毎年50万人のエリートが中国に「Uターン帰国」…彼らが、米国の高給よりも“母国での起業”を選ぶ理由【中国・AI国家戦略】
ほんの数年前まで、新幹線の切符を買うために長蛇の列となっていた中国。しかし2013年以降、WEB上でのチケット購入がスタートしてからは、キャッシュレス決済や二次元コードの普及など、急速なデジタル化が進んでいる。驚異のスピードで変革が起きた理由とは? 本稿では、湯進氏の著書『2040 中国自動車が世界を席巻する日』(日本経済新聞出版)より、国家をあげて米国に猛追する中国の「AI戦略」を紐解く。
5G普及率世界一…中国でデジタル化社会が急速に進んだワケ
変革が起きた要因1:位置情報取得システムの整備
1つ目の要因は、高度なアプリ活用に欠かせない高精度の位置情報取得システムが開発されたことである。
中国では、精度の高い衛星測位システム「北斗」に、これを取り扱うアリババグループと巨大国有企業「中国兵器工業集団」の合弁で2015年に設立された「千尋」を組み合わせることで、その精度を1〜2cmまで上げることに成功した。この連携により、世界で最も普及している5Gの威力はさらに発揮されていくだろう。
変革が起きた要因2:口コミ文化
2つ目は、中国社会では信用・口コミが重視されることである。中国では、グルメサイトやタクシーの配車アプリに利用者が書き込むことで信用スコアが形成されるようになっている。
新たな利用者はそのスコアを見てサービスを選ぶため、店舗やサービス事業者も利用者への応対が大きく変わり、一般消費者の安心感や信頼感を高めることにも寄与している。現在、決済システムの9割以上はアリペイとウィーチャットペイ(微信支付)の2社に集約されているが、その信頼性は高いとみられる。
変革が起きた要因3:段飛ばし戦術
3つ目は、中国のリープフロッグ文化である。日本なら一歩一歩進むところを、数段飛ばして前進させることで、一気に世界に追いつき追い越す戦術である。
電話線の国内敷設の促進を途中でやめて無線を使った携帯電話を普及させたり、自動車ではガソリン車の技術獲得を飛ばしてEVに移行させたりして、生産・市場・技術のレベルを一気に世界トップクラスに押し上げている。
中国は、ここ数年で大きく近代化した。5G版GPS、Wi-Fiなどのインフラ整備とともに、様々なプラットフォームの充実により、一般消費者の悩みを次々と解決している。
中国の経営者は、「考えたらすぐに実行し、実行しながら改善していけばいい」とよく言う。「考え込む時間がもったいない」ということだが、この合理性とスピードを重視する中国人の広い層に認められた環境が、今の中国にはあるといえる。
年間約50万人がUターン…帰国留学生が中国の成長エンジンに
1978年以降、中国から海外へ留学した学生はこれまで1000万人を超えている。この数年、毎年約50万人の中国人留学生が海外から中国に戻って就職・起業するなど、中国に新しい風を強く吹き込んでいる。
アリババ、テンセントが中国をネットの力で大きく変えたパイオニアだとするなら、その後を受け継ぐ海外帰国組からなる新世代が、高度な技術や経営手法を留学先で学び、続々と帰国して中国で新しいビジネスを生み出す源泉となる。
地方政府も各種政策を通し、補助金の支給などにより海外の優秀な人材の誘致やベンチャー企業の起業支援などに取り組んでいる。こうした若きエリートたちが中国にさらなる驚きをもたらすのは、もはや時間の問題だろう。
世界にあるユニコーン企業の「約13%」が中国企業
リサーチ会社のCBInsightsがまとめた世界ユニコーン企業約1270社には、中国企業162社がランクインしている(2025年4月末時点)。先端技術を駆使したユニコーン企業が続々と登場し、デジタル・イノベーションも様々な業界に広がっている。
サービス業では電子決済、スマホアプリを活用する電子決済やEコマースが普及する一方で、新たなニューエコノミーが創出されている。
また製造業では、IoTにより生産効率が向上し、様々な製品にデジタル技術が組み込まれ、高品質な製品として他社との差別化を実現できるようになっている。
伝統的な産業では、従来の技術、生産方式、成功体験に阻まれ、デジタル・イノベーションの推進は必ずしも容易ではない。中国は、AIや通信技術を駆使する製品・サービスの開発が先進国にキャッチアップするカギと位置づけ、製造業の高付加価値化を目指している。
