《起訴祝いの宴席で飲む銘柄がサッポロの理由》《先輩から取り調べ術を聞き出す方法》実直すぎる「リーゼント刑事」が新人時代につかんだ酒との付き合いかた【連載「酒と人生」】
人のいるところに酒があり、酒のあるところにはドラマがある。酒との付き合い方を聞けばその人の生き方が見えてくるのではないか。酒場ライターの大竹聡氏がたずねていく。今回は「警察官と酒」の話をうかがった。【前後編の前編】
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人はどんなときに酒を飲むのか。なぜ、飲むのか。そして酒は、人の生活に何をもたらすのか。酒との付き合いが長くなるにつれ、ときどき、そんなことを思う。住む場所や職業が異なれば、それだけで人生はまるで別のものになる。同じ時代を生きているけれど、どんな人が何を考え、何に悩み、何に喜びを見出しながら生きているのか。想像するのは、たいへん困難なことだ。ましてや、まるで知らない人の酒と人生を想像するのは、実は雲をつかむような試みだ。それでも、みんな、どうしてる? と思う日が、たまにある。
これが、酒と人生について語っていただくこのシリーズの聞き手としての、唯一の動機だ。そして今回は、42年間の警察人生を全うされた伝説の刑事、秋山博康さんにお会いすることができた。テレビ各局で放送される「警察24時」ものに最初に登場し、お茶の間にも広く知られるようになった「リーゼント刑事」である。
お会いしたのは、御徒町にある「日本酒原価酒場 元祖わら屋」。全国の銘酒と土佐料理を安くおいしく出す店で、昼から開けている。午後3時の約束だったが、秋山さんは一足先に来られていた。
追いかける形になった私もさっそく生ビールを注文する。取材時の年齢は秋山さん65歳、私は62歳。昼酒が嬉しい60代は、元気よく乾杯したのだった。
「2021年3月に42年間勤めた徳島県警を定年退職し、退職後すぐに東京へ来ました。20年ほど前から『警察24時』に出てきましたので、東京のテレビ局の人たちから、引退後は東京で犯罪をなくす活動をしたらどうですかと誘われたのです」
元刑事としてテレビでコメントを述べ、公式HPやYouTubeでも発信。各所での講演活動も行う。今年3月に発生した「京都府南丹市男児殺害・死体遺棄事件」発生時も、現場に入って捜査状況を調べ、解説するなど、元刑事の経験を生かした活動を行った。仕事の後の酒がなにより好きだという。
「はあ、うまい! 現職の頃は当直がありますから酒を抜く日があったけど、今は当直がない。定年して5年になるけど、毎日飲んでますよ(笑)」
現役の頃、事件捜査を終えた飲み会で最初に飲むビールは、銘柄が決まっていたという。
「刑事は、被疑者を逮捕して、取り調べ、検察へ送致します。その後、検察で証拠を調べ、起訴か不起訴が決まる。起訴になると、当時の警察では起訴祝いをやりました。捜査本部を置いた所轄の会議室で祝杯を挙げる。そのとき、私はいつもサッポロビールで乾杯しました。サッポロビールのマークは星でしょ。ホシを挙げる、ということで、縁起を担ぐ。大きい事件のときは県警本部の刑事、所轄の刑事のほかに、検事や県警本部長まで来て、祝杯を挙げた。また、捜査本部が立つほどの事件ではなくても、所轄でも傷害、監禁、強制猥褻など、さまざまな事件を扱う。そんな事件のときも、起訴が決まったら、私は所轄の刑事たちと起訴祝いをやりました。警察署ではなくて、馴染みの店に行って乾杯をする。ここでも、乾杯のビールは星のマークのサッポロの瓶ビールと決めていた。起訴祝いの酒ほどうまい酒はありませんでしたね」
秋山さんの語り口は爽快で、60代半ばとは思えない若々しさだ。警察官時代も、さぞや豪快な飲み方をされたのだろう。そう思って訊いてみると、意外なことに若いころはあまり飲まなかったという。
