私たちが抱く「戦国軍師」のイメージは、実は昭和50年代のビジネス誌が作り出したものだった

「戦国軍師」のイメージは昭和の企業社会にフィットした。写真はイメージ(写真:kitzcorner/Shutterstock.com)
戦国時代に軍師はいなかった--。大将や君主を支え、軍事的な作戦や戦略を立案する「軍師」。山本勘助、黒田官兵衛…歴史を振り返るとすぐに名前が挙がるが、そんなイメージは実は数十年前にできたものでしかなかった。『応仁の乱』『陰謀の日本中世史』などの著書でも知られる呉座勇一・国際日本文化研究センター准教授が明らかにする「軍師」の真実とは。
(*)本稿は『軍師の日本史』(呉座勇一著、角川新書)の一部を抜粋・再編集したものです。
日本型組織の隆盛と「軍師・参謀ブーム」の舞台裏
私たちが抱く「軍師」イメージの直接的な淵源は、昭和50年代の大衆歴史ブームの中に求められる。社会学者の福間良明氏が指摘するように、この時期には、歴史学者を対象にした専門学術誌とは異なる、歴史に関心がある一般読者を対象にした商業誌が台頭した。
1956年に人物往来社が創刊した『歴史読本』(最初は『人物往来』というタイトル)はスキャンダラスな秘史・奇史の紹介を軸としていたが、1970年代に新社である新人物往来社が編集方針を変更し、戦国武将や幕末志士、太平洋戦争時の軍人などに焦点を当てる正統派路線に舵を切って好評を博した。これを受けて『別冊歴史読本』(1976年創刊)、『歴史読本スペシャル』(1982年創刊)、『歴史と旅』(1974年創刊)などの大衆歴史雑誌が次々と創刊された。
加えてこの時期には、『国盗り物語』(1971年文庫化)、『新史太閤記』(1973年文庫化)、『関ケ原』(1974年文庫化)、『竜馬がゆく』(1975年文庫化)など、司馬遼太郎の代表作が次々と文庫化され、歴史小説がサラリーマンにとって身近な存在になっていった。NHK大河ドラマが復調し、高視聴率が続いたのも同時期である。

作家・司馬遼太郎は歴史小説を身近な存在にした。写真は1994年撮影(写真:共同通信社)
軍師イメージの浸透については、管理職層を対象にしたビジネス誌『プレジデント』(プレジデント社)の影響が特に大きい。
1963年に創刊された同誌は、1978年末に歴史上の人物に生き方を学ぶ歴史人物路線に転じた。その中で、陸軍参謀本部の作戦参謀を務め、戦後は伊藤忠商事の「参謀本部」たる業務本部で辣腕をふるい、伊藤忠会長にまで昇り詰めた「名企業参謀」瀬島龍三や、連合艦隊第一航空艦隊航空参謀だった源田実などに光を当てた特集「戦史の教訓」(1979年12月号)、山本五十六の懐刀で真珠湾作戦の立案などで知られる連合艦隊首席参謀・黒島亀人らを取り上げた特集「現代の「参謀学」」(1983年5月号)のように、軍師・参謀をクローズアップする企画も多数組まれた。
またプレジデント社やビジネス社は、連合艦隊作戦参謀などを歴任し、戦後は戦史作家などとして活躍した千早正隆氏の『日本海軍の戦略発想』(プレジデント社、1982年)や元陸軍軍人の大橋武夫氏の『参謀学─兵法に学ぶ─』(ビジネス社、1978年)・『リーダーとスタッフ 戦史・古典に学ぶ連携プレーの妙』(プレジデント社、1983年)など、軍師・参謀などの戦略や役割をテーマとした本を多数刊行している。
この時期に大衆歴史ブームが到来した要因を、福間氏は2つ挙げている。
なぜサラリーマンは「軍師」に己を重ねたのか
1つは、大衆教養主義の高揚期であった1950年代に青春時代を送った世代が中年層になり、司馬作品や大衆歴史雑誌の中に手軽な教養を見出そうとしたことである。
そしてもう1つは、労働環境の変化である。この時期にはホワイトカラーとブルーカラーの昇進・給与体系が一本化され、いわゆる終身雇用・年功序列が定着していく。サラリーマン(正規従業員)は解雇されにくくなった代わりに、企業の要請に応じて転勤や配置転換を受け入れ、多種多様な職務に従事することになった。
つまり、様々な部署や勤務地を渡り歩きながら1つの会社のなかで昇進していくことが、就業者の労働モデルとなる。必然的に、特定の専門技術を磨き上げていくことよりも、どの部署でも通用する、組織人としての心構え、リーダーシップなどが重んじられるようになった。
かくして、歴史上の人物の言動から組織人としての振る舞いを学ぶ傾向が強まり、トップ・リーダー論(武将・将軍論)と並んで、軍師・参謀論が人気コンテンツとなった。半藤一利『コンビの研究─昭和史のなかの指揮官と参謀』(文藝春秋、1988年)のように、両方をまとめて論じる著作もある。
軍師・参謀論が好まれたのは、日本型組織がトップダウンではなくボトムアップで意思決定を行うことも影響している。リーダーに意見具申を行うスタッフの役割が大きい日本型組織においては、軍師・参謀の行動規範が参考になったからである。
ラインとスタッフの境界線が生んだ“現代の軍師”の正体
ラインとスタッフという用語は、もともと軍隊用語である。直接戦闘部隊をラインと呼び、それを補佐・補助する輸送部隊などをスタッフと呼んだ。ちなみに、参謀本部の元祖であるプロイセン参謀本部は、食料補給や野営地の設置などを担当する「兵站総監部」が発展したものであり、参謀とは本来裏方であった。
経営管理学においては、ラインは生産・販売・財務など、企業の利益に直接関係する基本的な機能ないし部門(直接部門)を意味し、スタッフは経理・会計、人事・労務、法務、調査研究など、基本的機能から派生した補助的機能ないし部門(間接部門)を差す。マネジメントブームの中、後者を統括する「経営本部」などが作られるようになった。いわば企業版「参謀本部」である。
しかし日本型組織は縦割り的なため、ラインとスタッフという概念を導入しても、ライン部門とスタッフ部門が明確に分離されないことも少なくなかった。「命令権があるのがラインであり、命令権がなく単に助言するだけの存在がスタッフである」といった理解がなされることもあった。この極端な見方に立つと、上司・上長に助言する者は皆スタッフということになるから、すべてのサラリーマンにとって軍師・参謀論は有用という結論が導かれる。
ともあれ、大衆向けの歴史読み物で軍師と参謀が一括して扱われるようになった結果、主君を教え導く軍師から、トップを実務的に支えるスタッフとしての軍師へと、軍師のイメージは決定的に転換した。なお前掲の『リーダーとスタッフ 戦史・古典に学ぶ連携プレーの妙』は、竹中半兵衛ら軍師を「経営コンサルタント」、黒田官兵衛ら参謀を「企業内スタッフ」として区別しているが、こういう区分を設けている本は少数派である。
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『』(呉座勇一著、角川新書)
筆者:呉座 勇一
