世界遺産登録へ向かう飛鳥の謎の石造物「酒船石」とは【飛鳥・藤原の宮都 徹底踏査】

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2026年6月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が世界文化遺産に登録するよう勧告した「飛鳥・藤原の宮都」。

大学で考古学や歴史学の教鞭をとりながら、観光ガイドを30年あまり続けてきた異色の考古学者・来村多加史さんが著した『徹底踏査 飛鳥・藤原の宮都』は、歩いて・見て・探る「踏査」を通して飛鳥・藤原エリアに残る石造物の謎に迫る話題の一冊です。

今回は本書第3章「狂心渠をたどる」の一部を特別追加公開。巨匠たちを惹きつけた謎の石造物「酒船石」の踏査レポートです。

『徹底踏査 飛鳥・藤原の宮都』書影

考古学者の視点:「芋蔓型」で論を立て展開する

 考古学者の「立論」は大きく分けて二つのアプローチがあります。一つは王道で、「収集型」と名づけておきましょう。遺跡・遺構・遺物などの類例を集めて、共通する傾向を探ってゆく手法です。もう一つは「芋蔓(いもづる)型」です。何か一つのきっかけをつかみ、それを芋蔓式に引っ張り出して、埋もれた真理を求めてゆく手法です。収集型は集めた多くの資料が基盤となるので、崩されにくく説得力もありますが、魅力的なのはサスペンスドラマに近い芋蔓型の立論でしょう。往年の考古学者には芋蔓型の論考を出す人が多かったように記憶していますが、今の学界では統計分析に基づく収集型の論考が主流を占めています。学問が堅実になったとも言えましょうが、面白みが薄れてきた嫌いもあります。面白みに欠けてもぐらつかない論説を展開するか、少々ぐらついても魅力的な論説を展開するかの二者択一ということです。ただ、収集型の推論で方向性を定め、芋蔓型の論説で惹きつける、という器用な選択もあります。

 この章で扱う「両槻宮(ふたつきのみや)」と「狂心渠(たぶれごころのみぞ)」は斉明天皇の個性が生んだ特殊な施設であり、類例は期待できません。よって論説は文献資料なども活用した芋蔓型の展開となりますが、考古学のあるべき姿を理解した上での選択なので、ご理解いただきながらお読みください。サスペンスのような面白い展開になるよう努めます。

酒船石の表面に見る奇妙なくぼみ

 飛鳥宮跡を見下ろす丘の上にぽつんと残る「酒船石(さかふねいし)」は、飛鳥巡りの人々が必ず訪れる人気の石造物です。臓器をかたどったような浅い穴や溝が彫られ、何かの暗号のようにも見える姿から、その用途が自由に想像され、さまざまに語られてきました。まさしく「謎の石造物」の代表であったのです。松本清張の『火の路』ではゾロアスター教の神酒「ハオマ」を製造する台であると語られ、手筭治虫の『三つ目がとおる』では、人を思いのまま操ることのできる悪魔的な薬を調合する台として描かれています。

酒船石。竹藪の丘に残る

 そもそも「酒船」と呼ばれてきたのは、発酵した醪(もろみ)を重量をかけて絞る木製の槽(ふね。船)に似ていることにちなみます。確かに、浅いくぼみに酒袋(さかぶくろ)を置いて圧搾すれば、酒が溝を伝って流れるような形ではあります。複数のくぼみが連接していることから、多種の液体を混ぜ合わせて、何かの薬品を作るようなイメージも浮かびます。文豪と巨匠の解釈が説得力をもつのは、解釈と外観に違和感がないからでしょう。ただ、発掘調査によってさまざまな解釈の選択肢が絞られ、学術的な推測が真相に近づきつつあります。ここでは答えを急がず、酒船石の形をしっかりと把握していただくため、まずはレポートをご覧いただきましょう。

レポート:酒船石の機能

 現状は長さ5.5メートル、幅2.3メートル、厚さ約1メートルの石造物となっている。飛鳥宮跡の大井戸から北東に300メートル、平地からの高さ20メートルの地点にあり、御破裂山(ごはれつやま)の西麓から北西方向にのびる長い尾根の先端付近に置かれている。石の下には大石を安定させるために敷く根石が見えることから、もともとその場所に設置されたのだろう。石の方向も容易に変えられるほど軽量ではない。ただ、直線的な両辺の上部に石を割るための「矢穴」が並び、両側を割り取られている。本来の形を留めていないのは残念である。一説には近世に高取城を築く際、石垣の積み石に用いられたとも言われる。それならば、石垣のどこかに断片が残っているはずなので、将来発見されるかも知れない、という期待はもてる。石材は石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)の、いわゆる「飛鳥石」であり、かなりの巨石であるが、全体的には平たい印象を受ける。上面は平面を削り出したあと、液体を溜めるようなくぼみとそれをつなぐ溝を彫っている。そのようなくぼみを中国考古学では「凹槽(おうそう)」と表現し、イメージと機能がよくわかる言葉なので、ここでも借用する。幸い酒船石遺跡の発掘報告書にわかりやすい復元図が掲載されている。それをご覧いただきながら説明を続けよう。

