「右でも左でもない」特攻隊、原爆、北方領土…重い歴史を“お笑い”で伝えるコンビ 観客が笑って涙する舞台の中身
若い世代に戦争をどう伝えていくか
中東やウクライナなどで戦争が続くなか、平和を語ることの難しさは増している。SNSでは、芸能人や著名人が政治や戦争について語ると、時に誹謗中傷にさらされ、反戦・平和を訴えることさえ「お花畑」と揶揄されることも。
【写真を見る】「漬物ヒーローって一体なあに?」ボケ担当・竹森が20年以上前に考案した奇抜キャラと、泣いていいのか笑っていいのかわからない「社会派」お笑いステージの様子
そんな中、「右でも左でもない。反戦運動をしているつもりもない」という立場を貫きながら、特攻隊や原爆など、重い日本の歴史をお笑いで伝えるコンビがいる。
戦争の歴史を若い世代にどう伝えていくか。「小学生や中学生も、一人でも多くの人に関心を持ってほしい」。数少なくなった戦争体験者たちの切実な願いに応え、「ただ未来の人たちに何を残すべきかを考えて活動したい」と、果敢に突き進む2人を取材した。

「特攻隊」との出会いが転機に
「アップダウン」の竹森巧さん(48)と阿部浩貴さん(49)は、ともに北海道出身。札幌月寒高等学校在学中にクラスメート同士でコンビを結成し、卒業と同時に吉本興業に所属した(現在はフリー)。「エンタの神様」(日本テレビ系)や「爆笑レッドカーペット」(フジテレビ系)にも頻繁に出演し、M-1グランプリ準決勝に4回進出するなど、若手のホープとして順調にそのキャリアを積み上げていった。
しかし、その陰で「他にも面白い人はいっぱいいる。俺の存在意義は一体何なのか」と悩み続けていたという竹森さん。“お笑いを辞めたい”という気持ちを抱えていた33歳のとき、鹿児島県にある知覧特攻平和会館を訪れたことが転機となった。かつて特攻隊の出撃基地だったことから、隊員の遺書や写真などの資料を展示する施設だ。
第二次世界大戦の末期、10代20代の隊員およそ6,000人が、戦闘機などで敵艦に体当たりする特攻で命を落とした――。資料館でそうした人びとの存在や言葉に触れ、人生が変わったという。
「当時の若者たちにしてみたら、自分の悩みはなんとちっぽけなことか。この方々のおかげで今の僕たちは生きている。その存在を伝えていくべきだ」
こう考え、相方への説得を試みた。
だが、お笑い芸人として王道を進みたいと考えていた相方の阿部さんは、戦争をテーマにするのには反対だったという。
「無理だよ、重すぎる。戦争のイメージと言えば、暗くて悲惨で。それを対極にあるお笑いで表現しても、笑える?」
しかし、元特攻隊員だった人から話を聞くなどの取材を重ねるうちに、戦争中にも一生懸命生きた人々が大勢いて、それぞれ日常の生活があり、その中に笑いもあったということを知る。
二人は1年かけて特攻隊をテーマにした二人芝居音楽劇「桜の下で君と」を作り上げ、2019年に初公演を実現した。お笑いと芝居と歌を織り交ぜた舞台だ。上演後、不謹慎だという思いを抱く観客は一人もいなかった。
被爆二世から依頼があった「原爆」をテーマに
アップダウンの「戦争」「平和」をテーマにした舞台は評判を呼び、その後、公演の依頼は続いた。だが、2020年からの新型コロナウイルス感染症の拡大により、ほとんどが中止や延期に。そこで、無観客公演の動画を撮影して配信したところ、大きな反響があり、学校関係者や自治体からの注目を集めることになった。
今年3月にも、東京の文京区シビックセンターで、2人の活動に賛同する地域の保護者たちが主催した原爆体験伝承漫才「希望の鐘」が上演された。
老若男女を問わず、300席ある観客席はほぼ満席で、子どもたちも大勢集まった。学校の平和教育でも活用されているアップダウンの代表作のひとつだ。
