DeNA創業者 南場智子氏

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仕事のことしか頭になく、料理も洗濯もしなかった南場さんが、夫婦2人で挑んだ2年間の闘病生活。その中で、身に沁みて見えてきた家族のありがたさ。

私は、「ガルル型」の人間でした。ガルルとは私の造語で、馬車馬のように頑張ること。とにかく立派なビジネスパーソンになりたくて、ガムシャラに働いてきました。

大学卒業後に入ったマッキンゼーでは、朝4時、5時の帰宅は当たり前。いったん帰って9時には出社し、平日の睡眠時間は2、3時間という生活でした。最初はデキが悪かったものの、負けず嫌いと頑張り屋っぷりを発揮したおかげで、出世の階段を順調にのぼり、やりたいことはだいたい何でもできる立場になっていました。

それが36歳のときにネットオークション会社を立ち上げるという熱病に浮かされて、ディー・エヌ・エー(DeNA)を起業。それからは、競合に先を越される、システム開発に失敗する、株主との調整に奔走する、公正取引委員会の立ち入り検査が入るなど、すったもんだの苦労をしながらも、ただただ仕事にまい進し、仲間とともに、売り上げ2000億円超の会社に育ててきました。

一方で、私は家庭人としては最低に近い人間でした。マッキンゼーで見つけた相手と、人並みに結婚しましたが、結婚後の生活はそれまでと変わらず仕事最優先。食事は100%外食。夫の洗濯物など触ったこともないという体たらくでした。2人とも深夜遅くに帰宅するや否や、爆睡というパターンが多く、マッキンゼーの同窓会で「久しぶり!」と挨拶をすることさえありました。夫もまた、料理も家事もせず仕事ばかりする妻を面白がって放っておいてくれたのです。

ところが、そんな生活が2011年4月に急変しました。夫ががんを告知されたのです。医師の見立ては、手術はできるとのことでしたが、手術をすれば治るという明確な言葉はありませんでした。

その瞬間、私には一生こないだろうと思っていた心境の変化が起きました。これまでの自分の人生は、全部このときのためにあったんじゃないか。そんなふうに思いました。何のためらいもなく、私にとっての優先順位が、仕事から家庭へと変わってしまったのです。

もっとも、当時の私は一部上場企業の社長ですから、重責を担っていました。ましてや、DeNAは、本気で世界一のインターネット企業を目指す企業です。私のような凡人では120%全力投球しても足りない仕事……。それを、家族が重病とはいえ、「家庭優先」で片足を突っ込んだような状態でやるのは無責任なのではないか――。

こうして私は、社長退任の決断をしました。もともと私は、その1年後の12年に社長を退任することを目標としていたため、後継者は育っていました。現社長の守安功は、日頃お世辞を言わない私が絶賛してもなお足りないほどの大天才。人選に迷いはありませんでした。手術を終えた夫にも退任の意思を伝えると、「悪いな」とだけ言って受け入れてくれました。

こうして夫婦2人で闘病生活に入ると、私は病気について徹底的に勉強を始めました。術後の治療法について国内外の専門家に相談し、本を読み漁る。DeNAの創業メンバーの一人も、膨大な論文を読み込み、検討すべき治療法を教えに、わざわざ住まいのロンドンから駆け付けてくれました。また、病院の先生とも信頼関係を築くことができ、何でも相談することで、実際、いくつかの治療法を試しました。

■家事は苦手だけど、とにかく夫と一緒にいたかった

そして退院後は抗がん剤などの治療を開始し、免疫力を高める生活を始めたのです。そのためには、なんといっても食事が重要です。そこで、私は慣れない料理に挑みました。『がんに効く生活』という本を読み、ターメリック(うこん)は抗炎症作用が高いと知ると、ひじきの煮つけだろうが、切り干し大根の煮物だろうが、構わずかけまくる。これがマズかったのでしょうね。そのうち夫が、「今日はひじきが嫌いになった」「切り干し大根が嫌いになった」と言い出すようになりました。それでも、私が慣れない料理を頑張って作っているのがわかるから、頑張って食べてはくれます。でも、大変な手術で痩せた体が、さらにどんどん痩せていってしまいました。頑張ったんですけど逆に迷惑だったみたいで、最後には「もう勘弁してくれよ」と言われてしまいました(笑)。

