純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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内定、おめでとう。それも、けっこう大手の有名企業じゃないか。この時期に決まっていれば、あとは落ち着いて卒論をまとめ、立派に学校も卒業できるにちがいない。親兄弟も、きみのことを誇らしく思い、近所や知人にきみの内定先を、おかげさまで、とふれ回ることだろう。

まあ、就職とは、そういうものだ。明治であれば、新政府に奉職できたら、すごいもの。戦前なら、財閥、そして軍部だ。戦後は、復興のために、だれもが鉄鉱や石炭、そして造船に。高度経済成長では、銀行や保険、自動車や電器、そして百貨店。バブルには、商社や証券、マスコミが大人気。その後はSEや士業、外資系。いまやITにAI。若者たちの未来はつねに明るい。

が、歴史を知っていると、これらの時代のブームに乗って就職した連中がどうなったか、気になるところだろう。明治新政府は、内政外交方針の対立で四散五裂し、その功労者たちが相い争い、西南戦争で殺し合うことに。財閥や軍部は、戦争に負けて、一気に解体させられる。鉄鉱や石炭、造船は、安価な輸入に圧されて、どこも廃業。知ってのとおり、銀行や保険は合併に次ぐ合併で、支店も人員も数分の一にまで減らし、いまや小銭の手数料稼ぎ。自動車や電器、百貨店は、軽自動車や中国製品、コンビニに置き換えられ、商社や証券、マスコミは、激安スーパーやネット証券、独立Youtuberがその牙城を切り崩し、SEや士業、外資系ではいま、激烈な解雇の嵐が吹き荒れている。

よく企業の寿命が言われるが、国の産業の成長と変化に合わせて、市場が飽和し、その業界そのものが丸ごと用済みになっていく。それは、仕方ない。だが、日本人は、江戸時代の村社会の人生感覚をずっと引きずり、就職できさえすれば、その会社が終身雇用と企業年金で骨を埋める場所だと信じてきた。けれども、国際社会になってから世の中の移り変わりが早い。人が働ける期間より、企業の寿命、産業の限界のほうが短いのだ。それで、せっかく就職戦線を勝ち抜き、人気企業に就職できたとしても、道半ば、いまさら転進もできない50歳を過ぎてのところあたりで、会社のほうがダメになる。歴史は、いつもそれの繰り返しだ。

いまは人気企業でも、それはいまだけの話。そんな人気は、30年ともたない。60過ぎの定年まで続かない。きみが40歳も過ぎたころから、おかしな空気が流れ始め、役職をもらった50歳のころには担当部署の延命で奔走し、結局、うまくいかずに、事業撤退とその引責で放り出される。が、その先でどうにかなるわけがない。早めにフリーランスになった連中の羽振りの良い話を聞くかもしれないが、それは同期が社内に残って、仕事を融通してくれていればこそ。連中が役職を失えば、下の世代は、ただでさえ左前なのに、きみにわざわざ外注を回す義理はない。

まして、事態は深刻だ。人口が急減する。いまはまだ折り返しで、高齢者が生き残っているから、マスプロダクトの大手企業も存続できていて、新入社員を募集するが、それはかなり無責任な話だ。今後、高齢者がこの世から退場していくと、社会の縮小は幾何級数的に悪化する。受注生産のような小規模のところは、やりくりもできるが、大量生産・大量販売を前提に大人数で広く薄く市場を吸い取っていた大手企業は、縮小となると、会社を維持する固定費が大きすぎて、組織構造そのものが維持できなくなる。薄利多売のマスコミ、新聞雑誌テレビ、広告代理店なんて、その典型。

もちろん、歴史を振り返れば、これまでの激変の時代にも、うまく世を渡っていった人はいないではない。概して言えば、最初から二股がけして、35歳くらいで早々に次のトレンドに乗り換え、その先駆者として多くの才能ある次世代の若手たちを集め従えて、そのトップとして70代まで君臨する。と言っても、こんなキャリアプランがうまく行ったのは、国家の成長、人口の増大があればこそで、ただでさえ世の中の先のことなんか、だれにもわからないのに、いくら政治的に振興策が採られても、斜陽の日本で未開分野の新規事業の立ち上げが成功するとは思えないのだが。

なんにしても、もはやどうにもならない、ポイントオブノーリターン越えてしまった、この没落国家。せめて早め早めに先を見据え、自分が浮かべる程度の板きれ一枚でもどこかに見つけて、がんばるしかあるまい。きみの今後の御活躍をお祈り申し上げます。