テレビ番組の企画で一躍有名になった、ヴァイオリニスト・高嶋ちさ子さんの父・弘之さんとダウン症の長女・未知子さん。ダウン症に関する情報が少なかった60年以上前、生後2か月の健診で医者から「20歳まで生きられない」と告げられたといいます。「誰にも悪いことはしていない」という信念のもと、未知子さんの存在をオープンにし、時にいじめの盾になってきた高嶋家の結束。その強さの源にある、破天荒で愛に満ちた家族の物語を伺いました。

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妻は失神、長女の告知から始まった「想定外」の子育て

── テレビの高嶋ファミリーの密着企画が人気で、ご家族が一躍有名になりました。

高嶋さん:テレビに出るようになって、街でも「お父さん!」と声をかけられることが増えました。自分ではいつも通りにやってるだけだから、どこが面白いのかわからないんだけどね。でも、この歳になってコンサートや講演会でみなさんと交流する機会をもらえて、本当に楽しいですよ。

テレビ出演を機に講演会に呼ばれることも増えたそう

── 長女・未知子さんの存在も多くの人に知られました。

高嶋さん:うちは昔からとにかくオープンにしてきました。当時はまだ「ダウン症」とは呼ばれていなくて、世間の理解も進んでいなかったんだと思いますが、子どもを家に隠していた家庭が多かったんです。訪問者がいると、人目に触れないように部屋に閉じ込めて出さないようにするとかね。ダウン症で生まれてくる子も、その家族も何も悪いことをしていないのに「これはおかしい」と、僕は「絶対に隠さない」と決めていました。

── 未知子さんのダウン症が発覚したときのことを教えていただけますか。

高嶋さん:生後2か月の健診で、お医者さんから「この子は20歳まで生きられません」と告げられ、妻はその場で失神してしました。翌朝にはショックで別人のように妻が老け込んで見え、「どちらさんで」と聞いたほどです。

僕も当時は訳がわからなかったけれど、どうにか前向きに考えられないかと必死でした。でも、そこから世の中の障がいがある方に目がいくようになり、人間として変われたように思います。昔より優しくなれたんじゃないかな。

未知子がいなかったら「もっと偉そうな人間になっていた」

── 弘之さんは、レコード会社に勤務し、ディレクターとしてビートルズを日本でヒットさせた方だと伺っています。仕事も忙しかったそうですね。

高嶋さん:変な言い方だけどね、僕は大学が早稲田で、妻は慶應。妻との出会いは職場だったんだけど、東芝レコードでバリバリ仕事をして。未知子という存在がいなかったら、もっと偉そうな人間になっていたかもしれないと思うんです。神様が、もしかしたら世界でいちばん優しい男にしようと、僕のところに未知子をよこしたのかなって。

テレビに出るようになってから、「ダウン症のお子さんを持つ家族として講演してください」という依頼が増えたんだけど、次女のちさ子には「お父さんは仕事ばっかりしてたんだから、しゃべる資格ない」と、釘を刺されています(笑)。だから講演会では「私には資格はございませんが…」と前置きしてから話し始めるんです。

── 音楽をテーマにした著書でも、あえて未知子さんのことを詳しく書かれています。

高嶋さん:昔、友人から「うちは(有名私立の)どこどこの小学校に行くよ、高嶋、お前のとこもそろそろ学校じゃないの?」と聞かれて、「うちの子はダウン症で」と答えると、みんな固まっちゃったことがあって。「あぁ、それは悪いこと聞いちゃった」ってバツが悪い顔をしているんです。

でもダウン症の子が持つ感情の豊かさや才能、これは誇れる個性です。世の中にある誤解を解きたくて、本にも未知子のことを何ページにも渡って書きました。

ある時、本を読んだ親御さんから「うちの息子もダウン症なんです」って言われてね。今でもこの話をすると涙が出るんだけど、その方は「私は息子に早く死んでほしいと思っていた。でも、高嶋さんの本を読んで考え方が変わった。息子には本当に悪いことをしたと思う」と、私の目の前で泣いていました。ダウン症のお子さんも、ご家族も、もっと堂々と生きられる社会にするために僕ができることはしていこうと誓いました。

