100年後を生きている人が唸るような「買い物上手になりたい。」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの【卒業式、走って帰った】

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動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。今回は篠原さんの考える上手に買い物をするために必要なスキルや条件のお話です。
※NHK出版公式note本がひらく」の連載「卒業式、走って帰った」より

買い物上手になりたい。

 最近、すてきなものを買った。
 オンラインストアを見てずっと気になっていたヴィンテージジュエリーのセレクトショップ「CHIROL VINTAGE」が『虫とボタニカル』という、虫および植物をモチーフとしたジュエリーのリアルの販売展を開催したのだ。このセレクトショップは、モチーフが面白かったり、素材が面白かったり、一癖あるのに端正なデザインの大変すてきなものばかり並んでいるのだが、大抵アップされてすぐに買い手がつく。「sold out」と表示され、誰かのものになっていったすてきなものたちを今まではただ眺めるだけで過ごしていたのだが、ついに買おうと思えば買える機会がきたのである。

 それはそれは楽しみに開催日を指折り数え、当日は、開場30分前に到着して3番目の番号札をもらった。
 私の博論の研究テーマの昆虫であるミツバチを中心に、心に飛び込んでくる品を探してショーケースを舐め回すように見ていく。
 どれもこれも本当にすてきな品ばかりで、宝石や貴金属が使われているものは高価なのだけれど、ガラスやセルロイドで出来ているものはお手頃な価格で並んでいた。
 その中で、一際輝いて見える素材のブローチを見つけ、もしやと思い、オーナーの方から説明を聞くと、玉虫厨子(たまむしのずし)のように、本物の昆虫を使ったブローチであった。しかも100年も前の物である。「時間」というのも、また、私にとっては、とても魅力的な付加価値で、誰かが使っていたという歴史があるものが好きだ。この世では出会うことが難しいくらい生まれる年の離れた誰かが、自分と同じものを良いと思った事実にときめく。
 玄人好みのアイテムで値付けに苦労したとおっしゃっていた。もともとあったであろうガラスの一部が無くなっていることから、かなりお安く販売しているとのことで、値段を聞くと、想像していたよりもだいぶ手が届きやすい値段であった。
 このブローチに関しては、買わないという選択肢はなく、一瞬も迷わず購入を決めた。
 他には、事前にInstagramでチェックして目をつけていた樹脂製のミツバチモチーフの小さなブローチと、迷いに迷ったあげく、ゴールドプレートの植物モチーフのネックレスを購入した。

 以前もエッセイに書いたことがあるが、私は自分に対してのみ割とケチな方で、自分のために数万円のものを買うのに慣れておらず、日頃は買い物の喜びよりも買い物の憂鬱さが勝ってしまうのだが、この『虫とボタニカル』フェアの帰り道はひたすら晴れやかな気持ちだった。
 選んだものに、一欠片(ひとかけら)の後悔もなく、「ああ、買ってよかった」と思った。
 なぜ、今日だけいつもより高いものを買っても気持ちが晴れやかなのか考えたところ、私が本当に欲しいものだけを買えたという確信があったからである。

 「自分が本当に欲しいものだけを買う」これが意外と難しい。自分の浪費の憂鬱を他人のせいにするのは忍びないが、生きていく中で、いろんなものを欲しいような気持ちにさせられてしまうことはよくある。誰かがすごく良いと評価したものは気になるし、何かが売り切れ続出と聞けば、探して買ってしまうし、雑誌やネットをぼーっと見ていると、もともと欲しいと思ったことのないものまで、欲しいような気になってしまうのだ。つい最近まで知りもしなかったラブブ(キャラクターのぬいぐるみ)なんかも、流行(はや)っていて品薄と聞いただけで欲しい感じがしている。
 買い物歴はもう25年くらいになっているが、いまだに、私は、「良い」と「欲しい」と「必要」の区別がまるでついていないし、なんなら、「他人が欲しがっている」と「自分が欲しい」すらも混同してしまうことがある。
 この世界は、良い商品であふれ過ぎていて、自分が心の底から欲しいと思うものだけを買って生きることは、私にとって不可能に近い難しさをしている。だから、「買うこと」全般をうっすらと恐れ、ストレスを感じてきた。

