「胸がないんだね」両側乳がんで乳房を失った40代女性の喪失。風に当たるだけで痛む「今」を生きる
「生きているだけで儲けもの」。そう自分に言い聞かせても、鏡に映る姿を直視できるまでには3年の月日を要しました。2019年に両側乳がんを告知され、両胸を失った阿久津友紀さん。事実婚のパートナーに「捨てられるかもしれない」と怯え、今なお副作用の発汗に悩まされる日々。がんを「ギフト」とは呼べない。そんな彼女が、あえて軽やかなタイトルで自らの病と生きることを語り続ける、本当の理由を伺いました。
【写真】「ワイヤー入りのブラは捨てた」阿久津さんの第二の人生が始まった日の様子(7枚目/全14枚)
乳房再建の手術前日に機器の不備が見つかり
── 2019年に両側乳がんが発覚し、手術で両方の乳房を切除されました。術後、初めて鏡の前に立ったとき、どんな思いでしたか。
阿久津さん:「あ、(胸が)ないね」と…。ショックは大きかったです。手術の傷跡も生々しく残っていて、しばらくは直視できませんでした。今でも朝起きたときや寒い日、風が当たると古傷が痛むことがあって、皮膚が引きつる感覚も消えません。お風呂で平らになった胸に触れるのが嫌だと感じる瞬間もいまだにあります。
でも、こればかりはどうしようもない。「生きているだけで儲けもの」と、自分に言い聞かせて今の体と向き合っています。
── とはいえ、その現実と折り合いをつけるまでには、かなりの時間を要したはずです。
阿久津さん:2年半から3年ほどかかった気がします。自分の闘病をテーマにドキュメンタリー番組を制作していた頃は、まだ葛藤の真っ只中にいました。映像を編集しながら自分の体を見るのがつらくて。治療もしんどく「なかなか元の生活に戻れないな」と、ジレンマを感じながら過ごしていました。
精神的に整理がついたのは、その後に本を出版したタイミングです。自分の身に起きた乳がんのことをひとつずつ振り返り、自分が何に困り、何に傷ついていたのかを言葉にしたことで、ようやく「次に進まなきゃ」と思えるようになりました。
── 当初は、乳房切除ではなく、インプラントによる乳房再建を予定されていました。
阿久津さん:全摘による喪失感をやわらげるために、乳房再建用の人工乳房(ティッシュエキスパンダー)を入れる準備を進めていたんです。ところが、手術を翌日に控えたタイミングで、保険適用されていた唯一の製品に発がん性のリスクがあるとして、世界的な自主回収が決まりました。突然「使えない」と告げられ、ショックで泣き崩れました。
医師からは「温存」という選択肢も提示されましたが、診察室にいた夫に相談すると「これから先、長く生きることを一番に考えたほうがいい」と言われました。その言葉で再建はあきらめ、その場で全摘を決意しました。
別の方法での再建も考えましたが、退院後だと、両胸のため追加手術を2回も受けなければなりません。胸の喪失感よりもこれ以上、自分の体を傷つけるほうが耐えられないと思ったこともあります。
病気を打ち明けたら見放される思いも
── パートナーの言葉が背中を押したのですね。ただ、当初は病気を打ち明けるのに大きな葛藤があったとか。
阿久津さん:うちは事実婚なんです。20年来の関係とはいえ、籍を入れていない間柄で「看病という重い負担を背負わせていいのか」と迷いがありましたし、病気を伝えたら、「(パートナーから)捨てられてしまうかもしれない」恐怖もどこかにありました。でも、実際に伝えてみたら、「やるべき治療をすればいいんじゃないの」と、淡々としていたので、ホッとしたことを覚えています。
でも、夜中にふと隣を見ると、彼がスマホで必死に病気のことを調べていたんです。口には出さなくても、彼なりに心配してくれているのだと気づいたとき、勝手な思い込みをしていたのは私自身だったと痛感しました。一方で、入籍していないことで手術の同意書にサインできないなど、制度の壁にも直面しました。
── 手術を経て、生活や考え方はどう変わりましたか。