結局、お手伝いさんを見つけて、例の本を読んでいただき、私の監督のもとに、料理してもらうことになりましたが、どうやら夫はそのほうが満足なようです。

このように、私は闘病中も相変わらず家事が苦手で、役立たずでした。でも、とにかく夫と一緒にいたかった。だから術後の療養の間には、一緒にいろんなことをしましたね。

免疫力を高めるうえで、精神状態をよくすることが重要です。それに、体を動かすこと、リラックスすることも大切。ですから、空気のいい地域に引っ越して、一緒にウオーキングをしたり、教室に通って陶芸を始めたり、音楽を聴きにいったり、整体に通ったり、ミニゴルフに行ったり、はたまた瞑想をしたり。がんに「マイナスにならない」ことは何でもしました。

それに、楽しい話をいっぱいしました。話のネタですか? 多くは飼い犬「さくら」の話でしょうか。さくらがすぐ隣にいるのに、2人して、さくらの写真を広げて、「よく写ってるね」なんて笑ったり。また、自然に関する話題が増えましたね。一緒に散歩に行って、富士山を見たり、月を見たり、新緑の季節には「緑が出てきたね」、春になると「桜が咲いたね」なんて話をしたり。それに、お互い、先祖への感謝の気持ちが芽生えて、散歩の途中で「あっちが富山、お爺ちゃんのお墓の方向だ」なんて言って、一緒に手を合わせたりもしました。

ごはんもゆっくりと食べました。50〜70回噛んで飲み込む。こんなにゆっくり食べたこと、それまでありませんでしたよ。

うちの夫は、意外と「クローズドな病人」で、闘病中は誰にも心配をかけたくないし、誰にも会いたくないと、お見舞いも受け付けず、私以外の人間を寄せ付けませんでした。だから、本当に2人だけの闘病。そこに一部の医療関係者やお手伝いさんが温かく寄り添ってくださり、本当に小さなチームで病気と闘った感じです。おかげで、夫とは少し仲良くなれたかな。そう考えると、意外といい2年間でした。この2年間はまったく喧嘩をしなかったですし。復帰後の今は、マックス喧嘩してるんですけどね(笑)。

それにしても、「ガルル」の私が夫の闘病のために社長を退いたのは、周囲の人からしたら意外だったようです。多くの人は、我々夫婦を「かかあ天下」と決めつけているようです。

でも、実際の夫婦関係は全然違うんですよ。ウチの旦那は、私がいかにクルクルパーかがよくわかっている(笑)。「おまえ、よくそんなわかったようなことが言えるな」とか、「よくアホがバレずに済んでるな」なんて、いつもからかわれています。

なけなしの頭脳でぱっつんぱっつんに頑張っている私が、哀れなようです。先日も、2人してマクロ経済を解説するテレビを見ていたのですが、私が夫にまたバカな質問をして、呆れられました。「おまえ、それ、絶対に外で言うなよ」って。

おかしいですよね。私は大学でもビジネス・スクールでもマッキンゼーでも十分に経済を勉強したつもりだったのに。片や夫は工学部出身。経済は勉強していないのに、なぜ私より経済を理解しているのでしょうか。

思えば、こんなこともありました。DeNAを立ち上げたばかりのときのことです。あろうことかサービス開始が迫った時点でシステムが全くできていなかったという大事件がありました。ほうほうのていで帰宅し、寝ている彼に「詐欺に遭った」とつぶやくと、夫はガバッと起きて、冷静に対処法を指南してくれました。そして「『詐欺に遭った』なんて間抜けなことは言うな。社長は最大の責任者、加害者だ。なのに被害者のような言い方をしたら誰もついてこなくなるぞ」と檄を飛ばしたのです。私は家庭では仕事の話をしないので、夫のアドバイスを聞いたのは後にも先にもこのときだけです。そして、そのアドバイスを実行し、実際に、最悪の事態を乗り越えました。そんなこともあって、私は夫を尊敬しているんです。

■会社や仲間に堂々と迷惑をかけてほしい

2年の闘病生活の後、我々夫婦がどうなったかに話を戻しましょう。それが有り難いことに、夫のがんは縮小しはじめ、12年の夏には、画像に腫瘍が映らなくなりました。今では、海外旅行はもとより、ゴルフもダイビングも何でもござれという状態です。西洋医学のお医者さんは、説明がつかないと言うのですけどね。調子に乗って、このままいってくれと思っています。

