得体の知れない不安を煽るサウンド。『落下音』の音響監督と編集者が語る
言語化が難しいほど斬新な世界観が映画界をざわつかせ、第78回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した注目作『落下音』が、ついに日本上陸。
ドイツ出身の新鋭マーシャ・シリンスキ監督が描くのは、4つの異なる時代に生きる4人の少女たちが同じ土地で体験する不可解な出来事。北ドイツの農場を静かに覆う、百年の時を経て響き合う彼女たちの不安や、死の世界と現実の境界線が曖昧になるような感覚が、ピンホールカメラなどを用いて映像に翻訳されています。
終始観客の不安を煽るような独特のサウンドデザインも大きな話題となっている今作。ギズモードでは、音響監督のビリー・ミンドさんと編集担当のエヴェリン・ラックさんにインタビューを行い、『落下音』の誕生秘話や、そのユニークな魅力について語っていただきました。
理屈よりも感覚で編集した作品
――まずは自己紹介をお願いします。
エヴェリン・ラック(以下、エヴェリン):私はフィクションやドキュメンタリーの編集者で、主に映画を手がけています。ベルリン国際映画祭やトライベッカ映画祭、カンヌ国際映画祭でプレミア上映された作品も担当してきました。
ビリー・ミンド(以下、ビリー):私は編集者兼サウンドデザイナーです。ミュージシャンと仕事をすることが多く、『落下音』では音響監督を務めました。また、監督をしたり脚本を書いたりもしているので、自分自身ではフィルムメーカーだと思っています。
――お二人は密に連携して今作に取り組んだそうですね。
エヴェリン:そうなんです。私たちが編集とサウンドデザインを組み合わせた形で一緒に仕事をするのは、実は今作が初めてではありません。このシステムは2年前に確立したのですが、楽しいだけではなく、理に適っているんです。現在も2つのプロジェクトを共同で手がけています。
――『落下音』はこれまでに観たことのないような作品で、頭で理解するというよりも、感覚が先に動くような、深い余韻の残る映画体験でした。
エヴェリン:今作の脚本の1ページ目には、「I'd rather people feel a film before understanding it(=観客には映画を理解する前に、まず感じてほしい)」というロベール・ブレッソンの言葉が書かれていました。「映画を感じた」という感想は、まさにこの作品が目指していたことなので、とてもうれしいです。
――脚本のどのような部分に惹かれて参加を決めたのですか?
エヴェリン:クランクインの半年ほど前に参加を決めたのですが、私は編集者として、感覚的なレベルで映画を構築し、感情の輪郭を描きたいと思っています。ただ情報を整理するのではなく、映画体験を作り上げたいと考えているので、『落下音』はとても共感できる作品だと感じました。それに、脚本の自由度が高く、すべてのシーンに変化する可能性があったことも魅力的でした。
ビリー:私もエヴェリンと同じタイミングで参加しました。エヴェリンとマーシャ(・シリンスキ監督兼脚本家)と一緒に、かなり早い段階から音響についても並行して話し合っていたのですが、一部の音や音に関するイメージは脚本に盛り込まれていたんです。すべてがそこから生まれたわけではありませんが、どのような音になり得るのか、どの方向へ発展する可能性があるのかについて、ある程度イメージを膨らませることができたので、このプロジェクトにはこれまでとは異なるアプローチで臨むことができました。
――脚本の構成はどのようになっていたのでしょうか。異なる時代ごとに書き分けられていたのですか?
エヴェリン:脚本では最初から異なる時代が織り交ぜられており、理屈よりも感覚で受け取ってもらうという点で、書き言葉としては見事に機能していました。ただし、文字による表現は映像表現とは異なる働きをします。最初は脚本に書かれた構成に沿ってラフカットを作ったのですが、物語の主軸である、異なる時代の出来事が同じ家で起きているという設定さえ理解できませんでした。そこで私たちは脚本に変更を加えていきました。たとえば、完成版のラストシーンは、脚本ではオープニングシーンだったんです。パズルを解いていくような作業でした。
ビリー:これは決して脚本の質の問題ではありません。今作の脚本は本当に素晴らしい文学で、まさにこの作品の根幹となっています。エヴェリンが言ったように、書き言葉は映画的な言語とは働き方が異なりますし、とりわけ今作のように独特のノンリニア手法で物語を語ろうとする場合は、その違いがより顕著になります。
独特な雰囲気を演出できた理由
――説明するのが難しい作品ですが、ご自身の言葉で紹介するとしたら?
エヴェリン:私にとって今作は、ある人々――この場合は女性たち――が、人生の重要な出来事を共に回想しているかのような作品です。私たちはこの映画に参加し、鑑賞することで、その集合的な記憶の一部になっているように感じます。
ビリー:時間と空間を漂いながら、個人とその記憶を描き出す映画だと思います。
――初めて脚本を読んだ時、特に印象に残った感覚やイメージ、サウンドはありますか?
