐車場でグレーに塗られたフェラーリのカブリオレを発見したんですよ」

「鉄柵の向こう側に停められていて、もちろん保管されている理由は知りませんでした。高校を卒業した自分は、レイモンド・アッターさんが営むオースティンのディーラーへ就職。彼に、そのクルマの情報を伝えたんです」

「アッターさんはフェラーリをオークションで落札し、干し草を運ぶようなワゴンに載せて持ち帰ってきました。フェラーリは赤であるべきだと彼は考えていて、レストアを兼ねてボディは再塗装されました」

この続きは後編にて。