「私が10歳のとき、家に泥棒が入って、そのときやってきた刑事さんに憧れた。すぐに空手道場へ入り、高校では柔道をやりましてね。考えていたのは刑事になることだけ。昭和54年(1979年)に徳島県警に入って、警察学校、交番勤務、機動隊勤務を経て23歳でようやく刑事になりました。交番勤務の間も、休日返上で自転車泥棒を捕まえて刑事部屋に出入りしつつ自分の存在をアピールしたし、機動隊のときは刑事になりたいと機動隊長に直談判までして、やっと刑事になった。だから、1日も早く一人前の刑事になりたかったし、そのためには休んでいる暇はありませんでした。警察官舎に帰るのは風呂に入る日だけで、あとの日は配属された警察署の道場に泊まり込んで先輩たちの調書をかたっぱしから読みました。とても酒を飲む余裕はなかったし、あまり好きでもなかったんですよ」
仕事術を「聴く」のも「忘れる」のも酒
刑事は3つの仕事をこなしたら一人前と、先輩に教わった。ひとつは取り調べ。もうひとつは協力者作り。最後は書類作りだった。
「この3つができないと刑事ではないと教わったのですが、昭和のあの頃の先輩というのは、何も教えてくれないんですよ。どうやって協力者を作ればいいのか、書類の書き方、なにひとつ教えてくれない。中でも難しいのは取り調べです。どうやったらいいのか。調書は読めばわかる部分もあるが、取り調べはやり方を教わらないと、できない。このとき、お酒が助けてくれたんですよ」
日ごろ、口の重い先輩刑事が、気持ちよくなって取り調べのコツについて語ってくれるのは、酒の席だったのだ。
「起訴祝いの席で、日本酒を片手に先輩のところへ行くんです。まずお注ぎする。そうしたらご返杯、ということで今度は注いでもらう。そんなことをしているうちに、起訴祝いというめでたい席だから、先輩もだんだん盛り上がってきて、なあ秋山、お前の取り調べはまったくダメや、取り調べっちゅうのはな、と、教えてくれるんですよ。その頃の私は、上着のポケットにマッチ棒をバラで入れていて、話題が変わるたびに1本ずつ折って区切りをつけていた。翌日、記憶を呼び起こすときに、最初の1本を折ったときはこんな話やったな、次の1本はこうやった、と、思い出していくんです。そして、当時あった強盗殺人事件の起訴祝いのとき、たくさん話が聞けたんです。よっしゃ、これで大丈夫や、俺の取り調べに活かそうと思ったら、翌日、すっぽり記憶が飛んでいたんです。覚えてない。酔ってしもうて、みんな記憶を飛ばしてしまいよった(笑)」
鳴門警察署捜査係の新人・秋山刑事は、この事態にどう対処したか。
「酔ってしまってはダメだとわかった。ではどうするか。私はまず、自分がどれくらい飲んだら酔ってしまうのかを知りたいと思った。ワシの酒の限界量やね。それで、非番の日に、官舎で昼から一升瓶を飲み始めた。銘柄はたしか『鳴門鯛』。それを常温でコップで飲む。昼の11時から飲み始めて夕方の5時か、6時だったか。とうとう一升瓶を飲み切ったときはもう、何時かもわからん。限界やった。酒を飲んで目が回るということを聞いたことはあったけど、布団に横になったら、ホンマに天井がぐるぐる回っとった。官舎の、古びた天井が、ぐるぐるぐるぐる(笑)。限界や。1升飲んだら、オレはこうなるんやとわかった。それから5合以上は飲まないと決めた。だから私、今も5合以上は飲まないようにしています」
人の本質は子供時代にあり
酒の限界を知った青年刑事は、酔って記憶を飛ばさない範囲の中で、先輩の教えをひとつひとつ頭に叩き込んでいったという。
「先輩は、取り調べは技術だ、まずは相手を知りなさいと、私に教えた。お前みたいな若い刑事が何を訊いたところで、死刑になるかもわからん殺人の被疑者は何も喋らん。黙秘するか、否認されるだけだ。だから、まだ若いお前はまず、人を知らなくてはいけない。この教えを私なりにいろいろ考えて、これがワシのやり方やというものを見つけたんです」
それは、人間の本質を見極めるという、哲学的で、同時に人の感情をダイレクトに揺さぶる手法だった。
