――カヨちゃん役の安藤サクラさんは、顔をくしゃくしゃにして泣いたりするシーンもあれば、二人を抱きかかえるようなシーンもあって、少女性と母性を両立していましたね。共演された感想を教えてください。

松田:女優さんとしてじゃなくて、安藤サクラちゃんとして素敵な女性だし、こんなに繊細な子はいないんじゃないかってくらい繊細だし、すごく好きです。女優さんとして安藤サクラちゃんを見ても、全くその通りなんですよね。全く偽りがないというか、演技してても無駄なものがないというか違和感がゼロなんですよ

高良:本当に安藤サクラさんは安藤サクラさんでしか無いという感じで。僕はどちらかというとフワフワしているタイプだから、翔太君もそうだし、2人といると安心感があるんです。あの現場自体も、監督もカメラマンも他のスタッフも「高良は芝居やって、俺らは撮るから」ってどしっと構えてくれてて安心感がすごかった。あ、安藤サクラさんの話とずれちゃったけど(笑)。

――映画全体を通して「壊しても壊しても抜け出せない」閉塞感がすごい伝わってくるのですが、お2人のこれまでの人生の中で、閉塞感を感じた事、また閉塞感を抜け出すきっかけになった出来事があれば教えてください。

高良:僕は、仕事に対しても、生活にしても感じる時はありますし、それをぶち破りたいから今この仕事を一生懸命やってると思うんですよね。「閉じ込められている」感覚は、熊本から上京してきた時が一番あって、「東京は人が多いから、空気が悪いから」とか何もかも東京のせいにしていた。それに気付いた時、「東京は何も悪く無い、自分が悪いんじゃん」って楽になりました。

松田:俺がイギリスに留学していた時の事だけど、それまでは、一生英語は喋れないものだと思ってたんだよね。でも、やろうと思った瞬間から出来た。それは自分の意識を変えたから。自分の意識を変える事が世界を変えていくって事が面白いなって。「壊しても壊しても抜け出せない」気持ちって誰にでもあって、だからこそ、意識が変わって、殻を破った瞬間にとても明るい気持ちになる。

――意識を変え、自分をさらけ出したからこそ、非常にリアリティのある作品が完成したのでしょうか?

松田:さらけ出すっていうか、逆にね、「俺こんなに楽でいれるんだな」って思いましたね。すごく良い経験したなとって思っています。僕が今後俳優を続けていなくても、ずっと良い経験のままだと思う。

ケンタとジュンとカヨちゃんの国」ストーリー

施設で兄弟のように育ったケンタとジュン。“はつり”と呼ばれる、電動ブレーカーでひたすら壁を壊すだけの過酷な労働を強いられ、貧困と理不尽な搾取の中 で夢を語ることすら知らずに生きてきた。ついに彼らはひとつの決断をする。“見えない壁”を壊して自分で人生を選ぶのだ。かすかな希望を携えて二人の鮮烈 な旅がはじまる…。

ケンタとジュンとカヨちゃんの国 - 作品情報