富山港線LRT化20年 森雅志・前富山市長と振り返る開業までの歩み
富山港線がLRT=次世代型路面電車となって今月29日で20年、ここからは富山港線と富山のまちがどう変わったのか、前富山市長の森雅志さんと一緒にみていきます。まずは富山港線がLRT化された歩みを振り返ります。
富山港線は富岩鉄道として1924年に開業。富山駅と岩瀬地区を結び、国鉄が運行していた戦後の高度成長期は、通勤通学などで多くの人が利用しました。
しかし、マイカーの普及とともに利用者の減少が続き、1980年代後半には慢性的な赤字路線となっていました。
転機は、北陸新幹線開業に伴う「富山駅の高架化」です。富山駅に乗り入れている富山港線を存続させる場合、多額の費用をかけて高架にしなければならず、存続か廃止かの議論が浮上しました。
2006年4月「富山ライトレール」として開業します。事業費は58億円。ライトレールの誕生とともに、富山市は「公共交通を軸としたコンパクトなまちづくり」を加速させていきます。3年後には市の中心部で環状線が開業。そして2020年には、富山駅の高架の下で南北の路面電車がつながり、新たな交通ネットワークが誕生しました。かつて「お荷物」とまで言われた富山港線の変貌に、JR西日本の関係者は…
JR西日本金沢支社 前田洋明支社長(2020年取材・当時)
「富山のライトレールなどは本当に素晴らしい成功事例だと思う」
「ある意味街のシンボルみたいな位置づけ、存在になっているのではなかろうか」
LRT化は事業費およそ58億円の大規模事業でした。このうち富山市の負担が17億円でした。
Q森さん、この17億円をどうねん出するか、交渉の苦労があったと思いますが、今だから話せることはありますか?
当時は、富山港線を廃止する選択肢もあったと思います。LRTに投資するにも市民の理解が必要です。
Q公共交通を生かした街づくりにかじを切るのは大きな決断だったのではないでしょうか?
