“エリートボクサーではなかった”ガッツ石松さんがのし上がった理由 「あきらめず、粘り強く…」
物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は6月2日に亡くなったガッツ石松さんを取り上げる。
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「見返してやる」
1974年、ガッツ石松(本名・鈴木有二)さんは、ボクシングのライト級で日本人初の世界王者に輝いた。
ボクシング界を長年取材しているジャーナリストで、ガッツさんとの交友も続いていた前田衷(まこと)さんは言う。
「会場は東京の日大講堂。幼い娘さんをリング上で高く抱き上げ勝利を喜ぶ姿を思い出します。ガッツさんはお世辞にもエリートボクサーではありません。世界王者に達するまで負けが多い。負けてもよみがえってくる。あきらめず粘り強く問題点を修正してきた。この姿勢は引退後のタレント活動でも一貫しています」

49年、栃木県の現在の鹿沼生まれ。中学卒業後、プロボクサーを志して上京したのは、生家の貧しさをバカにした奴らを必ず見返してやるとの思いが原点だ。66年、プロデビュー。8年で世界王者に昇り詰めた。
映画やテレビは放っておかず、75年、「神戸国際ギャング」で高倉健と共演する人気者に。5度の防衛に成功するも76年には王座を失い、78年に引退した。
どんな役回りでも
世界王者の肩書がなくなるとタレント仕事は激減するが、芸能界入りを選んだ。
芸能レポーターの石川敏男さんは振り返る。
「真面目で一生懸命な人。異なる世界に身を投じたことで、過去の成功体験を捨てた。試合と違って評価は周囲が決める。そう考えて、どんな役回りでも引き受けた」
元世界王者に滑稽な言動を強い、からかう番組作りは当初からあった。
「歩んできた道を考えれば、バカにされるのは抵抗があったはず。それでも状況判断が抜群で、番組での自分の役割とポジションをわきまえなければと受け入れた。怒れば楽しんでいる人をしらけさせる。バカを演じていると分かってくれる人だけいればいいと考えた」(石川さん)
手抜きのない姿は橋田壽賀子さんや倉本聰さんの目に止まり「おしん」や「北の国から」に出演。「ブラック・レイン」などハリウッドの大作からも声がかかる。
私財と借金で4億円以上を投じたボクシング映画「カンバック」に若山富三郎、菅原文太、栗原小巻、竜雷太らそうそうたる顔触れが、ガッツさんのためならと出演したのも人徳ゆえだろう。
3億円の借金
96年の衆院選に自民党公認で東京の小選挙区から立候補。3位で落選、選挙運動で約3億円の借金を負う。返済のため、どんな小さな仕事も引き受け始めた。
「失敗は自分の責任で後始末が大切と割り切り、苦労する姿を見せなかった」(石川さん)
2004年、ガッツさんのとぼけた言葉の数々を集めた本がベストセラーに。借金返済には寄与する一方、本当にバカなのとからかわれたが気にしなかった。笑われることで万事丸く収まればよし。いわば遊んでいる心境だったようだ。
「そんな内面を理解する番組共演者やディレクターは、無礼に突っ込みを入れる若いタレントにヒヤヒヤしていたはずです」(同)
借入金は約10年で完済。請われればボクシングについて考えを述べ、その鋭い視点はバラエティーで見せる姿とは全く違った。10年には「プロボクシング世界チャンピオン会」を発足させ、初代会長を務めた。
「親分肌のガッツさんならと国内の世界王者が参集。チャリティーの先頭に立ち被災地の復興支援を地道に続けた」(前田さん)
年上の糟糠の妻との間に1女2男を授かる。まさに大黒柱のような父だった。
6月2日、肺炎のため76歳で逝去。前田さんは言う。
「近年、テレビ出演は減りましたが、借金を返したので、もういいかなと話していました。“粗にして野だが卑ではない”が座右の銘。たとえ言動は粗野でもひきょうなことはしない、この言葉通りの誠実な生涯でした」
「週刊新潮」2026年6月25日号 掲載