「腐ったみかんを家に投げ」長男と次女がいじめの仕返しに

── 未知子さんには弟の太郎さんと妹のちさ子さんのきょうだいがいて、小さい頃、いじめられている未知子さんを守ってきたそうですね。

高嶋さん:未知子が小学校に通うようになると、真っ先にいじめの対象になって、ランドセルをドブ川に捨てられていたこともありました。それを見た弟妹は、黙っていられなかった。腐ったみかんを持って行って、いじめっ子の家に放り投げるなど、仕返しをしたこともあったようです。

── 荒っぽい手法ではありますが、いじめられている姉を放っておけなかったんですね。

高嶋さん:ちさ子と未知子が電車に乗っていたら、小学生の男の子たちがいて。男の子が、未知子の顔を見て「猿みたい」って言ったらしいんです。それを聞いて、その子の顔面を殴って逃げたもんだから、男の子はあっけに取られていたそうです。やり方はアレですけど、きょうだいのことは絶対に放っておかない。

しかも、ちさ子は「親分」だったから、自分の友達の輪の中に必ず未知子を入れ、遊んでいたというか、自分の子分たちに面倒を見させていたみたいです(笑)。長男の太郎も、ちさ子もいつ頃から未知子のことが「周りとはちょっと違うのかな」と思ったかはわからない。でも、ふたりは本当に未知子のことを守ってくれていた。きょうだい思いなんです。ありがたいよね。

毎日、公共の交通機関を使い、歩いて出勤することで足腰の健康を保っているという弘之さん

91歳、娘とのふたり暮らしで描くこれからの「夢」

── 9年前に奥様が亡くなられてからは、未知子さんとふたり暮らしをしているそうですね。

高嶋さん:朝ごはんは未知子の担当です。生野菜に、ゆで卵かスクランブルエッグ、ソーセージ、トースト、コーヒーも豆から淹れてくれます。毎朝必ず7時半には「お父さん、できたよ」と起こしてくれます。洗濯も彼女の担当。実に規則正しい生活をしていますよ。

夜ご飯は僕が作ります。まだ俳優として駆け出しだった兄貴(俳優の故・高島忠夫)と一緒に住んでいた頃に覚えた料理ですが、食べてくれる人がいるから作り甲斐がある。ハンバーグは玉ねぎをみじん切りして炒めて、食パンの耳をちょっと牛乳で浸したのを挽き肉に入れて。カレーはバターとメリケン粉(小麦粉)を半分ずつ入れて、茶色くなるまでじっくり炒めると美味しいんですよ。

ほとんど当時の友達は亡くなっちゃったから寂しいんだけど、未知子がいるから91歳の今も頑張れています。

── これからの「夢」や、願っていることはありますか。

高嶋さん:いちばんの望みは、未知子の今後の生活が決まること。良いグループホームが見つかって、そこでの生活が当たり前になるのが、僕の望みですね。少し前は「そんなところ行きたくない」って言ってたんだけど、最近はちょっと興味があるみたいで、少し安心しているんですよ。

未知子の不幸は、ちょっと知恵がありすぎるところだと思うんです。人とケンカすることも多いから、グループホームのスタッフさんや、入所者さんとうまくいかなくなるのを恐れていて。知人で、未知子のひとつ上の年のダウン症のお子さんがいる方が、グループホームに入っていると聞いて。週に1回、家に帰り、家にいるときはお酒好きのお父さんと1杯やって、グループホームから働きに行っていると聞きました。もう、私にとってはこれが理想です。未知子もそうできたらと思っていますね。

「ダウン症の子が持つ豊かな感情は、誇れる個性」。 弘之さんの言葉は、障がいの有無にかかわらず、私たちが「普通」という枠組みで誰かをジャッジしていないか、静かに問いかけてきます。

いじめっ子への仕返しで姉を守った、ちさ子さんたちの規格外の愛。それは、誰かが困っていたら家族総出で立ち向かうという、シンプルで力強い絆の形でした。あなたは、大切な人が心ない言葉に傷ついているとき、迷わずその隣に立つことができますか?

取材・文:内橋明日香 写真:高嶋弘之 注:高嶋さんの高ははしごだかが正式表記