ビリー:脚本は遊び心に溢れていて、とても驚きました。劇中の女性たちの声が聴こえてくるような気がしたんです。とても良い本を読んでいるような気分になりました。
エヴェリン:私にとっては、まるでそこに存在するものを、味わい、感じ、触れられるかのような体験でした。ハエの羽音のような身体に響く感覚が、脚本とともに私の心に残っています。
――編集や音響の観点から、どのように協力して今作の独特な雰囲気を作り上げたのでしょうか。また、映画のトーンを見つけていく過程で、監督はどのように導いてくれましたか?
エヴェリン:今作の制作は、非常に深いコラボレーションだったように思います。私たちは常に一緒に作業し、同じビジョンと同じ映画を目指して力を合わせることを心がけていました。
特に印象に残っているのは、1980年代のアンゲリカが農場にいるシーンです。映画では珍しい完全な静寂が訪れる瞬間があり、彼女の内面に深く入り込めるような感覚になるんです。技術的な雰囲気すら一切排され、騒々しさと静寂、静と動の間を行き来します。編集のリズムやテンポ、そしてサウンドデザインが密接に結びついており、マーシャ(・シリンスキ監督)が書いた美しいナレーションも相まって、何度観ても感動的なシーンとなりました。
ビリー:通常は編集を終えてからサウンドを追加していくものですが、今作では編集と並行して音響作業に取り掛かり、日々変化していく内容に合わせてサウンドも調整していきました。最初から完全に共同作業で、監督のマーシャと編集のエヴェリンと音響の私は対等の関係でした。マーシャとは作品の方向性についても自由に意見を交わし、最終的には編集段階で映画全体のトーンを探っていきました。
エヴェリン:ファイナルカットまで一年以上かかりましたが、そのうちの10か月は編集作業に費やしました。登場人物それぞれの出番を考えるため、編集室の壁は各シーンについて書き留めた色とりどりのインデックスカードで埋め尽くされていきました。この作品には決まったテンプレートがなく、ただたくさんの素材とシーンがあって、そこから映画の形を模索していくのがとても楽しかったです。
――観客の不安を掻き立てる不穏なサウンドデザインも大きな話題です。ビリーさんは今作の音響設計について、最初にどのようなアイデアが浮かびましたか?
ビリー:マーシャとはまず、記憶がどのような感情をもたらすのか、そして、その記憶を音でどう表現できるのかについて話し合いました。時間と空間と音の関係を整理した図表まで作ったんです。たとえば、ブラックホールがどんな音に聞こえるのか、あるいは私たちが耳で聞くだけでなく、身体でも特定の周波数を感じ取れることなどについて議論しました。
私はそこからリサーチを始め、ソニフィケーションについて深く掘り下げていきました。NASAやISAによる、宇宙の現象を音楽的な体験として理解するためのデータがあるのですが、そういった音は私たちから遠く離れた存在のようでありながら、どこか不思議と身近にも感じられるんです。その感覚こそが、私にとって最大のインスピレーションとなったように思います。
また、今作にはハエの羽音や風、水、コオロギの鳴き声といった環境音も取り入れています。これらの音は互いに調和し、どの時代のシーンでも不思議と均等に響き合っているんです。時間の流れをどう扱うかという点について、私自身も具体的な音響プランを持っていたわけではありませんし、ファビアン(・ガンパー/撮影監督)もカメラワークに関して明確な決まりを設けていませんでした。だからこそ、1910年の音が2020年の音と大きく変わらないんです。私たちはタイムラインに沿って音を細かく調整するようなことはしませんでした。
――最も音響デザインが難しかったシーンは?
ビリー:先ほどエヴェリンが触れた1980年代のアンゲリカのシーンの構造を見つけ出す作業は、楽しかったけれど、同時に慎重な検証が求められたプロセスでした。与えられた素材の中で選択肢が限られていたため、とても注意深く模索していったんです。そして不思議なことに、私たちは音と映像と編集を一緒に仕上げることができました。
あのシーンは、まさに完全なコラボレーションの好例だと思います。その過程で、あの静寂や間や音の膨らみを発見していきました。また、ストーリーテリングにおいて、ナレーションも非常に重要な役割を果たしていると感じています。
――今作では4つの時代の4人の少女が描かれていますが、ナレーションにはアンゲリカのいとこであるライナーの声も含まれています。少年であるライナーのナレーションは、当初から脚本に書かれていたのですか?
エヴェリン:ライナーのナレーションは書かれていませんでした。ナレーション自体は脚本に記されていたものの、構成はまったく異なっていて、編集の過程で変化していきました。ナレーションは編集室でマイクを使って直接録音したんです。監督であり脚本家でもあるマーシャが編集室にいて、即興でシーンに声を吹き込むこともありました。だから当初は、ほとんどのナレーションをマーシャの声で実験していたんです。
――ライナーのナレーションを加えることになった経緯は?
