「肌ツヤツヤ」「試合は血が躍る」70歳でエベレスト、80歳のボディービルダー…“60歳”以降に挑戦した人たちの充実人生
「人生80年時代」は過去の話で、いまは「100年」という話を耳にする。「そんなに長く生きたところで」と思うか、「やりたいことに一つでも多く挑戦できる」と思うかはその人次第。では、人間は何歳まで挑戦が許されるのか――。
2013年5月23日、三浦雄一郎さんが80歳で3度目のエベレスト登頂に成功した。世界と日本を驚かせたこの快挙を受け、当時の「週刊新潮」は新たな挑戦を始めたシニア世代に注目。登山やボディービル、合気道などの体育会系から、演技や音楽、シナリオなどの文系まで、挑戦を通じて充実の日々を送る人々にご登場いただいた。彼らのストーリーは今読んでも刺激的で色あせない。
(全2回の第1回:以下「週刊新潮」2013年6月6日号「エベレストには登れなくても 60歳から十分にできること一覧」を再編集しました。文中の年齢、肩書き等は掲載当時のものです)
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60歳過ぎてから8000メートル級に挑戦
三浦雄一郎さんの80歳には及ばないが、70歳でエベレスト登頂を果たした人がいる。神奈川に住む荒川孝郎さん(77)。エンジニアだったが、60歳を過ぎてから海外の7000、8000メートル級の山々への挑戦を開始した。

「子供の頃から山歩きが好きで夏に北アルプスなどに行くこともありましたが、ハイキングの延長でした。40代後半に本格的に山を始めてみようと思い、山岳会に入りましたが、その頃は仕事が忙しく大きな山に行く機会はない。年末年始などに家族に嫌がられながら日本アルプスに行く程度でしたね」
転機が訪れたのは63歳。
「永年勤続で少しばかりのお金と長期休暇を頂きました。その時マッターホルン(4478メートル)に登って目覚めてしまった。『案外登れるじゃないか』と。そこですっぱり会社を辞め、独立しました。会社に残ることもできたのですが、海外の山に行くとなると、最低でも3週間、場合によっては3カ月ということにもなりますから」
これまで征服した山は米アラスカのマッキンリー(6194メートル)、ヒマラヤのチョ・オユー(8201メートル)とエベレストなど、そして一昨年にはアフリカのキリマンジャロ(5895メートル)に登頂。ついに7大陸最高峰を制覇したのである。
「機会があれば、欧州のアイガー(3975メートル)のミッテルレギ稜に行ってみたい」
まだまだチャレンジ精神は衰えそうもない。
定年後にパワーリフティング
兵庫県のパワーリフティング愛好家・板垣浩志さん(71)も挑戦を続けている。2011年のアジア選手権では70歳のクラスで優勝した実力者。
「学校を卒業後は電機メーカーに入社して営業の仕事をしていました。60歳で定年を迎えた時、アームレスリングをやっていた次男に勧められて始めましたが、最初は勝てたのに段々勝てなくなって、それが嫌で止めてしまったのです」
そんな時、出会ったのがパワーリフティング。
「最初は40キロのベンチプレスも挙げられません。悔しい思いがあってコツコツ練習しとったら、5キロ、10キロ増えたと目に見えて結果が出てきて楽しくなり、気がついたら大会で勝っていたのです。普段、私に見向きもしない中学生の孫が『おじいちゃん凄いやん』と言ってくれたのが嬉しかった」
40キロも挙げられなかったベンチプレスは、大会では105キロを挙げ、現在は122キロにまで記録を伸ばしているというから驚きの71歳である。
80歳のボディービルダー
板垣さん同様、筋肉ムキムキマンは東京に住む森川清さん。80歳のボディービルダーだ。
「どこも悪いところなんてないよ。肌もツヤツヤ」
高校を卒業後、ハイヤー運転手を経て、31歳で製鉄会社に入社し、役員専用車の運転手に。
「マラソンをしていたが60歳を過ぎた頃に膝を痛めてしまい、62歳の定年後にボディービルを始めました。友人がやっていて、自分もやりたいなと思ったからです。本を読んで、どのマシーンを使ってどの筋肉を鍛えるのか、何を食べたらいいのかと独学でやっていました。64、65歳当時、東京の大会で50歳クラスにエントリー。一応4位という記録を取りましたが、当時通っていたジムはボディービル専門ではなく、それ以後本格的な大会に出ることはありませんでした」
選手として飛躍のキッカケを掴んだのは2、3年前。何と80歳目前だった。
「国際大会で銀メダルを取ったこともあるトレーナーに習うようになり、本格的なポージング(筋肉を美しく見せるための姿勢)の練習に加え、試合前には日焼けや減量をするようになりました。今年5月の大会では6人中5位。5位といっても他の人はみな60代で80歳は私だけ。そこそこの記録だと思っています」
森川さんと前出の板垣さんは共に高齢にもかかわらず、筋肉モリモリである。なぜなのだろうか。老人医療の専門家によれば、「普通、老化によって筋肉は萎縮、衰退するが、筋トレによって老化を遅らせ、鍛えることができる」のだという。
定年を機に始めた合気道
同様に88歳の今も日々精進を怠らないのは、昭道館合気道2段の坂元弘明さんである。
「大正14年生まれですから今年で米寿。最近はさすがに若いころ患った中耳炎の後遺症もあって、耳が遠くなってきました」
酒類卸会社で総務畑を歩んできたが、60歳の定年を機に合気道を始めた。
「子供の頃、柔道はやっていたものの、その後にスポーツらしきものは一切していませんでした。どうしようかなと思案しているとき、マンションの掲示板で『合気道の生徒募集』という貼り紙を見て、入門したのです。でも型と基本技を徹底的に教えるものの、試合は厳禁という流派でした。もの足りなくなり、昭道館連盟の道場『養氣會』に再入門しました。もう64歳になっていましたかね」
最初のランクは7級。
「70歳と少しで初段、81歳で2段になりました。黒帯を締めた時は嬉しかったですね。試合にも出ましたが、やはり血が躍りますね。ただ、80歳を過ぎ、年齢制限で試合に出られなくなりました。稽古はベランダでもどこでもできますが、最近は面倒くさくなることが多く本を読んでゴロゴロしているようになった。そこで今は3段を目標にして頑張っています」
何とも言えない爽快感
進級はやはり励みになる。パラグライダーでパイロットの資格を取得したのは、飲食店経営者の渡辺泰司さん(65)である。
「60歳になって何か楽しい趣味を持ちたくなりました。その時、出会ったのがバラグライダーです。夢中になり、スクールに月3、4回通いました」
パラグライダーにはA級ライセンス、B級ライセンス、ノービスパイロット、そしてパイロットなどのランクがある。渡辺さんは飛び始めて3年で上位の資格を取った。
「この資格で海外でも飛ぶことができるので、そろそろトライしてみようかなと思っています。このスポーツの何がいいのかといえば、文字通り、一羽の島になって空を回遊できることですよ。上空から眺める下界は車など豆粒のように見えますし、悠然たる気持ちになります。富士山頂から飛んだこともありましたが、危険を感じるどころか、ふわふわと浮遊している時は何とも言えない爽快感がありました」
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デイリー新潮編集部
