理由はさまざま!サッカー界の「永久欠番」

写真拡大

輝かしい偉業を成し遂げた選手にだけ許される「永久欠番」。

プロ野球の世界では先日、広島カープが今季限りでユニフォームを脱いだ黒田博樹投手の「15番」を永久欠番とすることを発表したが、もちろんサッカー界にも数え切れないほどの永久欠番が存在する。

今回はそんな「永久欠番」にまつわるエトセトラをご紹介しよう。

ちょっと変わった理由のパターン

3番:パオロ・マルディーニ(ミラン)

チェーザレとパオロ、2代に渡ってACミランに大きな貢献をしたレジェンド、マルディーニ親子。2009年に現役を離れて以降、パオロが着けていた3番は誰にも与えられていない。

しかし、これは正式には「永久欠番」ではない。フランコ・バレージの6番とは違い、どちらかと言えば「予約されている」と言った方が正しい。つまり、パオロの息子がミランに入団した場合、この番号を付けることが決まっているのだ。

パオロの息子に当たるクリスティアン・マルディーニは20歳。ミランの下部組織に所属していたものの、その後退団・現在はレッジアーナからレンタルでマルタのハムルン・スパルタンズに所属しており、やや望みは薄くなった。

しかし、次男のダニエル・マルディーニはまだミランの下部組織に所属しており、「高い才能を備える」と評価されている。ただ、ダニエルはストライカーなので、もしトップチームに上がれば「3番の点取り屋」が生まれることになるわけで…。

17番:坂田道孝(サガン鳥栖)

日本で最も珍しい理由で「永久欠番」があるクラブと言えば、サガン鳥栖だろう。与えられているのは元選手ではない。佐賀県サッカー協会の理事長として、PJMフューチャーズの受け入れ、解散後の再生に尽力した坂田道孝氏だ。

坂田氏はサガン鳥栖の運営委員も務めるなど九州のサッカー界に深く関わってきたものの、腎臓がんのため2000年に死去。54歳でこの世を去った。

その命日が1月7日だったことからクラブはそれに因んだ17番を、Jリーグ初の永久欠番に制定。また、当時はベンチ入りが5人までだったことから、先発と控えを除く「17番目の選手」としてサポーター番号の意味合いも持つことになった。

17番:マッシモ・チェリーノ(リーズ・ユナイテッド)

そして、同じように17を欠番としているクラブが、イングランドの名門リーズ・ユナイテッドだ。それを与えられているのが、マッシモ・チェリーノ会長である。 

ただ、その理由はサガン鳥栖とは全く逆と言ってもいい。2014年にカリアリからリーズへとやってきたイタリア人のチェリーノ会長は、その犯罪歴からオーナー資格を疑問視されたことを初めとしてトラブルだらけ。監督もコロコロ変え、もうサポーターからは完全にそっぽを向かれている。

17はローマ数字でXVII。アナグラムするとVIXI。これはラテン語で「死んだ」という意味になり、イタリアでは忌み数として扱われる。サポーターがチェリーノ会長にそれを与えたということで、意味は誰にでも分かる話である。

サポーターのパターン

日本にも「永久欠番」を持つサッカークラブは複数存在する。ただ、それらよりも馴染み深い“欠番”がJリーグでは定着している。そう、12番だ。

Jリーグの創設とともに広がったサポーターという存在。彼らの後押しに敬意や感謝を表し、現在ではほとんどのJクラブが「12番目の選手」、12番をサポーター番号として欠番にしている。唯一、12番以外をサポーター番号としているのが前述したサガン鳥栖だ。

なお、サポーター番号は日本だけではなく、欧州でも同様の理由で12番を欠番にしているクラブがある。小野伸二や宮市亮がプレーしたオランダのフェイエノールトなどはその代表的な存在だ。

ちょっと変わった背番号のパターン

やや規定の緩い中南米などでは特殊なものや大きな番号が永久欠番とされているケースがある(欠番にしなくてもほぼ誰も使用しない気もするが…)。

01番:ロジェリオ・セニ(サンパウロ)

世界屈指の「FK職人」と知られた元ブラジル代表GKロジェリオ・セニ。彼は20年以上所属した名門サンパウロでGKとしては歴代最多となる131ゴールを決め、ギネス記録にも認定された。

そんな彼が着用していたのは「01番」!サッカーの正GKは「1番」を着けるのが通例となっているが、そんじょそこらのFW以上に高い得点力を誇った彼は、フィールドプレイヤーのエースナンバーである10番を逆さにして「01番」にしてしまったのだ。

