ジャンボさんの隣にはいつも佐野木さん(左)が(C)日刊ゲンダイ

写真拡大

【プロキャディー25年 梅ちゃんのツアー漫遊記】#59

【ツアー漫遊記】「時効」だから話します 藤田寛之さんはワケあって他社製品を「ヤマハです」で押し通した

 3月16日に都内のホテルでジャンボさん(尾崎将司氏)の「お別れの会」が行われました。全盛期のジャンボさんとは、藤田寛之さんのキャディーとして戦ったことは以前お話ししましたが、その活躍を支えていたのがエースキャディーの佐野木一志さんです。

「ジャンボの右腕」ともいわれたベテランキャディーと初めてお会いしたのは1999年。僕が藤田さんの専属になった1年目の国内ツアー開幕戦の直前でした。

「梅原、キャディーのコンペをやるから出てくれよ」

 当時の僕は24歳。藤田さんのキャディーになったばかりで知人はいませんから、誰に誘われたのかは覚えていません。でも、挨拶を兼ねて、参加することにしました。

「ゴルフは下手で迷惑をかけるしな。年の近い人と回りたいな」

 そんなことを思いながら組み合わせ表を見たら目が点に。トーナメント中継でよく見ていた佐野木さんに、小山内護プロのキャディー。もうひとりもジャンボ軍団のキャディーです。

「なんでこんな組に僕が」

 緊張のラウンドはティーショットを左右に曲げて、クラブを数本持って走り回っていた記憶しかありませんが、15番くらいだったでしょうか。

「そうだ。せっかくベテランの佐野木さんが目の前にいるのだから、キャディーにとって一番大切なことは何か、聞いてみよう」

 そう思ったものの、ボールはあちこち散らばるし、グリーン上で聞くわけにもいきません。ついに18番まできてしまいました。最後にティーショットを打った僕のボールは運よくフェアウエーをキープ。前を歩く佐野木さんに近づき尋ねました。

「あの、お聞きしたいことがあるのですが」

「何だ?」

「今年からプロキャディーになったのですが、一番大事なことは何ですか」

「それは常に選手を敬うことだな」

 佐野木さんは間髪を入れずにこう言ったのです。僕はスコアカードの裏にその言葉をすぐにメモしました。未経験の僕を専属キャディーにしてくれた藤田さんは大ファンだった選手です。人間としても尊敬していましたから、常に佐野木さんの言葉を胸に初心を忘れずにバッグを担いでいました。

 今はどうか。

 あれから27年。来月52歳になります。僕もここまで数々の経験を積んできました。海外メジャーにも行きました。今、ツアーでコンビを組む選手はほとんどが娘や息子みたいな若者です。勝利の味を知らない選手もいます。決して上から目線にならぬよう、あの言葉を胸の奥から引っ張り出しています。

 ジャンボさんの現役時代は、会えば「梅、頑張ってるな」と声をかけてくれたし、引退後は食事会に呼んでくれたりと、佐野木さんにはずいぶんかわいがってもらいました。それも、嫌で嫌でたまらなかった、あの緊張のコンペに参加したからです。逃げずに良かったぁ!

(梅原敦/プロキャディー)