前原誠司・前民進党代表

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衆院選では民進党代表として、小池百合子・東京都知事が率いる希望の党との連携を決断した前原誠司氏。その結果は惨敗だった。民進党は立憲民主党、希望の党など4つに分裂し、「安倍1強」の政治体制が残された。「総選挙敗北、野党分解のA級戦犯」と批判のある前原氏を、ノンフィクション作家の塩田潮氏が直撃した――。

■何もしなかったら政治人生は終わっていた

【塩田潮】10月の総選挙では、民進党代表として小池百合子・東京都知事が率いる希望の党との連携を決断しましたが、希望の党の獲得議席は50にとどまり、民進党は立憲民主党、希望の党、衆議院議員13人の無所属の会、参議院議員を中心とする民進党に4分裂しました。野党再編を目指した前原さんと小池さんの戦略は失敗に終わったと見られています。

前原誠司・前民進党代表】私はあの決断についてはまったく後悔していません。さまざまなボタンの掛け違えで、与党が3分の2の議席を獲得した。「1強」を壊せなかったことについては非常に残念な思いですが、あの決断はあれしかなかったと思っています。

【塩田】前原さんに対して「総選挙敗北・野党分解のA級戦犯」という批判もあります。

【前原】2012年の民主党政権崩壊については、私はその「A級戦犯」の一人だと思っていますが、今度のことで「A級戦犯」と言われたことはないですね。「何もしなかったら無能と言われていた。チャレンジして失敗しても無能とは言われない」と評価してくれた方がいましたが、何もせず、離党者が続出し、自分の心と違う共産党とのすみ分けをやり、それで獲得議席が半分以下になって、責任を取って辞めろと言われたら、私の政治人生はそこで終わっていた可能性があります。今回はこれを決断してよかったと思っています。

【塩田】民進党代表に就任したのは9月1日でした。

【前原】1年前も代表選に出て蓮舫さん(元民進党代表)に負けた。民進党の再生は、国民の負担率を上げてでも、みんなの税でみんなを支え、みんなが持っている不安を解消するという「オール・フォア・オール」 (All for All)の考え方に立って、自民党の経済モデルであるアベノミクスとは違う国家像を示すことが不可欠と確信し、これを民進党の考えに、次の総選挙の旗に、という思いで代表選に出馬しました。

【塩田】代表選出馬の段階で小池さんの国政進出や小池新党を意識していましたか。

【前原】それはありました。蓮舫さん辞任の直接の原因は都議選惨敗でしたから。小池さんは次は国政に出てくるのでは、と言われていたので、非常に意識していました。

【塩田】「安倍晋三首相が解散を決意か」と報じられたのが9月半ばでした。

【前原】さみだれ式に離党者が出て、代表就任後、リスクマネジメントしなければという状況に加え、幹事長予定者がスキャンダルで起用見送りどころか離党となる。足元を見透かすように解散に打って出たわけですが、私には2つの選択肢がありました。一つは共産党、社民党、自由党との野党共闘、もう一つは小池新党との連携です。

日米安保条約破棄を唱え、消費税を認めない共産と政権選択選挙で組むことには非常に違和感があった。離党者もそこが大きなポイントでした。私はど真ん中に持っていきたいと思った。一方、小池さんが希望の党結成を表明した直後の毎日新聞の世論調査で「総選挙での比例区投票先は自民29%、民進8%、希望18%」と出た。民進党内はさらに浮き足立ち、集団離党もという雰囲気になる。私は小池さんと組むしかないと決断しました。

【塩田】小池さんは保守2大政党論者だと思いますが、前原さんもそれが持論では。

【前原】そうですね。小池さんとは日本新党で一緒でした。自民党とは別に新しい保守政党と言って細川護煕元首相が結成した党で、ともに保守を自認していた。1992年の参院選で小池さんは日本新党の比例区の候補で、京都府議だった私は近畿・四国遊説隊長として裏方を務めました。翌年の総選挙では同じ日本新党の候補で、応援にもきていただいた。小池さんには少なくとも外交・安保政策は左ではないという安心感がありました。

■一番激しい交渉は公認候補の問題だった

【塩田】今年6月、細川さんが前原さんや小池さんと接触したと報じられました。

【前原】それはばらばらで、3人で会ったのではありません。私は6月2日、東京・銀座の細川さんの書や陶芸の個展に伺い、細川さんと小1時間、話をした。私は将来的に小池さんと連携できるのではと思っていた。政界再編をやらずに民進党で次の総選挙に突っ込んでも無理という思いがあったから、細川さんに話をしました。そこで「日本新党の同窓会を」とお願いした。やりましょうという話になり、私がツイッターに「日本新党が私の原点」と書いたら、相前後して小池さんも「日本新党が原点」と発言された。それで3人が話し合っているのではという記事が出ました。

【塩田】細川さんは小池さんにどんな働きかけを。

【前原】それは私にはわかりません。ただ、解散になりそうだという9月17日、私は小池さんに連絡を取ろうとした。その日、向こうからもある方を通じてアプローチがあった。双方同時でした。阿吽の呼吸です。