 長考して購入に至ったゴールドプレートの植物モチーフのネックレスもやはり買ってよかったと心から思った。
 購入を迷った理由も、よく考えれば自分にとってはどうでもいいことだった。私は、近い将来、18Kか24Kのいかついネックレスを買おうと考えていた。金のネックレスが欲しいという気持ちと値上がりしそうという欲目によるものだ。ここでゴールドプレートのネックレスを買えば、だいぶ価格としては抑えられるのだけれど、資産価値を意識したネックレスを買うことはなくなるだろうという思いがよぎって、かなり迷った。しかし、本当に気に入ったものなら売る必要はないし、資産性を追求するなら、金の積み立ての方が適切だ。

 購入しても商品は会期終了までは会場のショーケースの中に展示される。手ぶらで帰る道の途中、自分の買った素晴らしい品物に思いを馳せながら、ふと「私の好きなものが石じゃなくて虫でよかったな」と思った。
 私が今日見たジュエリーの中で最も心引かれたのは、本物の昆虫を使ったブローチだった。実際には、マットな深緑なのだけれど、どの宝石よりも輝いて見えた。ガラスが剥げているだけで安くなっているなんてラッキーだと思った。
 逆に「虫」にはこだわりが強いので、ジュエリーとして申し分なく素晴らしかった「クモとそのクモに狙われている昆虫が細いチェーンで繋がれたブローチ」は泣く泣く購入を見送った。なぜならば、本来8本であるはずのクモの脚が6本だったからである。かなり欲しかったので、クモは脚を1~2本失っても問題なく生活できるが、3本失うと網を上手に張れなくなるという研究を思い出し、「脚を2本失ったクモ」として自分自身をなんとかごまかして説得しようかとも考えたが、やはり、これだけは譲れないこだわりだった。

 心から宝石が好きな人は、心ゆく買い物をするハードルが、私と比べてだいぶ高い。昆虫と宝石の価値が逆転した世界で生きていたら、私は、手の届かない昆虫たちをどんな気持ちで眺めるのだろうか。「一生物だから」と思い切って、ごく小さなパプアキンイロクワガタを清水買いする自分を想像すると、今の、手軽に昆虫を手に入れられる世界に生きていることの幸運を改めて抱きしめたくなる。

 もし、私が現在世の中にある貨幣という共通の基準から完全に解き放たれ、己の価値観のみで生きることがあるならば、どちらかもらえると言われても、エメラルドよりもアオカナブン、ダイアモンドよりもオオクワガタを選ぶと思う。しかし、それが真に幸せかと考えると、難しい。もし、そんなことになれば、全ての紙幣を「ただの数字の書かれた紙じゃん」と思って、一瞬のうちに色とりどりの昆虫や季節のフルーツ、乾燥の海鮮珍味、観劇体験、手触りの良いタオル、変わった観葉植物、厚底の靴といったすてきなものと無制限に換えてしまい、いざというときに困っている自分の姿も容易に想像がつく。そう考えると、少なくとも共通の価値観の一つである貨幣経済は、私の消費行動に一定の秩序をもたらしているといえる。

 上手に買い物をするために必要なスキルや条件は多い。あふれかえっている有象無象の情報に流されず、自分が本当に欲しいものを見つけ出す審美眼、買うべきときに買うことができる度胸と資金、欲しいものを買い過ぎない自制心。それ以外にもたくさんの事情が関係していると思う。

 今回の良い買い物をした経験を糧にして、これから、もっと買い物上手になりたい。買ってよかったと思うものしか並んでいない部屋に住みたい。100年後の同好の士を唸(うな)らせるような物を買いたい。

ブローチコレクションの一部(今回買ったブローチは中央):篠原さん提供

プロフィール

篠原かをり(しのはら・かをり)
1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)、『歩くサナギ、うんちの繭』 (大和書房) 、『かわいいが見つかる! 推しいきもの図鑑』(永岡書店)、『見つけたら神! すごレア虫図鑑』(日本文芸社)などを出版。

バナーイラスト 平泉春奈

NHK出版 本がひらく(外部リンク)