53歳でスペインに単身留学し、現在はジョージアに滞在中のRitaさん(56歳)。海外で暮らすようになって、「時間」について改めて考えるようになったそう。「日本にいた頃は効率よく時間を使うことがよいことだと思い、いつも時間に追われていました」と話すRitaさんが感じた、スペインやジョージア人の「時間の使い方」について語ります。

夜遅くまで「だれかと過ごす時間」を大切にする

スペインでは、夜になっても街がゆっくりとにぎわっています。

【写真】海外のスーパー

レストランやカフェのテラス席には、24時近くになっても人が集まり、楽しそうに会話が続いています。子どもから祖父母まで、3世代で過ごしている家族の姿も珍しくありません。日本ならそろそろ家に帰る時間でも、ここでは「これからがゆったりした時間」といった空気です。

冬でも、ダウンコートを着ながら外に座っている人たちがいるのは印象的でした。寒さよりも、「外で過ごす時間」や「だれかと過ごす時間」のほうが大切なのだと感じさせられるシーンです。

そして、夏になると、今度はアイスクリーム店が、深夜まで長蛇の列。公園では60代、70代くらいのカップルが並んで座り、ゆっくりとアイスを食べている光景をよく見かけます。

急ぐ様子もなく、なにかをしなければいけないわけでもなく、ただその時間を味わっているように見える光景です。

予定どおりにいかなくても気にしない

あるとき、日本の話をしたことがあります。

「朝に頼んだ荷物が、その日の夕方に届くこともある」と伝えると、「それはすごいね」と驚かれたあとに、こう言われました。

「でも、そんなに急ぐ必要があるの?」

思わず、言葉につまってしまいました。便利で、効率的で、とてもありがたい仕組み。でも、「どうしてそんなに急いでいるのか」と改めて考えると、うまく説明できない自分がいました。

そしてもう1つ、日本との違いを感じるのが、「予定どおりにいかないこと」への感覚です。「明日、工事に行くよ」と言われて待っていても、1週間来ないこともあります。「10時に待ち合わせね」と言われていたのに、時間になっても相手は現れず、連絡が来たと思ったら「今起きたよ」とひと言。

最初は驚きましたし、正直、戸惑うことも多くありました。

でも、こうした出来事が続くうちに、「予定どおりにいかないこと」に対する自分の受け止め方が、少しずつ変わっていきました。進まないことに不満を持たず、「そういう日もある」と思えるようになってきたのです。

待つことに、だれもイライラしない

思えば、スペインでもジョージアでも、スーパーのレジでよく目にする光景があります。

レジ係とお客さん、あるいはレジ係同士の会話が盛り上がり、気づくと、レジの手が止まっているのです。日本だったら、後ろの列が気になってしまいそうな場面。「早く進まないかな」と、つい時計を見てしまいそうになります。

でもそこでは、長い列ができていても、イライラしている人をほとんど見かけません。むしろ、その会話を楽しそうに聞いていたり、「どうせそのうち順番が来るだろう」と、ほかの商品を見に行ったり。その場の流れに自然と身を任せているような空気があります。

急がず、あせらず、時間をまるごと受け入れているような、ゆったりとした感覚。私にとっては、その“急がない時間の流れ”がとても新鮮に感じられました。

「だいたい」で動く、余白ある時間の心地よさ

私が滞在した国では、電車やバスの時刻表は「7時23分発」といった細かなものではなく、「この時間帯は10〜15分間隔」といった表示がほとんどです。そのため、だれもが「そろそろ来るだろう」といった感覚で、あまりあせる様子もなく待っています。

一方で、「23分に来る」と決まっていると、その時間を少し過ぎただけで「まだ来ない」と感じ、なんとなく落ち着かない気持ちになることはないでしょうか。

ほんの数分の違いでも、決められた時間に縛られることで、気持ちまで急かされてしまう。でも、“だいたい”に任せてみると、その分だけ、時間の中にゆるやかな余白が生まれるように思います。

時間を正確に区切ることで得られる安心感もありますが、少し曖昧さを残すことで生まれる心の余裕も、たしかにあると気づかされる場面です。

なにもできない時間が、だれかと過ごす時間に変わるとき

さらに印象に残っているのは、停電が起きた日のことです。

スペインで停電があったとき、仕事もできず、携帯も使えなくなり、最初は少し戸惑いました。でも気がつくと、公園に人が集まり始めていました。どこからともなくギターの音が聞こえ、大人がボールや縄跳びを持ち出し、ベンチでは会話が弾んでいます。まるで、予定された休日のような空気でした。

一方で、ジョージアでの停電は、また少し違った印象でした。

カフェでふっと電源が落ちることが時々あるのですが、だれひとりとしてあわてる様子はありません。なにごともなかったかのように会話を続け、コーヒーを飲みながら、ただ静かに時間を過ごしています。「どうせそのうち戻るから」そんな空気が、言葉にしなくても自然と流れていました。

以前の私だったら、なにもできないことに動揺し、変えられない状況のなかで、ひとり落ち着かない時間を過ごしていたと思います。「なにもできない時間」がだれかと過ごす時間になったり、静かに流れを待つ時間になったりする。そんな光景を見ながら、時間の使い方には、正解が1つではないことを感じます。

気持ちにゆとりができた「時間」の考え方

日本にいた頃の私は、あいた時間があると埋めようとしていた気がします。時間を効率よく使うこと、ムダにしないこと。それがよいことだと、どこかで思い込んでいました。

でも今は、だいぶ考え方が変わりました。なにもしない時間、ただ座っている時間、だれかとたわいもない話をする時間。そんな時間にも、意味があると思えるようになりました。

もちろん、便利さや正確さはすばらしいものです。でも、ときに、「急がない時間」や「余白のある時間」をもつことも、気持ちにゆとりが生まれるように感じています。

海外での暮らしは、特別な出来事よりも、こうした日常の景色の違いに気づかされることの連続です。「自由時間をどう使うか」という問いの答えは1つではなく、考え方も自由です。でも今の私は、以前よりも少しだけ、時間の流れに身を任せられるようになった気がしています。