 図中で網掛けをした範囲が現存する部分で、それ以外が報告者の復元部分である。

酒船石復元図

 凹槽は石の主軸に沿って、A槽(小さな長方形)、B槽(大きな小判形)、C槽(中くらいの半円形)が縦列し、六つの円形槽が両側に並ぶ。一見、左右対称の配列に見えるが、よく見ると、D槽がB槽に直結していて、微妙に異なる。あとの円形槽はC槽から左右対称に分岐する溝でつながり、その様子は枝に実った果実のようである。そのうちG槽は報告者の想像で加えられたものであるが、他の円形槽のありかたを見ると、妥当な復元である。むしろ、B槽を介してG槽の反対側にもう一槽あっても不思議ではないが、さすがにそこまでの復元は報告者の立場ではできなかったのだろう。よって、私が想像して加えておく(点線部分)。どの部分をとっても、溝の底面が凹槽の底面よりも高いため、凹槽にある程度液体が溜まってから、次の凹槽に流れることになる。

 調査によって判明したことであるが、本来は水平であるはずの上面が傾いており、現状ではうまくすべての凹槽に液体がゆきわたらない。そこで、報告者は図面の上で水平に戻し、意外な事実に気づいた。酒船石が置かれた尾根の方向から考えて、上手(かみて)にあたるC槽に液体を注ぐと、円形槽には流れるが、B槽・A槽への溝が高いため、そちらには流れないのである。よって、報告者はC槽ではなく、A槽に液体が注がれ、それがB槽を通ってC槽・D槽へ移り、C槽から逆転して円形槽に流れるように作られたものと結論づけている。アルファベットはその順番どおりに打たれている。ただ、何のためにそのような複雑な流れを考えたのであろうか。

 酒船石の南10メートルばかりの斜面で「車石」と呼ばれる列石が発見され、上面に彫られた溝が一列に並ぶことから、液体を流す施設だろうと考えられている。その位置からして、酒船石の南側に並ぶ円形槽の一つから流れ出た液体を丘の下方へ伝えるための施設とも思える。そうであれば、酒船石に少しばかりの液体を注いでも、全方向にはゆきわたらない。ふんだんに液体が注がれたのだろうか。

 飛鳥寺西門外で発見されたような土管が酒船石の上手で出土していることから、注がれた液体は御破裂山の谷筋から下る渓流と考えるのが妥当である。尾根の道を歩けばわかるが、東方の山手からほぼ下ることなく自然に尾根が続いている。尾根筋に渓流を運ぶ水路を造っておけば、酒船石に絶え間なく水を注げたはずである。それを筧(かけひ)のような施設でA槽に落とし、B槽で何らかの手を加えたあとC槽で分け、六つないしは七つの円形槽から各方面に配水する仕掛けかと思われる。

 とはいえ、酒船石の辺縁は全体に丸みを帯びているため、それぞれの溝から筧のような施設に水を落として送水する姿は想像しにくい。むしろ水がだらだらと石の表面を伝ってこぼれる姿を想像してしまう。酒船石の周囲をよく見ると、多くの石が散乱している。酒船石を取り囲む石敷きの水場があり、そこで再び水が一本化して、後岡本宮や苑池の方面に流されていたとも考えられる。須弥山石(しゅみせんせき)の頂部には八方に放射する象徴的な溝が彫られていた。酒船石の溝も広く水を及ぼすことを象徴する演出であった可能性もある。さらなる発掘調査に期待するところである。

『徹底踏査 飛鳥・藤原の宮都』では、以降も酒船石にまつわる歴史や酒船石遺跡の石垣のレポートも展開していきます。

本書では飛鳥地域の石造物を残さず紹介し、地上に残る古代の文化財(宮殿跡、寺院跡、古墳、陵墓、石造物など)について、自ら歩いて観察する<踏査>を駆使し、地形を読み、文献をひも解き、仮説を検証していきます。図版100点、観光ガイドも務める著者ならではのオリジナル踏査マップも充実。考古学者が実践する推理の追体験が楽しめる一冊です。

【構成】
第1章 石造物の謎を解き明かす <考古学者の視点1>モノをじっくり観察する
第2章 飛鳥京の基準線を探る <考古学者の視点2>都市設計の計画性を解き明かす
第3章 狂心渠をたどる <考古学者の視点3>「芋蔓型」で論を立て展開する
第4章 藤原京の理念を貫く「聖なるライン」を検証する <考古学者の視点4>平面・立面・断面でとらえる
第5章 飛鳥陵墓区の風水を観る <考古学者の視点5>風景を読み取る

来村多加史(きたむら・たかし)

1958年生まれ。考古学者。博士(文学)。関西大学大学院修士課程、博士課程を経て、北京大学考古系に留学。2年半にわたる留学期間に中国全土の皇帝陵や都城遺跡を単独調査。2025年3月まで阪南大学教授を務めた。教鞭を執るかたわら、観光ガイドとしても活動、30年あまりの実績をもつ。研究者・現地案内者・歴史考証家として現場主義を貫くフィールドワーカー。著書は『高松塚とキトラ 古墳壁画の謎』(講談社)、『上下する天文 キトラ・高松塚古墳の謎』(教育評論社)ほか多数。

◆『徹底踏査 飛鳥・藤原の宮都』
◆文 来村多加史
◆図表 飛鳥資料館編『あすかの石造物』(2000年)掲載の実測図をイラストに改変
◆写真:FujiiKinjiphotooffice/イメージマート
※トップ写真は本書に掲載していません。
※デジタルマガジン用に記事を編集しています。