FC東京の攻撃を牽引する長倉幹樹【写真:(C) FC TOKYO】

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長倉幹樹が乗り越えたいPKの壁

 昨季、アルビレックス新潟でブレイクを果たしたFW長倉幹樹。

 今季は高校時代まで所属した浦和レッズに復帰するも思うような出場機会を得られず苦しい時期を過ごした。それでも、6月にFC東京に期限付き移籍で加わると、降格圏のチームを押し上げる救世主として活躍。そんな長倉に乗り越えたい壁について聞いた。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部 上原拓真/全2回の第2回目)

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 兄の影響でサッカーを始めた長倉は中学生の時に浦和ジュニアユースのセレクションに合格し、ユースまで昇格。そこから順天堂大学に進み、関東1部リーグの東京ユナイテッドFCでキャリアをスタートさせた。

 浦和ユースから進んだ順天堂大学では「1年生の時が1番試合に出ていた」ようで、東京ユナイテッドへの加入は「自分のなかで探して探して探して、ここしかなかった」道だったという。

 2022年に東京ユナイテッドに加入し、前期の9試合だけで得点王に輝く8ゴールを決める活躍を見せると、浦和ユース時代に指導を受けた大槻毅氏が率いる当時J2のザスパクサツ群馬(現・ザスパ群馬)に引き抜かれる形で移籍。異例のルートでJリーグデビューを飾ると、23年に20試合5ゴール1アシストの活躍でブレイクを果たす。

 そして、23年7月にはアルビレックス新潟に完全移籍し、J1に挑戦する権利を得ると、パスサッカーのスタイルを貫く新潟にフィット。23年の途中からリーグ戦10試合に出場し、翌24年にはリーグ戦30試合で5ゴールを決めた。

 長倉は「特徴を活かせるなというよりかは、そのポゼッションのスタイルのチームでやってみたいっていうのがあった。そこで出してもらった経験っていうのは自分にとっても大きかったなと思います」と新潟時代を振り返る。関東1部からキャリアをスタートさせた自分でもJ1でやれるという自信を持つことができた瞬間でもあった。

 関東1部からJ2、J1へと珍しいキャリアを歩むなかで「もっとやらなきゃいけない」という気持ちで自分に満足することなく、成長することを考えながらプレーをしてきた長倉。新潟時代には天国と地獄を味わったルヴァンカップで、今後のサッカー人生で乗り越えなければいけない1つの壁ができた。

 自身はルヴァン杯で6ゴールを記録して大会得点王に輝いた一方で、チームは名古屋グランパスとの決勝でPK戦の末に敗退。PK戦でキッカーを務めた長倉の失敗が響き、新潟にとってクラブ史上初のタイトル獲得を逃してしまった。

 現在でも「自分のせいで優勝できなかった」と話す当時の記憶は色濃く残る。失礼を承知で「PKを克服すること」について長倉に投げかけると、「PK戦までいかないのが一番ですけど」と前置き、「もしそういう場面が来た時に、自分が決めて勝てたら、なんか…そういうトラウマではないんですけど、印象を自分の中で変えられるのかなとは思っています」と壁を乗り越えた先にいる自分の姿が想像できているような面持ちだった。

 加入してから公式戦7試合で5ゴールを決め、点取り屋の片鱗を見せるなかで、海外挑戦や日本代表については「まだ自分はその次元じゃない」と謙遜。そして、「PK戦までいかないのが一番」と話した通り、6日の天皇杯ベスト16・セレッソ大阪(2-1)では1ゴール1アシストの活躍でチームを9年ぶり8強に導く活躍をみせた。

 途中加入ながらも「温かく迎えてもらったっていうのは感じている」とファン・サポーターの期待に応えるべく、青赤の「26」がゴールを目指し続ける。(FOOTBALL ZONE編集部・上原拓真 / Takuma Uehara)