「示談にしてほしい」大東めぐみ 交通事故加害者からの連絡に愕然「自分は加害者にならない」と誓ったあの日
交通事故にあった大東さんの心を深く傷つけたのは、保身に走る加害者の対応でした。謝罪のないまま背負わされた心の傷。しかし、葛藤の末に彼女が辿り着いたのは、「加害者も人生を狂わされる」残酷な真理でした。ヨガを通じて「何者でもない自分」を受け入れ、焦りから解放された今、彼女は息子に説きます。交通事故の「気をつけて」の言葉に込められた、加害者にも被害者にもならないための真意とは。
【写真】あんな悲惨な事故に遭わないように「お守り」として身につけている物 ほか(全18枚)
加害者からの一報は「示談にして」
── 2008年、渋谷の交差点でマイクロバスにはねられ、全治3か月の重傷を負った大東めぐみさん。多数のレギュラー番組を降板し、足が元に戻るまでに2年。失ったものはあまりに大きかったといいます。ですが、なかでも心をいちばん傷つけたのは加害者の対応だったそうですね。
大東さん:事故の直後、私がまだ救急車で運ばれているときに、相手の男性からマネージャーに電話があったんです。「自分の職業はドライバーで、免許が止まると仕事に影響が出るから、示談にしてほしい」と。
こちらがどんな状態かも確認しない、保身のための電話でした。ところが、「何を言ってるんですか、こっちは全治3カ月の重傷ですよ。当事者同士の示談ですむ話ではありません」とマネージャーが伝えると、それきり音信不通に。その後は弁護士を立てられて直接話すこともできず、最後まで誠意ある謝罪はありませんでした。
── 大ケガを負わされたうえに、届いたのが謝罪ではなく、示談の申し入れだった。怒りや悔しさでやりきれない思いだったのでは?
大東さん:もちろん怒りもありました。でも、それ以上に「人としてきちんと向き合ってもらえなかった」という悲しみのほうが強かったんです。私はテレビなどでずっとリポーターをしていて、人の話を聞く仕事をしてきました。言葉の通じない海外の僻地でのロケでも、時間をかけて相手の懐に入り、心を通わせることをモットーにやってきたんです。どんな相手でも、心と心でぶつかれば必ずわかり合える、そう信じてきました。だから、私をはねた彼だって故意に事故を起こしたわけではないのだから、話せば通じ合えるはずだと思っていたんです。
せめてひと言、「申し訳なかった」と向き合ってくれたら、私自身も気持ちの整理がついて前に進めると思っていたのに、いつまで経ってもそれがない。そのことがむなしくて、心の傷として残りました。
加害者も事故で人生が狂うと気づかされた
── そうした気持ちにどうやって折り合いをつけていったのでしょう。
大東さん:その後、検察庁で事情を聞かれたときに「加害者も被害者も、両方とも被害者です。誰も幸せになりません。ただ、彼がひと言も私に謝ってくれていないことが悲しいです」と正直な気持ちをぶつけました。それを受けて、検察官の方が彼に謝罪を促してくださり、「彼から電話がかかってくると思います」と連絡をいただいたんです。
でも、いくら待っても電話がかかってはきませんでした。彼の中では、もう「なかったこと」にしたいのかもしれません。もちろん謝ってもらえなかったことは今でも悔しいし、残念です。ただ、人をはねたという事実は絶対に消えません。この先、彼は「人をはねた」という十字架を一生背負って生きていくことになります。そう考えると、加害者もまた、事故によって人生を狂わされたひとりなのかもしれない、と思うようになりました。
同時に、もし自分が加害者になってその重い十字架を背負うことになったらと想像すると、すごく恐ろしくて。彼への怒りは「自分は絶対に加害側に回らない」という強い誓いへと変わっていったんです。
── いっぽうで、事故は大東さん自身の生活も大きく変えていきました。仕事が止まり、体も思うように動かない。その時間を、どのように過ごしていたのでしょうか。
大東さん:事故で動けなくなり、順調だった仕事がすべてなくなりました。仕事が生きがいだった私にとっては、アイデンティティを奪われるような苦しみで。それまで動き続けていることで自分を保ってきたところがあったので、それがなくなったときに、どうしていいかわからなくなってしまって。体が思うように動かないのに、「このままじゃいけない。何かしなきゃ」という気持ちだけが空回りして、夜も眠れない時期が続きました。
足のリハビリの一環でヨガを始めたのは、その頃です。最初は膝を支える筋肉をつけるためでしたが、ポーズを取ることに集中している間だけは、事故のことも仕事のことも考えていない自分がいたんです。それがすごく心地よかった。
それまで「何か生産性のあることをしなければ価値がない」と思い込んでいました。でもヨガを通じて、何もしない空白の時間があってもいい。何者でもない自分でもいいと受け止められるようになり、焦りや不安が和らいでいきました。体の回復と並行して、気持ちも立ち直る感覚があり、その延長で資格も取りました。
「気をつけて」には加害者にならない意味が
── 事故を経験し、「自分が加害者になる恐ろしさ」を知ったことで、お子さんにかける、「気をつけて」の言葉の意味も変わったそうですね。
大東さん:私は、息子が自転車に乗るとき、「車に気をつけて」という言い方はしません。それだけだと自分が被害に遭わないための注意で終わってしまうからです。そうではなく、「自転車でお年寄りにぶつかって転ばせたら、あなたが命を奪う加害者になるんだよ」と、加害のリスクを徹底して伝えてきました。
自転車だって使い方ひとつで、簡単に凶器になります。たとえば、細い道で歩行者も混雑している場所では、ベルを鳴らしてよけてもらうのではなく、必ず運転する自転車から降りて押して前を通る。急いでいるときほど心に余裕がなくなり、判断が荒くなるので注意が必要です。私自身も電動自転車に乗りますが、つねにいちばん弱いアシストの「1」しか使わないようにして、速度も上げすぎないよう心がけています。
──「交通事故に気をつけて」という言葉は、「加害者にも被害者にもならないで」ということなのですね。
大東さん:交通事故は、起こそうと思って起こるものではありません。でも一歩外に出れば、すれ違う一人ひとりに生活があって、待っている家族がいる。私は被害者になったことで、加害者になることの重さも知りました。車でも自転車でも、判断ひとつで誰かの人生を変えてしまう。その前提を忘れずに行動することが大切だと思います。
取材・文:西尾英子 写真:大東めぐみ

