人生初の戦力外に…(筆者=左)/(C)共同通信社

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【山粼武司 これが俺の生きる道】#76

【続きを読む】“時の人”だった田尾安志さんに挨拶して後悔 やっぱり「媚びてアピール」していると思われた

 2004年9月5日、伊原春樹監督から「使えねえ」と吐き捨てられ、二軍落ち。「もう野球をやめよう」と決意した。

 ロッカールームにあった荷物をまとめ、自宅のある愛知に戻った。来年から何をしようか……と漠然と考えていた。

「評論家をやるにしても、テレビやラジオからオファーがなければどうしようもない。どこからも声がかからなければ、たこ焼き屋のおっちゃんになろうかな……」

 プロ野球界は球界再編問題で大揺れ。オリックス・ブルーウェーブは近鉄バファローズとの合併が決まり、27日に両チームの最終戦が行われた。マネジャーを通じて伊原監督から「最後くらい一緒にやろう」と言われたが、「何を今さら」と突っぱねた。

 シーズン終了後の9月28日、中村勝広GM(故人)から人生初の戦力外通告を受けた。中村さんは俺の再就職先を心配してくれた。

「おまえは島野(育夫)さん(04年当時は阪神フロント、05年に一軍総合コーチ就任)に可愛がってもらっとるから、次(の球団)はもう決まっとるんか?」

「そんなん決まるわけないじゃないですか」

「大丈夫か?」

「大丈夫なわけないでしょ。何ですか、クビにしといて(笑)」

「まだ野球を続ける気があるなら、他球団に口をきいてやるぞ」

 そう言われたが、すでに気持ちが切れていた俺はすぐさま、「いえ、結構です。もう野球をやめるので」と断った。

 小学2年から始めた野球だ。ふとした瞬間に、「ああ、来年からもう野球ができないんだ……」と強烈な寂しさが襲ってくる。気を紛らわすために“海外逃亡”を試みた。シーズン終了後の10月にドイツへと旅立った。

 なぜドイツなのか。俺はミニカー収集が趣味で、特にドイツのメーカーである「ミニチャンプス」が好きだった。

 あるとき、ミニカーの専門誌「ミニカーファン」の担当者から、「ドイツの『ミニチャンプス』とのタイアップで、本社兼ミュージアムの見学ツアーがあるので、参加しませんか?」と、お誘いがあったのだ。

 もともとは「ミニカーファン」の懸賞企画で当選したファン30人が参加できるツアー。そこに特別ゲストとして招待してくれたのだ。

 時間もあるし、こんなチャンスなかなかないと参加を決意。最初はビジネスクラスに乗ろうとしたが、「ミニカー好きという同じ志を持った30人と行くんだから、心をひとつにしなきゃ」とエコノミーを選択した。が、これが間違いだった。

 とにかく座席が狭いのなんの。通路側に足が飛び出るから、キャビンアテンダントさんに5回も足を踏まれた。寝ていてもお構いなし。5回目で「いい加減にしろよ!」と言ったら、さらっと「ソーリー」と言われたなあ。

 帰国後の11月に楽天の新規参入が決定。「楽天ゴールデンイーグルス」が誕生した。プロ野球界で50年ぶりとなる新球団。ただ、俺はもう野球をやめるつもりだったので、「へえ、そうなんだ。良かったね」とまるで他人事だった。

 まさか、その自分が楽天の創設メンバーに入れてもらえるなんて、想像すらしていなかった。
(山粼武司/元プロ野球選手)

  ◇  ◇  ◇

 帰国からほどなくして、引退を決意していた山崎氏の人生は思わぬ方向へ転がっていく。いったい何が起きるのか。楽天入団の前日譚とは。プロ野球ファンは関連記事【続きを読む】…から要チェックだ。