阿久津さん:選ぶ服が大きく変わりました。胸の開いた服はまったく着なくなりましたし、ワイヤーの締めつけが苦痛でノンワイヤーの下着にも替えました。胸がないことで、生まれる「段差」をどうしても意識してしまいますし、「気づかれたら嫌だな」という思いはいまでもあります。
── 今もホルモン治療を続けていらっしゃいます。日々の困りごととは、どのように向き合っていますか。
阿久津さん:突然、滝のような汗が出るホットフラッシュがあったり、夜眠れなかったりします。仕事中に発汗でつらくなったときは、ミントスプレーでしのぐなど、工夫しながら向き合っています。
ほかにも、耳が聞こえづらかったり、考えがまとまりづらかったりすることも。これが更年期なのか、加齢によるものか、副作用なのかは正直わかりませんが、先生に「副作用のせいにしてしまったほうが楽じゃない?」と言われてから、自分を責めなくていいんだと思えるようになりました。
がんにかかっただけの人生で終わらせない
── がんを経験したことで、人生の捉え方に変化はありましたか。過酷な経験を通じて得た新たな気づきや価値観の変化を「贈り物」と捉える「キャンサーギフト」という言葉がありますが、阿久津さんはどう受け止めていますか。
阿久津さん:私はその言葉は使いません。がんにはかからないに越したことはないから、「ギフト」とは思えないんです。ただ、がんを経験したからこそ、伝えられることが増えたのもたしかです。誰かの「次の一歩」につながるなら、という使命感は、より強くなりました。
今も再発の不安はありますし、血液検査のたびに腫瘍マーカーの数値におびえます。でも、胸を失ったことを嘆くより「今の自分なら何ができるか」を探すほうが、人生は楽しめます。やりたいことを我慢するのはもったいないですから。 私が告知を受けて落ち込んでいたとき、末期がんの患者さんから「とにかく好きなことをしたほうがいい」と言われたことがあって。その言葉がずっと残っています。どこまで続くかわからない命なら、「楽しかった」と思って終わりたい。今はそう思っています。
── 闘病の記録をまとめた著書のタイトルは『おっぱい2つとってみた』。過酷な経験とは対照的な、この軽やかな言葉に込めた思いを聞かせてください。
阿久津さん:乳がんは今や9人に1人が経験する時代で、誰にとっても無関係ではありません。だったら、病気を過剰に特別視せず、共存しながら生きていく考え方があってもいい。「大変だ」と言い続けていると、自分自身がそのイメージに飲み込まれて、立ち上がれなくなってしまう。事実を認めつつも「なんとかなるかもしれないね」と自分に言い聞かせて、前を向きたい。そんな願いを込めて、あえてこのタイトルを選びました。
── 今、がんと向き合っている方、あるいはその周りにいる人へ、伝えたいことはありますか。
阿久津さん:私の父は自分ががんと察しながらも、家族にひと言も切り出せないまま亡くなりました。意識が混濁するなかで、父はやりたいことをたくさん口にしていたんです。その願いに家族として寄り添いきれなかったことは、今も強い後悔として残っています。
人によることはわかっていますが、今はもう、病気を隠す時代ではありません。治療の選択肢も、その後の生き方も、本人と周囲が対等に話し合える世の中にならないといけない。私が発信を続けているのは、誰かが同じ後悔をしないためでもあります。
がんになったとき、人はどうしてもひとりで抱え込んでしまいます。でも、誰かと手をつないで「困っている」と声に出したほうがいい。周りにいる人は、まず「あなたはどうしたい?」と、本人の意思を聞いてほしい。余計なことを気にせず、自分がどうなれば気分がいいのかを選んでいい。自分ファーストで、笑って過ごしてほしいと思います。
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「病気を隠す時代ではない。自分ファーストで、誰かと手をつないでほしい」。そう語る阿久津さんの願いは、今ひとりで踏ん張っている誰かへのエールです。皆さんは、勇気を出して「困っている」と声を上げたことで、救われた経験はありますか?
取材・文:西尾英子 写真:阿久津友紀