そして私は、主人の看護中は週1回の出勤、月数回の長い会議とビデオ会議にさせてもらっていた勤務を、再びフルタイム勤務に戻しています。夫は、「休んで迷惑かけたんだから、頑張って働け」と文句も言わずに送り出してくれています。

正直この2年は、それまでに体験したこともない苦しみや悲しみを突き付けられた日々でした。けれども、いくつかの大事な拾い物をした気もしています。その一つが、家族の大切さに改めて気づいたこと。私に仕事をこんなに頑張らせてくれたのは、家族が許してくれたからだと今まで以上に感謝するようになりました。また、家庭より仕事が大事なんて人はめったにいなくて、みんな家族が一番大事なんだということが、自分自身が家族優先になってみて、心底わかりました。

そこで、社員が、出産や育児や介護と両立しやすい会社にしていこうと、両立支援に自然と目が向くようになりました。今までも、短時間勤務制度(時短)や雇用形態を選択できる制度や、一部在宅勤務を認めるなど多様な制度を用意してきました。それでも、どこか遠い「対処すべき課題」のような捉え方でハンドリングしていたような気がします。ところが、夫の闘病以来、人生にはいろいろなことが起きると実感し、両立支援に魂が入るようになりました。

私が夫の看病をしていた2年間は、「時短」と「在宅勤務」制度を活用している状態でした。これではさすがに社長の大役は続行できないと判断しましたが、仕事時間中は全力で仕事に向き合うことで、しっかり取締役の役目は果たすことができたと思っています。そして、このように家庭の事情で仕事の時間を短くせざるをえないケースは、「産む性」である女性に限らず、誰だってあるのです。そんなときでも、キャリアを諦める必要はありません。仕事をしている時間に、全力で働けばそれでいいのです。

一般的に、日本人は「人に迷惑をかけるな」と言われて育ちます。でも、時には会社の仲間や社会に迷惑をかけたって、頼ったっていいではありませんか。迷惑をかけたら、あとで、できるときに他の人を助けてあげればいい。むしろ、お互いに迷惑をかけあうことで、コミュニティの絆がタイトになると感じます。

だから、迷惑結構。迷惑歓迎。堂々と会社や仲間に迷惑をかけてほしい。誰かが制度を活用したときは、「ウチの会社も一歩進んだね」と祝福して大絶賛する、そんな風土がつくれたらいいなと思います。そのためには、ケースを積み上げていくしかありません。

■女性の社長や会長が活躍する会社にしたい

最近は、政府主導の女性活用の影響もあって、「女性だから」という理由で管理職に登用しようとする動きが支配的ですが、私は賛同できません。わが社では、女性管理職を何割つくるといった目標も設定しませんし、実力のない人に下駄を履かせて昇進させる気もありません。こうしたやり方は、男性に対しても、何より頑張っている女性にも失礼だし、無理に女性を昇進させても、女性課長は出てきても、女性社長を輩出することはできないと思います。私は、わが社を女性社長や女性会長が堂々と出る会社にしたい。

要職に就くということはその責任からして大変なことです。男性も物凄い競争を経て、苦労して、やっと要職に就けるのですから、女性も上にいくからには、その苦労を、「ガルル」を、ちゃんと経験してほしいと思います。

わが社が掲げる「DeNAクオリティ」という5つの約束事のなかに、“全力コミット”というのがあるんです。やはり、仕事をしている時間は、みんながみんなハードワーカーであってほしいんですね。それは妥協できないところです。

一方で、男性社員もパパになってしばらく自分が子育てしたいという人が出てきたら、それはそれで尊敬すべき意思決定なので尊重したい。今の日本は、男性がそうした決断をするとダメージが大きいのですが、もっと解放されるべきだと思います。

いずれにしても、男女にかかわらず、各人の置かれた状況やライフステージに応じて仕事を設計できる会社にしていきたい。仕事人間と家庭人間、両極端を経験した私だからこそできることは多いのではと張り切っています。

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DeNA創業者 南場智子
新潟県生まれ。津田塾大学卒業後、86年、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。ハーバード・ビジネス・スクールでMBA取得。96年、パートナー(役員)に就任。99年、同社を退社してDeNAを設立、社長に就任。2011年、夫の看病に力を注ぐため社長兼CEOを退任、取締役となる。

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(佐藤留美=構成 宇佐美雅浩=撮影)