大河『豊臣兄弟!』で描かれた秀吉の記憶喪失、現代にも通じる「交渉のキーパーソン」読み違えの代償

豊臣秀吉像(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)
2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長にスポットライトが当てられ、そのユニークな視点で話題を呼んでいる。天下人となる秀吉(演:池松壮亮)を、秀長(演:仲野太賀)は右腕としていかに支えたのだろうか。第22回の「播磨大誤算」では、一度は播磨を手中に収めたかに見えた秀吉だったが、服属したはずの国衆たちが反旗を翻し……。今回放送の見どころについて、『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
秀吉が選んだ苛烈な「戦後処理」の真実
豊臣秀吉は、性格が明るく社交的で、相手の懐に飛び込むのが得意だった……とされている。だが、そんなコミュニケーション術も一朝一夕で身につけたものではなく、恐ろしすぎる上司・織田信長のもとで鍛えられたがゆえではなかったか。
前回の放送では、初めて総大将を務めた豊臣秀長が竹田城を落城。無事にミッションを成し遂げてほっとしていると、耳を疑うような報告がなされた。
「上月城の者は皆、斬首され、女子供にいたるまで、はりつけ串刺しにされて、西との国境にさらされたと。それをお命じになったのは、羽柴筑前守様であると」
上月城を攻めていた秀吉が戦に勝利したのはいいものの、城にいた女性や子どもにまで暴虐を働いたというのだ。今回の放送では、この上月城攻めがクローズアップされた。背景から解説していこう。
天正5(1577)年10月、羽柴秀吉は織田信長から播磨平定を命じられたが、簡単なミッションではなかった。当時の播磨では、多くの国衆が「強大な毛利につくか、それとも勢いのある織田家につくか」で揺れていたからである。
上月城主・赤松政範(あかまつ まさのり)は、毛利方につく道を選んだようだ。そこで秀吉は弟の秀長に但馬の平定を任せると、11月27日にまずは福原城(佐用城)に竹中重治(竹中半兵衛)と小寺孝高(黒田官兵衛)を遣わせて、城を落としている。
その翌日、秀吉は福原城より一里先にある上月城を包囲。駆けつけた毛利方の宇喜多勢も切り崩して、実に619もの首をとったというからすさまじい。
『信長公記』によると、7日目には、上月城の中にいる敵兵が城将である上月景貞の首を斬って、秀吉側に持参。「残る者の命は助けてほしい」と懇願したという。
『下村文書』が明かす上月城虐殺の全貌
大河ドラマ『豊臣兄弟!』での秀吉は「降伏してくれたら皆の命を助ける」というスタンスをとったが、『信長公記』で書かれている内容は全く異なる。
秀吉はまず上月城主の首を安土へ送って信長への報告を迅速に行うと、上月城の残党を引きずり出して、こんなひどい目に遭わせたという。
〈上月城に立て籠もる残党をことごとく引き出して、播磨と備前・美作両国との国境に磔にしておいた〉
『下村文書』によると、さらに熾烈な状況だったらしい。『下村文書』とは、上月城攻めの最中に、陣中見舞いを送った近江長浜の有力者・下村玄蕃助(しもむら げんばのすけ)に対する秀吉の返事であり、そこでは、おぞましい状況が描写されている。
〈城兵全員の首をはね、女子供二百人余りを備州、作州、播州の国境へ引き出し、みせしめのため子供を串刺しに、女ははりつけにした〉
そんな記述と整合性をとるために、ドラマでは「秀吉は許そうとしていたにもかかわらず、城内の人たちは皆早まって自決してしまっていた」という設定にしている。かつ、大量の死体の前に、軍師の竹中半兵衛が秀吉にこんなアドバイスをした。
「この者たちは我らが殺したことにいたしましょう。兵どもの首はことごとく落とし、おなごのむくろは納屋に押し込んで火をつけるのです。子は串刺しにし、毛利方との国境にさらしましょう」
そうすれば、「秀吉軍に逆らったらこうなる」という見せしめになり、その後は戦わずに済むことが増える、というのだ。秀吉らがそれを実行したことで、秀長のもとまで、残酷なニュースが届くこととなった──というのが、ドラマでの展開である。