【塩田】小池さんが前原さんにアプローチした狙いは何だったと思いますか。

【前原】小池さんは民進党と組まなくても、首都圏を中心に、ひょっとしたら60〜70議席取れたと思うんですが、それではなんの意味もないと思った。首相に、と思ったかどうかは別にして、今の安倍政権と違う保守の勢力を生み出し、保守2大政党政治をつくるチャンスと判断した。それで私にアプローチをしてきた。私も民進党が総選挙で小池新党とガチンコで戦ったら、目も当てられないと思った。お互いの利害が一致したと思います。

【塩田】小池さんの側との事前交渉で問題となった点は。

【前原】初めての本格的交渉は9月22日で、小池さんが信頼する右腕の代理人の方と3時間半くらい話し合った。国会議員ではありません。向こうは組むつもりかどうか、私も疑心暗鬼でした。はしごを外されるかもしれないから、注意深く接しました。向こうもそうだったと思います。いくつかの事項を確認して、これは本気だなと思いました。

一番激しい交渉となったのは公認候補の問題でした。総選挙の小選挙区は 289ですが、私は「3分の2をこちらに」と主張しました。向こうは「それだと、第2民進党と言われる。2分の1ずつに。こちらには現に160人くらいの候補者がいる」と言う。代理人の方が「小池さんはもう65歳です。国政政党の党首として、ここで60〜70議席を取っても、なんの意味もない。選挙が強くて、かつて政権中枢にいた民進党の方々の経験を生かしながら、政権交代まで持っていきたい」「選挙協力は駄目。一緒になって、選挙はすみ分けで」とおっしゃる。そこで「3分の2と3分の1」か「2分の1ずつ」かという話はそのままにして、候補者調整をということで進めていきました。

【塩田】小池さんが民進出身候補の丸ごと受け入れは「さらさらない」と発言して選別路線を打ち出し、「排除の論理」と言われました。

【前原】私が見たことのない「排除者リスト」が飛び出して、民進党内に疑心暗鬼が生まれました。ですが、交渉の最中だったので、私は何も言わなかった。

【塩田】排除者リストは、前原さんに相談なく、向こうが勝手に流したのですか。

【前原】出所がよくわからない。何よりも私には提示されていません。リストに野田佳彦元首相が入っていたというんです。松下政経塾の先輩で、大事な方と思っているので、小池さんに電話して「野田さんも排除するのですか」と言ったら、「そんなつもりはまったくない」という話でした。その例を一つ取っても、排除者リストは事実ではなかった。

小池さんが表で何を言われようが、私はわれわれ全員を公認すると思っていた。ですから、候補者調整では排除者リストには言及しなかった。交渉は、こちらは玄葉光一郎さん(元外相)にやってもらった。向こうは若狭勝さん(前衆議院議員)が出てきた。私は玄葉さんに「もし排除者リストなるものが出てきたとしても、気にしないでくれ」と申し上げた。玄葉さんも「若狭さんからそれは出てこなかった」と言っていた。

ほかに、若狭塾の第1次公認リストが流れました。ですが、私は「若狭塾のポッと出の人が準備もなく当選できるような甘い選挙ではない。東京は小池さんの人気で勝てるかもしれないけど、地域で根を張って活動し、連合との関係をきちんと築いてきた人たちを公認しなければ駄目ですよ」と申し上げた。民進党としてやっていた世論調査に基づく各選挙区の情勢分析を向こうに全部渡して「これも参考にしてくれ」と言って交渉しました。

■枝野氏は「もう止められない。新党をつくる」

【塩田】政策協定については、どんな交渉を。

【前原】私と小池さんが最終的に合意したものにサインすることにした。ところが、誰が漏らしたかわかりませんが、「踏み絵」と言われた原案が向こうから漏れた。私が見たことのないものです。それがまた疑心暗鬼を生み、交渉を非常にまずくした感があります。

政策協定については、私が小池さんに連絡して、政策責任者で話し合ってもらうことした。向こうはこれも若狭さん。本当に人がいなかったと思います。こちらは民進党政調会長だった階猛さんに出てもらった。階さんが「とても呑めるようなものではありません」と言うので、チェックリストをつくって球を投げ返すやり方にしました。

われわれが憲法違反の部分があるからと言って反対した安保法制では、まったく同意するという内容でしたが、「憲法にのっとり」と「不断の見直しを行う」という2つの言葉を入れました。私の「オール・フォア・オール」の考え方がまったく載っていなかったので、新たに再分配政策を厚くして人々の不安をなくしていくという項目も加えました。

【塩田】希望の党との連携について、小沢一郎自由党代表とも話し合ったのですか。

【前原】あれほどの政局観を持った方はいません。前からアドバイスをいただいていましたが、小池さんも小沢先生の力を借りたいと言っていたので、9月の15日か16日に話をする機会をつくってもらった。「解散になりそうですが、どういう選択肢があると思いますか」と尋ねたら、「前原代表はどう思う」と言って、自分の考えをおっしゃらない。私は「2つの選択肢が」と言った。野党共闘を主導してきた方だから、てっきり「共産も含めて」と言うかと思ったら、「小池さんとうまくやれたら一番いいな」とおっしゃった。