2021年に製作した漫才だが、アップダウンの活動を知った、長崎の被爆二世の会の方からの依頼で原爆をテーマに取り上げたという。
長崎に縁もなく、もちろん戦争体験もない二人にとって、戦争は「非現実的でイメージできない」ものだった。だからこそ、同じく戦争を知らない若い世代に「原爆の怖さを伝えるだけではなく、表現にユーモアや希望が欲しい。笑いや歌など、伝わりやすいやり方で伝えて欲しい」というのが、語り部たちの切なる願いだった。
舞台の序盤は、こうしたネタが制作された経緯を面白おかしく漫才で紹介。阿部さんが、コンビニ店員の「いらっしゃいませ」が「エアロスミス」に聞こえるという持ちネタで自己紹介すると、竹森さんは、「プロのミュージシャンをやっています。岩崎宏美さんに楽曲提供していて、先生と呼ばれています(笑)」と言い、つかみはバッチリ。
原爆をテーマにした世界初の漫才を作るきっかけを説明するくだりでは、
阿部「長崎の被曝二世の方から長崎に呼んでいただいたんですよ」
竹森「次は、原爆をテーマにした作品を作ってもらえないかって。さすがにちょっと無理だなと思って、お茶濁したんですよ。いやぁ、いや、いやあ、できない……」
阿部「濁し方下手だな、お前」
竹森「次の日びっくり。ホテルでテレビつけましたら、その時の様子が報道されて、アップダウンに原爆をテーマにした作品を依頼。二人も意欲を燃やしています、と」
阿部「え〜〜、お茶濁してたのに、え、え〜〜」
戦争中にこっそりどぶろくを作っていたエピソードがユーモアたっぷりに語られると、どっと笑いが巻き起こった。
その後、舞台は一転。2人が原爆を想像するのに参考にしたという、投下後の広島で被爆直後の惨状を目のあたりにした画家・丸木位里、俊さん夫妻の作品「原爆の図」の紹介がされ、作品に添えられた説明文が朗読されると、会場は静まり返った。
続いて、長崎の原爆で妻を失い、自らも大けがを負いながら、負傷者の治療にあたった被爆医師の永井隆博士と、原爆で家族を失った少年・深堀悟さんの被爆体験を二人芝居で再現すると、誰もが息をのんで舞台を見つめていた。
また敗戦後に不謹慎だと中止するところがほとんどだった盆踊りが人々の心を癒し、拠り所になったというエピソードをもとに竹森さんが作詞作曲したオリジナルソング「盆踊り」が披露されると、涙ぐむ観客の姿もあった。
教科書に書かれていない当時の暮らしぶりや人々の心情が伝えられることで、戦争の側面がより深く見えてくる。暗く悲惨な歴史がよりリアルに感じられる。
舞台を鑑賞した高山結太さん(13歳)は、「戦争は、原爆は怖いものだということが改めて分かった。その中でも普通の日常があり、僕たちと同じように笑って暮らしていた人たちも少なくないということが分かり、戦時中の捉え方が広がりました」と語ってくれた。
戦争を自分事として考えることが平和への第一歩
「想像してみてください。戦争のこと、友達、仲間、家族のこと。そうすると、もっと思いやりの気持ちが芽生えてきます。そのひとつひとつが平和への一歩につながるのではないかと信じている」
舞台の終盤で語られるこのメッセージが、観客たちの胸に響く。
この「希望の鐘」をきっかけに、千島連盟から「北方領土をテーマに漫才を作ってほしい」と依頼があった。また、北海道の防災組合からの依頼で制作した啓発のための津波語りべ漫才「あの坂へいそげ」も好評を博しており、反戦・平和から領土問題、防災までアップダウンの作品のテーマに広がりが出てきたという。
「道徳心を育むエンターテイメントを追求していますので、学校の現場でたくさん公演をしたい」
二人の思いを後押しするように、舞台を見た子どもやその保護者たちが動き始める。先人たちの「命の記憶」は、笑いと涙という新しい形で引き継がれていく。
取材・文/小林ピースケ
デイリー新潮編集部