「3人を殺害した被疑者を調べたとき、最初は完全黙秘だった。喋らないどころか無視されました。それでも私は、どんな人間も子供の頃は真人間だったはずと思っていたから、彼の育った土地を歩いてみました。生家から通った小学校までの道を歩くと、駄菓子屋があった。このとき殺人事件は大きなニュースになっていたから、私が刑事だとわかると店の奥さんが、〇〇君のことでしょうって、向こうから話してくれた。被疑者は小学校の頃、その店で万引きしようとした友達を止めたそうなんです。とても正義感の強い子やったと。
そんなエピソードを持ち帰って、次の取り調べのとき、私は自分の小学校時代のことを延々喋りました。10歳のときから刑事に憧れて空手を習って、アホみたいな小学生やったわって。でも運動会では活躍したぞとか、遠足はどこへ行ったとか、そんな話ばかりしていたら、ヤツの目が変わった。秋山さんもそんなんやったんですかって、言葉も出た。ここがチャンスだと思って、小学校の近くの駄菓子屋へ行った話をしました。お前、万引きを止めたんだってな。お前、すばらしいなと。そうしたらしばらく沈黙した後で泣き出して、いきなり抱きついてきた。私の背広の上着が、ヤツの涙で濡れました。そこでまた私は言ったんですよ。よう、ここまで頑張ったな。お前の話、俺が全部聞いてやるからなと。そこから全面的な自白が取れたんですよ」
外側からでは推測のつかない人の心の裏側に入り込み、感情を揺さぶり、気持ちを通わせる。そこには、生まれながらの悪人はいないという、人への信頼がある。これが秋山さんの哲学だ。
しかし秋山さんは、最初からこの境地にたどり着けたわけではないと強調した。
「実は刑事になって最初に取り調べたのは、万引きをした小学6年生の子供でした。現場の本屋へ行くと、盗んだ本は見つからないし、彼を補導して署に連れて行っても、僕は知りませんと否認された。自宅の連絡先を聞いて連絡したら母親がやってきたのですが、部屋へ入るなり『この子、誰ですか』と言うんです。私も頭の中が真っ白になりましたが、すぐにわかったことは、その少年は、自分の情報ではなく、同級生の名前、生年月日、住所、電話番号を私に話していたんです。捜索の結果、本屋の近所の植え込みで、盗まれた3冊の本は見つりましたが、私は最初、小学生に嘘をつかれ、ブツも隠されていた。刑事になった初日のことで、大きな挫折だった。でも、そこから努力を重ねて、先輩の調書を読みまくり、起訴祝いの席では酔って饒舌になる先輩の教えを細大漏らさず記憶にとどめて、取り調べのなんたるかという哲学を作ってきました。
だから、僕にとっての酒は、熟練の大工さんが持っているような職人としての技術を、酔った先輩から教わるために必要なものだったんです。酒がなければ、先輩もそこまで教えてくれなかった。思い返すと、当時は本当に刑事一筋。流行ったドラマも歌も何も知らない。酒も好きで飲んでいたというよりは勉強のためだった。私は、そういう意味で、お酒に助けられたとおもっているんですよ」
小学生に騙されるほどの初心な刑事が殺人犯を自白させるようになれたのは、先輩・後輩の心の交わりがあったからだ。そして、そのとき彼らをつないでいたのが、酒だったのである。
(後編につづく)
【プロフィール】
秋山博康(あきやま・ひろやす)/1960年徳島県生まれ。1979年に徳島県警察採用。交番勤務、機動隊を経て刑事畑を歩む。県警本部長賞、警視総監賞ほか受賞多数。特に「おい!小池」で知られる殺人指名手配事件では長年にわたり総指揮官を務め、全国から注目を集めた。その後、警察密着型のテレビ番組に多数出演し、"リーゼント刑事"として話題に。現在は犯罪コメンテーターとして、各メディアや講演会など多方面で活躍。著書に『リーゼント刑事:42年間の警察人生全記録』(小学館新書)。
https://www.ri-zento-deka.com/
◆取材・文 大竹聡(おおたけ・さとし)/1963年東京都生まれ。出版社、広告会社、編集プロダクション勤務などを経てフリーライターに。酒好きに絶大な人気を誇った伝説のミニコミ誌「酒とつまみ」創刊編集長。『中央線で行く 東京横断ホッピーマラソン』『下町酒場ぶらりぶらり』『愛と追憶のレモンサワー』『五〇年酒場へ行こう』『酒場とコロナ』など著書多数。マネーポストWEBにて「昼酒御免!」が好評連載中。
