新卒で大手外資系コンサルへ入社、朝まで働き成果を出すのが常識。「自分はできる」と自負も…転職先のベンチャー企業、社員の前で公然と受けた〈屈辱〉
プレイヤーとして優秀だった人が、マネージャーになった途端に失敗する――。これはビジネスの現場でよくあるケースです。本記事では、上林周平氏の著書『部下の心を動かすリーダーがやっていること』(アスコム)より、同氏がプライドを粉々にされた挫折と、社員の2割が辞めていく組織崩壊の危機、そこから学んだ教訓を解説します。
「成果こそがすべて」の精神でがむしゃらに働いたが、上司になってみると…
「お前のマネジメントはダメだ」
入社して数年、結果を出しているつもりだった私に、20歳年上の先輩からそう言われたことがあります。しかも社員の前で、公然と。
「お前には人はついてこない」「人をちゃんと見ていない」「お前は愛が足りない」当時の私には、その言葉が理解できませんでした。新サービスの開発も、難しい顧客対応も、誰よりも頑張って成果を出している自負があったからです。ついてこられないのは、そいつの問題だろう。愛で成果が出るのかよ。俺はやるべきことをやっている。そんな反発の気持ちでいっぱいでした。
けれど確かに、社内にはしらけた空気が漂っていたことに感づいてはいました。批判や不満の声が多く、従業員数50人の会社で、1年で10人近く辞めていく。会社の方針を語っても響かない。なぜだ? 何がダメなんだ? 自分の中で答えが出ないまま、苦しさだけが募っていきました。
私が新卒で入った外資系コンサルファームでは「成果を出してなんぼ」「バリュー(付加価値)を出せ」が合言葉で、弱音を吐くなんてありえない環境でした。与えられた目標をやり遂げるのが当たり前。
今ではあまり見かけないでしょうが、朝まで帰らないことも珍しくなく、成果を出せない者は容赦なく切り捨てられると感じる世界でした。そこで私は「やればできる」「成果こそがすべて」という価値観を叩き込まれました。結果を出して自信を持っていた私は、創業まもないベンチャーにマネージャーとして転職したときも、同じ価値観を持ち込んでいたのです。しかし待ち受けていたのは、コンサル時代にはなかったメンバーとのギャップでした。
締め切りを守れない。弱音を吐く。突然来なくなる。いわば責任感も当事者意識も低い(ように私が勝手に見ていた)メンバーに戸惑い、イライラし、そして失望していきました。「なぜ自分と同じ熱量で働けないのか?」「なぜ結果を出そうとしないのか?」私には理解できませんでした。
「自分はできる」「部下はできない」とレッテルを貼っていたが…
「お前のマネジメントはダメだ」と突き付けられたとき、正直に言えば屈辱でした。しかし、メンバーがついてこない、人が辞めていく、明らかに組織が停滞しているという事実からは逃れられず、私のちっぽけなプライドは崩れ去りました。
それまで「自分はできる」「部下はできない」と成果でレッテル貼りをしてきた自分が、実は「全然できないやつ」だった。自分が正解だと思い込んでいたものは、決して正解なんかじゃなかった。私はどうしようもなく自分の弱さと向き合わざるを得なくなり、心が折れかけました。けれど同時に、ある当たり前のことに気づきました。
自分の正解と他人の正解は違う。価値観も経験も人はそれぞれ大切なものを持っている。まったく同じ人生を生きている人なんて一人もいない。自分のことを理解されないことは、こんなにも苦しい。一言でいえば、共に働く仲間も自分も人間なんだ、という至極当たり前の事実を、ようやく理解できたのです。そして自分も部下もそれぞれ人間だからこそ、他者の能力や知識、感性に助けられて一人ではできない仕事ができることを、あらためて思い知りました。
私は「成果」というほんの一面だけを見て部下を認めようとしませんでした。それなのに「俺を認めてくれ」「俺を理解してくれ」と叫んでいるだけでした。そこからです。マネジメントに対する発想が大きく変わったのは。
人は、理屈や立場だけでは動きません。人は、説き伏せて動かすのではなく、共感で動いてもらうのです。もちろん、理屈や論理で押し通せるときもあるでしょう。コンサル時代はチームで成果を出すよりも、個人で成果を追求するのが得意な“似た者同士”がたまたま集まっていただけでした。しかし私が転職したベンチャーのような会社では、相手の気持ちを置き去りにしたマネジメントは、通用しませんでした。
周りの人を活かすこと。メンバーの声を聞くこと。弱音を受け止めること。共感のマネジメントを大事にしたとき、初めてチームは動き出しました。
上林 周平
株式会社NEWONE
代表取締役