生活に根づく「デジタル化」が、新たな産業を生む“土壌”に
中国社会ではデジタル化が浸透し、人々の生活に根づいたものになりつつある。電子商取引、テレワーク、ライブ動画配信、生成AIなどのアプリケーションが全方位で普及し、社会の運営効率が大幅に向上した。
ビッグデータやAIによるディープラーニングを通じて、個人行動など正確な把握と予測が可能になる。犯罪防止の観点から監視カメラが数億台設置され、その認識度は世界でトップクラスだ。そのアルゴリズムを使い、今ではマスクをしていても96%の確率で個人を認識できる装置も生まれている。一部のレストランやコンビニエンスストアでも、決済システムに顔認証を採用している。
そして企業・社会活動をより効率化させると同時に、新しい産業やイノベーションの創出につながるものである。ネット人口の増加、スマホの普及に伴い、通信・AI技術を生かした無人コンビニ、自動運転バス・ロボタクシーなどの新サービスの社会実装も急速に進んでいる。
中国が国家戦略として描く「AI産業発展プロセス」
AI開発を牽引した李開復氏
中国におけるAI技術開発の歴史において、米アップルや米マイクロソフトを経験した李開復氏が重要な牽引役として知られている。
1998年に米マイクロソフトが北京市に研究所を設け、李氏はトップを務めた。その後、グーグル中国法人の社長を経験し、2009年にはAI技術に特化した投資会社である「創新工場(Sinovation Ventures)」を立ち上げ、次世代ハイテク企業の育成に注力している。
李氏は研究活動を積極的に推進し、多くのAI人材やスタートアップを生み出し、中国のAI政策策定にも大きな示唆を与えたといえる。
2015年、中国政府が「中国製造2025」を打ち出し、AI技術を活用し、IoTの研究開発を推進する方針を示した。
すでにインターネット大国としての基盤を構築した中国は、2017年に「AI産業発展計画」を打ち出し、スマート製造、クラウドコンピュータ、情報セキュリティが研究開発の重点対象となった。そこには、AI産業発展のプロセスが3つの段階を踏んで描かれている。
第1段階では、2020年に中国のAI技術が世界水準に達し、新たな経済の成長エンジンとなる。第2段階では、2025年にAI基礎理論のブレークスルーを実現し、一部の分野で中国のAIにおける技術・応用が世界をリードする。
最終段階の2030年には、中国のAI総合力が世界トップ水準となり、AI産業は10兆元規模に達し、経済強国を支える基盤となる。
このようにステップバイステップでAI研究開発を強化していけば、中国は着実にAI大国に向けてその地位を高めていくであろう。
AI推進の背景にある「ハイテク製品」の育成
AIの推進を国家戦略とする目的の一つは、コネクテッドカー、コミュニケーションロボット、ドローンなどハイテク製品を育成することだ。
2017年末、中国政府は「次世代AI産業発展の3年計画」を発表。主要8大AI関連製品の育成や、センサー、ハイエンドチップなどコア部品の開発・量産を図り、スマート製造の実現に向けた体制整備を急いだ。
2022年には、中国科学技術省など中央政府6部門が「用途別のイノベーションおよびAI応用の推進」を発表。様々な産業分野や利用シーンにAIの導入を求めている。
対中輸出規制も“効果ナシ”?…米国の地位を脅かす中国AI
2025年現在、中国で登録された生成AIサービスはすでに300種類を超え、アプリを通じて生活の様々な分野での活用を広げている。
DeepSeekなどAI企業の台頭は、AIの国家戦略が結実しつつある証拠である。今後もスタートアップが増え、性能競争に加わっていけば、AI分野での米国の優位が揺らぐ恐れがある。
米アルファベットが発見したディープラーニングの一手法であるトランスフォーマーは、オープンAIによる「ChatGPT」といった大規模言語モデル(LLM)の革新につながった。一方、大量のデータ学習が必要な生成AIには、米国製の先端半導体が欠かせないとされてきた。
米国は先端半導体の対中輸出規制により、中国のAI開発を遅らせる戦略をとってきたが、規制の効果は十分とは言い難いとの見方があった。急速に成長する中国のAI企業に対し、米国はさらに規制を強化する可能性がある。