意外にも使い始めたのは2007年とキャリアの晩年であり、契約していたリーボックのマーケティング目的でもあったのだとか。それでもこのアイディアが、彼を「ナンバーワン」にして「オンリーワン」な存在にするのに役立ったことは間違いない。

110番:アンドレス・チティバ(パチューカ)

小柄ながら左利きらしい感性と高いテクニック、機敏さが魅力だったコロンビア人MFのチティバ。代表には定着できなかったが、メキシコの地で長く活躍した。

なかでもパチューカ時代には国内外で数多くのタイトルを獲得し、同国最古と言われるクラブに黄金期をもたらしたことで象徴あるいはアイドル的な存在となっている。

彼は2008年に一度クラブを退団したが、引退直前の2011年に復帰。この時クラブはちょうど創設110周年を迎えていたため、彼は最後の試合に「110番」のユニフォームを着て出場した。110番を着用したのはその時の8分間だけだったが、クラブは彼の偉業に敬意を表し永久欠番としたようだ。

スーパースターのパターン

サッカー界にその名を刻むレジェンドたちの永久番号はまさに彼ら自身を象徴するようなものだ。インテルの4番といえばサネッティであるし、ナポリの10番といえばマラドーナ以外は考えられないだろう。そして、クライフの14番。非固定制だった当時、彼はそれまで9番を着けることが多かった。だが、ある試合で背番号をなくした同僚に9番を渡し、その代わりに手にとってのがたまたま14番だったそう。

4番:ハビエル・サネッティ(インテル)
6番:ボビー・ムーア(ウェストハム)
6番:フランコ・バレージ(ミラン)
10番:ディエゴ・マラドーナ(ナポリ)
10番:フェレンツ・プスカシュ(ブダペシュト・ホンヴェード)
14番:クライフ(アヤックス)
など

そのなかで、プレミアリーグでの永久欠番は珍しい。ボビー・ムーアはイングランドにとってそれほど偉大なのだ。

イングランド代表のキャプテンとして、1966年W杯優勝に貢献するなど伝説的ディフェンダーだったムーア。彼は、そのキャリアのほとんどをウェストハムに捧げた。弱冠17歳でハマーズにデビューすると、その後の15年間で544試合に出場。フィジカルに長けたハードタックラーであり、跳躍も高かった。スピードはさほどあるわけではなかったが、天才的な“読み”を持ったDFとして無敵を誇った。

1993年に癌のため51歳で死去。ムーアのハマーズデビューから50年となった2008年にウェストハムは彼が背負った6番を欠番にすることを決めた。ちなみに、当時6番を着けていたマシュー・アップソンは15番に変更となった。

ただ、フットボール史上最高の選手といえるメッシとクリスティアーノ・ロナウドの2人は永久欠番にはならないだろう。リーガ・エスパニョーラはトップチームの選手が着けられる番号が1~25番までと決まっており、永久欠番とすることが原則的に不可能なのだ。

彼らの後を継ぐ次の10番、次の7番が誰になるのかが、楽しみではあるが…。

選手が亡くなったパターン

一般的に「永久欠番」は輝かしい功績を残した選手を称えるためのものであるが、在籍中にもかかわらず不慮の事故や病で亡くなった選手へ敬意を表するために指定されることもある。

3番:松田 直樹(横浜F・マリノス)
23番:マルク=ヴィヴィアン・フォエ(マンチェスター・シティ)
29番:ミクロシュ・フェヘール(ベンフィカ)
51番:アントニオ・デ・ニグリス(モンテレイ)
など

最も有名なのが2003年のコンフェデレーションズカップで急死したマルク=ヴィヴィアン・フォエのケースで、当時フォエが所属していたマンチェスター・シティはフォエの23番を永久欠番に指定。日本でも松田直樹が急性心筋梗塞でなくなった際、横浜F・マリノスはその功績を称え、松田が在籍時につけていた「3」を永久欠番に指定することを決めている(当時松田が所属していた松本山雅では現在田中隼磨が3番を背負っている)。

ただし、リーグによっては背番号に関するルールが決まっており、永久欠番が認められない場合もある。2007-08シーズンの開幕戦でアントニオ・プエルタが急死した後、セビージャは16番を永久欠番にする予定であったが、リーガの意向により認められなかった。