脚本家の苦労が伝わってくるが、『下村文書』は上月城が落城して2日後に書かれたものであり、信頼性が高いものとされている。秀吉は上月城攻めで、虐殺を行ったものとみるのが妥当だろう。
なぜ、そこまでのことをしたのか。『信長公記』によると、秀吉にとって上月城攻めは、汚名返上の機会だったとしている。以前に秀吉は、柴田勝家が大将を務める戦線から勝手に退却し、信長から叱責されたため、その挽回に躍起になったというのだ。
〈秀吉は、先に北国加賀の陣から無断で引き揚げ、信長に叱責されて窮したものだから、このたびは西国で懸命の努力をし、戦果をみやげにして帰陣しようと思い、夜を日についで駆け回ったのである。このたびの粉骨砕身の働きは、まことにめざましいものであった〉
なんとか働きぶりを評価され、秀吉もひとまず胸をなで下ろしたことだろう。
このように感情を揺さぶられるのが常だった織田家の重臣たちにとって、心からほっとできる日は皆無だったのではないだろうか。
別所一族を引き裂いた「2人の叔父」
信長からは「播磨と但馬を平定した褒美に」と茶器まで送られた秀吉だったが、ここから立て続けにトラブルが起こる。
織田方に従属したはずの別所氏が、裏切って毛利方についてしまったのだ。ドラマもそんな史実通りの展開となり、秀吉は「上様にはすべてうまくいっていると伝えてしもうたのじゃ。今さら勘違いじゃったとは言えんわ!」と動揺をあらわにした。
なぜ別所氏の当主・別所長治が裏切ったのか。そのプロセスについては、ドラマ内でそこまで描写されていなかったので、背景を説明したい。
別所長治は父を早くに亡くしたことで、わずか7歳で家督を継承。後見の祖父も間もなくして亡くなってしまったことから、実質的には、別所吉親(よしちか)と別所重棟(しげむね)という2人の叔父が長治を支えたとされている。
ドラマで下川恭平が演じる別所長治がやたらと頼りないのは、そうした背景を踏まえてのことだろう。実際に、長治が織田方についたのは、叔父の重棟による意向が強かったとみられる。天正3(1575)年、長治は叔父の重棟とともに信長を訪ねて拝礼し、ほかの大名に先んじて信長に仕えている。
天正5(1577)年には、長治と重棟の2人は秀吉と同じく、信長の雑賀攻めにも従っている。同年に信長から播磨の平定を任じられた秀吉も、別所氏については心配していなかったことだろう。
だが、そんな秀吉に激しく反発したのが、もう一人の叔父である別所吉親である。かねてから毛利びいきだった吉親にとって、出自の低い秀吉に従うなど考えられないことだったようだ。
やがて秀吉は別所氏に謀反の動きがあると知ると、陣営内にいた重棟を三木城へと向かわせて、吉親を説得させようとするが失敗。それも当然のことだ。長治にとってともに叔父にあたる、この2人の兄弟は不仲だった。
若き当主の長治までそんな吉親の影響を受けて、毛利方に転じ、信長方から離反する道を選ぶことになる。天正6(1578)年春、長治は近隣の地侍や農民とともに三木城に籠もり、織田勢と対峙することになった。
秀吉からすれば、織田と懇意な別所重棟の存在があったため、別所氏については安心しきっていたのだろう。
もう一人の叔父・別所吉親が弟の重棟とは不仲であり、当主の長治に影響力を持ち、かつ、織田方より毛利方に近いと分かっていれば、また違ったアプローチもあったはずだ。交渉のキーパーソンを読み違えた代償は大きかった。
記憶喪失のドラマ描写に宿るリアリティー
そして思わぬ裏切りを受けた翌年の天正6(1578)年4月には、せっかく落城させた上月城を毛利方の小早川・吉川らに包囲されてしまう。
秀吉は上月城に尼子勝久、山中幸盛らを入れて守らせていたため、すぐにでも助けにいきたかったが、信長からは非情な命令が下される。『信長公記』によると、信長は秀吉にこう指示した。
〈作戦が捗らず、陣を構えていても見通しが立たない以上、ひとまずこの陣は引き払い、代わりに神吉・志方へ押し寄せて攻め破り、その上で三木の別所長治の城を攻めるがよい〉
秀吉はいったん上月城を見捨てて、信長の命令通りに三木城の攻略を優先させる。その結果、上月城を守る尼子勝久や山中幸盛らは自害へと追い込まれた。
