プリウスは本当に交通事故を起こしやすいクルマなのか

 ネットスラングに「プリウス・ミサイル」という言葉がある。トヨタのハイブリッド専用モデル「プリウス」が交通事故を起こしやすいクルマというのを揶揄した言葉だ。意味合いとしては、プリウスは交通事故につながる運転ミスを誘発しやすいといったところだろうか。

 実際、イギリスの自動車保険に関するWEBサイトの調査(https://www.gocompare.com/car-insurance/auto-accidents/#make-and-model)によると、2016年にイギリス国内で起きた自動車事故に関わったモデルのトップはトヨタ・プリウスだったという話もある。とはいえ、イギリスにおけるプリウスは母数の少ないニッチカーであり、ほぼ国民車といえるほど普及している日本とは状況が異なる。日本において、プリウスが交通事故を起こしやすいクルマなのかどうかは、毎年見直されている保険料率クラスを見るのが妥当だ。

 保険料率というのは任意保険における係数といえるもので、2020年1月〜12月より17段階とより細かくなっている。以下、損害保険料率算出機構のホームページ(https://www.giroj.or.jp/ratemaking/automobile/vehicle_model/)により検索した型式別料率クラスを並べてみよう。

●トヨタ・プリウス(ZVW52/2WD)
対人賠償:5
対物賠償:5
搭乗者傷害:6
車両保険:9

●マツダ・ロードスター(ND5RC)
対人賠償:7
対物賠償:3
搭乗者傷害:6
車両保険:7

●日産GT-R(R35)
対人賠償:1
対物賠償:2
搭乗者傷害:6
車両保険:13

●レクサスLS(VXFA50)
対人賠償:10
対物賠償:7
搭乗者傷害:6
車両保険:15

 例として挙げたクルマが少ないのでわかりづらいかもしれないが、プリウスのそれは4項目のいずれも平均的といえる。なお、車両保険については自損事故以外に盗難率が高いと上がることはGT-Rの数字からも理解できるだろう。

 対人・対物賠償に関する保険料率を、数字が大きいほど事故リスクが増えるという風に読み取るとすれば、プリウスの事故率が高いとはいえない。

プリウス独特のエレクトロシフトマチックが事故を誘発する?

 そうはいってもプリウスに初めて乗ると、『エレクトロシフトマチック』というジョイスティック状の操作系に迷うことがあって、それが事故を誘発する理由だという主張もある。とはいえ、つねにホームポジションに戻るプリウスのシフト操作系は、プリウス自体が2代目から使っているものであって、10年以上の歴史もあるし、他社も似たような操作系を採用している。

 これが危険を誘発しているのであれば、フルモデルチェンジの際に改善されているだろうが、2代目から4代目まで熟成されているということは市場ニーズ的には問題なとされていると考えるのが妥当だ。

 たとえば、日産の電気自動車「リーフ」や「ノートe-POWER」もマウスタイプの独特な形状の操作系となっている。そして、前述した保険料率サイトで調べると現行リーフは次のとおり。

対人賠償:11
対物賠償:11
搭乗者傷害:7
車両保険:13

 この料率を見ると、リーフのほうがプリウスよりリスクが大きいと判断できるが「リーフ・ミサイル」という言葉は見かけない(電気自動車ゆえの走行音が小さいというリスクを指摘する声があるが)。

 リーフとプリウスの比較だけで結論づけるのは難しいが、プリウスはシフト操作系が独特だから事故を増やしているという指摘については、似たようなデザインのクルマと比べても事故リスクは小さいといえるだろう。つまり、プリウスは事故率が高いというのは印象論であって、統計に基づいて算出される保険料率的な裏付けはない。

 では、なぜ「プリウス・ミサイル」という言葉が生まれたのか。おそらくブランディング上の問題といえる。どうしてそうなったのかを断定するのは難しいが、プリウスが新しいクルマ像をブランドとして確立した結果として一部のクルマ好きは自身が否定されたような気持ちになり、その反動として「プリウスは叩いてもいい存在」と捉えている節がある。

 トヨタという大企業の主力モデルで、一部のマニアがネットで叩いたくらいでは売上に影響しないと考えているのだろう。ただし、叩いているクラスタは気にならないかもしれないが、周囲からするとけっして気持ちよく感じられるものではない。

 本当にハードウェアに問題があって、明らかに事故率が高いという事実が明確であれば社会的に糾弾する必要もあるだろうが、前提条件となる事故率についてファクトのないままイメージだけで叩くのは「いじめの構造」と似たものであって、大の大人がすべき行為ではないのは明らかだ。批判することを否定するわけではない。しかし、問題を指摘するのであれば「問題があるに違いない」という感情や「よく見かけるから」といった印象ではなく、ある程度は納得できるファクトに基づくべきであろう。