【押井守】不遇の時代を迎えて気づいた「作家である必要はない」理由
そこで今回は、押井氏自身が「不遇の時代」であったと形容する『天使のたまご』公開後のキャリアを中心にお話を伺った。
――押井監督の作家性を前面に押し出した『うる星やつら 2 ビューティフル・ドリーマー』がヒットしたあと、翌1985年にOVA『天使のたまご』が発売されました。まずは、この時期の心境について教えてください。
押井 当時はイケイケだったから何をやってもいいんだと思っていたけれど、『天使のたまご』(以下、『天たま』)は、見る側に準備がなかったところにいきなり出してしまったという不幸があったかな。静謐なファンタジーというか、派手なアクションシーンがあるわけでもないし、まずどう見たらいいのかわからなかったんだと思う。
――商業的な側面が『天使のたまご』にはなかった、ということですか。
押井 そう。いま思うと『ビューティフル・ドリーマー』は「うる星やつら」から派生している映画だから、同じようなテーマを扱っていても見やすかったんですよ。最近でいえば『魔法少女まどか☆マギカ』みたいなもので、とんでもないことやっていても魔法少女というベースがあるから見ていられる。
――確かに、事実として『天使のたまご』はいわゆるヒット作品とはなりませんでしたね。
押井 いまから思えば、少なくとも「人様のお金で作って、不特定多数に見てもらって回収する」という商業主義の世界でやることではなかった(笑)。
でも僕は全然後悔していない。やりたいことを全部成立させたし、いまの(アニメ業界の)状況では生み出せない、まさに希少種みたいな作品にはなったから。
――『天使のたまご』以後、アニメ監督としてのオファーは減ったとご自身で振り返られています。
押井 覚悟はしていたけれど、これほどとは思わなかった。ものの見事に干されたからね。アニメ業界は狭い世界だから、余程のことがなければ監督には仕事があるはずなのに、本当に仕事が来なくなってしまった。
――その空白の3年間は、どう過ごされていたのでしょう?
押井 山ほど企画書を書いた。月に何本かそれをまとめて持ち込んで、それ以外はひたすらゲームをしていた(笑)。
「手がちぎれるほどゲームをやっているのに、なぜこれで食えないのか」と思ったことが『アヴァロン』(2001年)の企画に発展したし、『立喰師列伝』もそのときの企画。のちの仕事のほとんどが、このときの企画書をベースにしている。
けっきょくのところ野心は満々だったし、挑戦的な企画ばかり持っていくものだから、「面白いけど、うちではちょっと……」で終わっちゃってね。いま思えば当たり前だよ、「こいつ反省してないじゃん」ってことなんだから。
――そのころの企画のひとつに『ルパン三世』幻の劇場版第3作があったかと思います。どんな内容だったんですか。
押井 宮(崎駿)さんは多分『ルパン』自体が好きだったんだけど、自分でもう一回やる気はなかったから、後釜を探していたんだよ。それで僕が誘われて、徳間康快さんと話をして、「じゃあやりますか」とその場で企画がスタートした。企画をやっている間は、お金をもらって建築や核兵器、イスラエル関係の勉強もできたから、とにかく楽しかった。
旧約聖書のメタファーに満ちたお話なんだけど、これがなんでダメになったかと言えば、やっぱり懲りていなかったからだよ。『天たま』と同じことをやる気配が濃厚になったから、脚本が上がった時点で「これは無理です」と当然のごとく流れた。
実際、いざ久々に仕事やった仕事でも『天たま』と同じものが出来上がってしまったしね。
――1987年のOVA『トワイライト Q 迷宮物件 FILE583』ですね。
押井 そう。話が相変わらずわからないうえにメタファーで埋め尽くしていて、「女の子が白いヘルメットをかぶって鼻をすするチビ、イケメンの男の子が中年の親父に変わっているだけで、まんま『天たま』じゃん」と言われた。まあこっちも「白いヘルメットは卵の殻の比喩で、『天たま』の卵から出てきた女の子なんだ」って現場でしゃべったりもしたんだけれど(笑)。
むしろそこまで開き直ったらどうなるのか、という思いがそのときはあったんだよ。でも、結果は同じだった。『迷宮物件』も売れなくて、シリーズ自体の制作が止まってしまった。
だから次の『機動警察パトレイバー』(1988年〜1989年)をOVAでやるときには、はっきりと売れることを意識した。要は『うる星やつら』の延長線上で「非日常のなかの日常」を描けばいいと思ったし、戦略的に振る舞うことを覚えた。ただ、映画になるとそれだけでは持たないわけでさ。
――『機動警察パトレイバー the Movie』(1989年)は、押井さんらしい思索もありつつ、エンタメ要素にも満ちた作品になっていますね。
押井 ここで再び聖書と方舟を持ち出した(笑)。見れば丸わかりで、けっきょく『天たま』から離れられないし、どこかしらであそこへ回帰してしまうんだ。そういう意味において『天たま』は自分にとって重要な位置を占めるものにはなったわけだけれども、商業的な結果としては徳間さんの狙いだっただろう「第二の宮崎駿」にはなれなかったわけです。
――それはやはり、全然反省されていないということですか。
押井 本質は何も変わらないよ(笑)。ただ、周りを幸せにしないと自分も幸せにならないことがわかってからは、巧妙になった。
商品として求められているのは、快感原則――つまり暴力とエロ――とキャラクターの二大要素。これをちゃんと描くから、あとのことは許してねっていう(笑)。
――そこから、より打算的に作品を作るようになったということですか?
押井 その点は「懲りた」というわけではなくて、年を取って自分のなかで受け入れられるようになったからかな。それは「監督が作家である必要はない」ということ。
考えてみれば自分の企画中心で動いていたころは、いろいろと不自由することが多かった。それを経て自分は作家ではないことを認識したし、いまはむしろそうではないこと――与えられたテーマをどうやって自分流にこなすかを楽しんでいる。
言ってみれば板前みたいなもので、素材は決まってるんだけどちょっと自分の技が入っていたり、実はこっそりいろんなことを試している、みたいなさ。
だからいまは、原作もの大歓迎。極端なことを言えば、『ドラえもん』だって『ポケモン』だって『NARUTO -ナルト-』だってなんだっていいよ。多分来ないけど(笑)。
――見てみたいですけれどね(笑)。
押井 実は『NARUTO -ナルト-』は一回やりかけたことがあるんだけど、途中で頓挫した。もともと僕は増殖するキャラクターなんかが大好きだから、ナルトの影分身の術が気に入ってさ。影分身の術を使って修行すると時間を圧縮できるって面白い発想だから、これでなにか出来そうだなと思ったんだけど。
――では最後に、『天使のたまご』が4Kリマスターとして公開されるにあたって、一言いただけますでしょうか。
押井 この機会があって改めて何回も見直して、自分がしでかしたことの実態を考えるきっかけになったよね。これがどういう事業計画のなかに入っていたのかはわからないけれども、それは僕の気にすることではないから(笑)。
あとは、この作品と改めて向き合うことで、映画監督とはどういうものかを考え直す貴重な時間をもらえたとも言える。40年経ってもブツが残っていて、お客さんに見る意思があれば、いくらでも再現性がある。これこそが映画という仕事の面白さだと思うんだよね。
「宮崎駿」の「崎」は「大」の部分が「立」になる字が正しい表記。
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