ドラマでは、このときの秀吉の葛藤にクローズアップして、今回の物語の軸にしている。上月城を救援すべく信長サイドに援軍を要請。高倉山に陣を置いて援軍を待つが、ドンペイ演じる宮部継潤(みやべ けいじゅん)から、こんな信長の意向を伝えられる。
「お味方はこちらに参りませぬ。上様は今肝心なのは三木城の攻略であると判断されました」
これには秀吉は「上月城を見捨てよと申すのか!」と激高。それでも信長に従うほかないという状況の中で、秀吉は突如、記憶をなくしてしまう。夜にうなされた秀吉はよく眠れずに転倒し、頭を打ったのがきっかけだったようだ。
秀吉の記憶をいかにして取り戻すか、いかにもドラマらしい展開にはなったが、その背景に置かれた重圧には、史実を踏まえたリアリティーがある。
播磨平定という大きな仕事を与えられて、信長からの期待に応えなければならない状態の中、別所の裏切りによって、プロジェクトの進め方に大きな変更を迫られる。さらに上月城の落城という成し遂げたはずの成果さえも台無しになり、その上、自分側についた味方を見殺しにすることに……。
そんな秀吉にさらなる難題が降りかかる。信長の重臣で、以前は摂津国の支配を任されていた荒木村重が謀反を起こしたのである。
もちろん、記憶喪失はドラマ上の創作だが、ドラマさながらの息つく暇もない事態が、秀吉には実際に降りかかっていた。
信長の「過酷な成果主義」が招いた離反
信長を裏切った人物としては、「本能寺の変」を起こした明智光秀が最もよく知られているが、信長はそれまでにも数多くの裏切りに直面している。
浅井長政は、信長が自身の妹を嫁がせて同盟を結びながら反旗を翻したし、松永久秀も一度は謀反を許したにもかかわらず、再度裏切っている。
そして、今回の放送にあったように、別所氏や荒木村重など、信長への裏切りが止まらない。ここまで続くのは、信長のもとで働くのが、あまりに熾烈すぎるからだろう。
村重にいたっては、摂津国を任されながらも、毛利攻めが芳しくないと判断されると、秀吉に役割をスイッチされてしまう。これまで地道に国衆たちと交渉してきた村重のメンツは丸つぶれである。
それでもドラマでの村重は恐ろしすぎる信長に逆らうつもりはなく、秀吉に播磨平定の役を引き継ぐが、村重の家臣たちが毛利に通じたとして、謀反を疑われることになる。
村重自身は加担していないのだから、本来ならば信長に状況を説明して、家臣を処分すれば済む話だ。しかし、それが通用しないのが信長であり、毛利サイドの僧からはこう諭されている。
「織田信長という男は、一度疑いをかけたお方をやすやすと許すようなお方であろうか。誤解されねばよいがのう」
今にも泣き出しそうな村重。もはや一か八か、信長に反旗を翻すほかに道は残されていなかった。
実際の村重がドラマで描かれたような心境だったかは分からない。だが、信長の強い統制によるプレッシャーのもと、村重が本願寺・毛利方との関係を深め、最終的に謀反へ踏み切った可能性は高い。厳しい成果主義をとった信長のもとで、秀吉と秀長はどのように役割を全うしていくのだろうか。
信長の家臣という立場になりきることで、恐ろしい上司にいかに接するべきか、注意点を考えるにも、ビジネスパーソンならではの大河の見方ではないだろうか。
次回の「さらば半兵衛」では、謀反を起こした村重の説得に黒田官兵衛が乗り出すことになるが、捕らわれの身となってしまう。
【参考文献】
『現代語訳 信長公記』(太田牛一著、中川太古訳、新人物文庫)
『兵庫県史 史料編 中世 9・古代補遺』(兵庫県史編集専門委員会編、兵庫県)
『黒田官兵衛のすべて』(安藤英男編、KADOKAWA)
『シリーズ・実像に迫る10 荒木村重』(天野忠幸著、戎光祥出版)
『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(河内将芳著、戎光祥出版)
『豊臣秀長 シリーズ・織豊大名の研究』(柴裕之編、戎光祥出版)
『豊臣秀長のすべて』(新人物往来社編、新人物往来社)
『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(真山知幸著、日本能率協会マネジメントセンター)
筆者:真山 知幸