こうして、中国は日米欧の製造業にキャッチアップする難しさを認識し、AIで新天地を開こうとしている。政策推進により、企業参入が増加し、中国におけるAI開発が加速している。
今後、デジタル制御機器の進化によって工場や部品物流の無人化が実現すれば、スマート設備の遠隔運営、製品の連続生産、品質のモニタリングなどを特徴とする新しい生産方式を構築できる。コネクテッド機能を備える製品の量産に伴い、部品、装置、素材の新たな需要が生まれ、産業構造が一気に転換する。
中国のAI特許申請、米国を抜き“世界一”に
大規模モデルの開発には高度なスキルが求められ、そのための人材育成が急務となっている。
2018年以降、中国は自国の需要に応えるため、国内のAI人材プールを拡充し、トップAI人材数で米国に徐々に近づいてきている。2024年末時点で、全国で498の大学がAIの学部・専攻を設置し、AIデータ・アルゴリズムエンジニアの育成を急いでいる。
また米国で学び、米国企業を経験して世界レベルの研究能力を身につけた中国人研究者が技術の躍進の原動力となっており、中国国内ではこうした優秀な人材を受け入れる体制も整っている。
米シンクタンクのMacroPoloの調べによると、中国で育成されたAI人材は米国のAI人材全体の38%を占める。一方、米国で博士号を取得した中国人AI人材の約7割は米国にとどまり、米国は依然としてトップAI人材に最も人気のある国である。
こうしてAIの研究力で中国が米国を猛追しており、中国のAI特許申請件数は2019年に初めて米国を超え、中国企業も米国に匹敵する生成AIの開発力を備えている。
世界知的所有権機関(WIPO)の報告によると、2014〜23年にかけて、提出された中国の生成AIに関する特許出願件数は3万8000件を超え、世界トップとなっている。2024年にAIの国際学会「NeurIPS」などに採択された論文の所属研究機関をみると、清華大学、北京大学など中国の4大学・機関が世界トップ10に食い込んでいる。
国内消費者の“積極性”も追い風に
また、中国消費者が積極的に生成AIを試す土壌があり、企業競争に加え、製品への応用の追い風となっている。
異なるソフトウエア同士をつなぐ「Application Programming Interface」の仕組みを使い、外部のソフトウエアやプログラムなどのデータを連携させることによって使い勝手を高めている。
中国インターネット情報センターが公表した「2024年生成人工知能応用発展報告」では、中国における生成AI関連企業が4500社あり、190の大規模モデルが実用され、利用者が2.3億人に達したとしている。
模倣から創出へ…AI「米中2強時代」への道のり
中国企業は、半導体チップやAIの総合技術水準など、先行する米国との間に依然として大きな差があるものの、特定の業界や用途に特化したAIモデルを多く発表している。
科大訊飛が開発した大規模AIモデル「訊飛星火(iFLYTEK SPARK)」は、米オープンAI開発の対話型AI「ChatGPT」と互角のパフォーマンスを示した。バイドゥは、AI生成式対話プロダクト「文心一言(ERNIE Bot)」のテスト版提供を2023年に開始し、大規模AIモデルを取り巻く新たなエコシステムの構築を図ろうとしている。
これまで中国のAI企業は、米国で生み出した独創的な技術を応用して速やかに商品開発し、ビジネスを展開してきた。ある意味、米国企業を模倣するスキルが優れていたといえる。
一方、経営者の世代交代や若手スタートアップ起業家の増加に伴い、技術革新はビジネスを推進するための武器からだけではなく、起業者の好奇心、キャリア、創造意欲から生まれるものとなりつつある。短期的な利益を追求するのではなく、基礎研究を重視し、技術の最前線に立っている起業家も増加している。
数年後には、世界のAI業界は米中2強時代となり、これまで追随するばかりだった中国AI企業が、イノベーターとして様々な分野に参入し、部分的に中国が米国を凌駕する可能性もある。
中国のSDV、ロボット、スマートシティ開発およびその関連技術が、新しいAI市場を作り上げることが予測される。
湯 進
みずほ銀行
ビジネスソリューション部 上席主任研究員