エヴェリン:私たちはある時点で、物語の中心は4人の少女たちだけれど、ライナーにも声を与える必要があると感じました。もし登場人物たちが何百万年も後に記憶を振り返るとしたら、その頃には性別という概念など重要ではなくなっているといいな、という願いも込められています。
この世界には人間とその経験が存在していて、ライナーもその一部として存在しています。彼は少女たちと同じような暴力を経験したわけではありませんから、その記憶は当然異なります。でも、アンゲリカは劇中で唯一逃避した人物であり、私たちは彼女に何が起こったのかを知りません。あの記憶を通してアンゲリカの人物像を完結させることで、彼女は他の人々に影響を与えた存在として思い出されるのだと思います。
――編集していく中で、本当に自由に形が変わっていったんですね。
エヴェリン:マーシャはオープンマインドな人で、良いアイデアだと思えば、自分で決めたルールとは違ってもためらわずに挑戦するんです。あの芸術的な良心は、この映画に関わったすべてのアーティストに共通していたように思います。誰もが作品のために最善を尽くし、新しい可能性を柔軟に探究していました。
映像編集、サウンドデザイナーという仕事の魅力
――編集者やサウンドデザイナーとして、ご自身の仕事のどのような部分に魅力を感じていますか?
エヴェリン:映画制作を始めた頃は監督もしていたのですが、編集するまでは、撮影した映像はただの素材にすぎないと感じていました。部品のように見えていた断片が編集によって突然息を吹き返し、そこに人間が現れ、物語が生まれ、人生が立ち上がる。そんな瞬間に魅了されたんです。私にとって編集室は魔法が感じられる場所であり、本当の意味で映画が形づくられる場所です。編集前の作業は収穫や収集のようなもので、編集に入って初めて、「さあ、ここからが本番だ」と感じるんです。
ビリー:映画とは、さまざまな素晴らしい技術が融合して生まれる、若い芸術だと考えています。独自の感性で物語を紡ぐ脚本があり、カメラが捉えた映像があり、最終的にそれらをひとつにまとめ上げる編集者がいる。そして音響や音楽があり、プロダクションデザインも欠かせません。そうした信じられないほどに優れた技術や要素が結集して、1つの作品が完成するんです。映画は個別に存在する要素が“共存できる場所”なのだと思います。
音響デザインに関しては、実験的な部分が一番好きです。私は映画が完成するのを待って、ただ音を当てはめていくタイプではありません。物語について思いを巡らせ、映像と響き合う音のあり方を探しながら、同時に音そのものが独自の表現を見つけていくプロセスが大好きなんです。今作では普段とは違う形で実験することができたので、最高の体験になりました。
――『落下音』というタイトルについては、どう思いますか?
エヴェリン: “落下”というイメージは、この映画のドラマツルギーそのものを象徴しています。まるで落ちていく瞬間に身を置いているような感覚で、行き先は少しだけ選べるかもしれませんが、基本的には抗えない力に身を委ねるしかない。私はその“コントロールできない感覚”が大好きなんです。私たちは編集の段階で、ある時間から別の時間へと落ちていくような感覚を持てる作品にしようと話し合っていました。
また、私にとって“落下音”とは、ほぼ無音だけれど、それでも確かに存在する、落下する瞬間の音を意味します。映画に登場する女性たちの経験は、しばしば重要視されず、存在しないものとして扱われてしまいます。この映画は、そうした普段は見えにくい出来事を浮かび上がらせ、可視化している。ここでは、それらは確かに重要なことなんです。それが私にとっての“落下音”です。
ビリー:私も同感です。実は今作は長い間、仮題で呼ばれていました。それは「The Doctor Says I'll Be Alright, But I'm Feelin' Blue(=医者は大丈夫だと言うけれど、気分は憂鬱)」というもので、トム・ウェイツの曲(「Had Ma a Girl」)からの引用だったんです。でも、映画が完成した時点で新しいタイトルをつけることになり、マーシャから「『落下音』というタイトルはどう思う?」と聞かれました。
彼女にとって“落下音”とは、仮題が持っていた感情を翻訳した言葉だったようです。長かった仮題から削られたものもありますが、別の要素が加わったようにも感じています。エヴェリンも言っていたように、床に落ちる瞬間に音を発する“落下物”のイメージなんです。何かが落ちるときに生まれる、ほんのわずかな「シュッ」という音。“音のない音”とでも言ったらいいのかもしれません。それが私にとっての“落下音”です。
――最後に、これから『落下音』を観に行く日本の映画ファンに伝えておきたいことはありますか?
ビリー:ぜひくつろいで、この映画をありのままに受け取ってください。頭で理解しようとしたり、説明しようとしたりせず、ただ感じるままに身を委ねてほしいです。
エヴェリン:私も同じ気持ちです。思考や知性といったものは一旦脇に置いて、制作していた私たちと同じように、できるだけオープンな心で向き合っていただけたらうれしいです。
『落下音』は新宿ピカデリーほか全国で公開中。
Source: 落下音