小沢先生は、私の決断について、これしかないという判断でした。共産党との関係は自分が最後はなんとかすると思っておられたのでは。そこを視野に入れて話をされていると思いました。小池さんとの合流がうまくいき、小沢先生も絡んで共産の候補者を下ろさせるのがパーフェクトにできていたら、仕上がりは全然違ったと思います。

【塩田】民進党で希望拒否組が枝野幸男元官房長官を擁して立憲民主党を結成し、民進党が分裂となりました。

【前原】私は枝野さんは大事な人だと思っているので、選挙区の埼玉5区は当然、枝野さんということで確保し、長妻昭さん(元厚生労働相)も近藤昭一さん(元環境副大臣)も小選挙区の候補としてきちんとブロックしていた。ところが、外される人がいるのではと騒ぎ始めて、代表選で枝野さんを応援した人たちが「新党を」と言い出した。私の感覚では枝野さんは乗り気で新党をつくった感じではなかった。もちろん私は「一緒に」と言って止めた。だけど、最後は抗し切れなかったと思います。「信頼してほしい」と言ったら信頼しようとしたし、「言われているほどひどい交渉ではないね」と納得してくれましたが、電話があり、「申し訳ない。もう止められない。新党をつくる」ということでした。

記者会見で「想定外か想定内だったのか」と聞かれ、まったく予想しなかったというわけではなかったので、「想定内」と答えましたが、私は誰かを排除するつもりはまったくなかった。全員を連れていこうということでした。記者会見で「日本新党時代から24年、ずっと一緒にやってきた枝野さんと別れるのはきわめて残念」と言いましたが、取り上げてもらえなかった。初めから切るつもりだったと捉えられたのは残念でした。

【塩田】解散の後、希望の党が核となって「1強」体制を壊せるかもしれないという感触を持った瞬間はありましたか。

【前原】一時期、ありました。民進党と小池さんが合流し、小池さん自身が総選挙に出て「安倍さんか小池さんか」という選択になれば、ひょっとすると、と思った時期はありました。ただ小池さんは私には「知事を辞めるつもりはない」と言い続けていました。

【塩田】実際に総選挙を戦い、有権者と接して、どんな空気を感じましたか。

【前原】強く感じたのは希望の党の不人気です。希望で出てもらった人たちには本当に申し訳ない選挙でした。12日間の選挙期間がこれほど長く感じたことはなかった。小池さんとも2回くらい一緒に街頭演説をやりましたが、人は集まっているけど、しらーと冷たい選挙でした。私自身は小選挙区で無所属ですから、負けたときに比例区での復活当選がない。日に日に雰囲気が悪くなっていくので、今回は本当に落選を覚悟しました。

■希望と維新の合流は政策・理念の一致が条件

【塩田】希望の獲得議席は、立憲民主にも及ばず、前原さんを含まずに50でした。

【前原】一言で言うと、よく50で踏みとどまったなという感じです。ですが、比例区の得票を見ると、1年前の参院選での得票は自民2011万票、民進1175万票だったのに対して、今回の総選挙での総得票は自民1856万票、立憲民主1108万、希望 968万で、立憲と希望の合計は2076万です。一緒にやっていたら、と思います。自民党が勝ったというよりも、われわれの内部分裂で、小選挙区制度で勝てなかったという感じです。

【塩田】小池さんは総選挙の後、玉木雄一郎さんが共同代表に選出されたのを見届けて代表を辞任しました。現在、小池さんを政治リーダーとしてどう評価していますか。

【前原】代表辞任のとき、電話があり、「玉木さんに任せたほうがいいのでは。自由にやってもらって、われわれでサポートしましょう」とおっしゃったので、「それでいいのでは」と申し上げた。完璧な人間はいないと思いますが、都知事選に打って出た勝負勘、リスクを取る胆力、都議選での風の起こし方など、私は今でもなかなかの政治家と思っています。今回、小池さんは一番割りを食ったと思いますが、これでへこたれる方ではない。

【塩田】前原さんは選挙後、民進党代表辞任、離党、希望入党を決めました。

【前原】当初は、衆議院の候補者は全員、希望で戦い、選挙後にそのまま残していた民進党の参議院議員と地方組織も希望へ、という計画でした。民進党を離党すれば代表ではなくなるので、選挙は無所属で戦い、選挙後もしばらく残ったのは、参議院議員と地方組織をどうするか、決めるためです。希望への合流は白紙にして、民進党と地方組織を残すと決断し、党の両議院議員総会、全国幹事長会議で取りまとめて辞任しました。

私の希望入党は、代表選が始まって「代表選の有権者は国会議員53人で確定」という手続きを行いましたので、ちょっと待ってくれという話になりました。入党の手続きは新執行部でというのが暫定執行部から回答で、それに従いました。

【塩田】分裂した野党は今後、どんな方向を目指すのがいいと思いますか。

【前原】総選挙が終わったらもう一度、元の鞘に戻ればいい、と言った人もいますが、国民をばかにした話です。数合わせで考え方が違うところと組むと、今までと同じになる。立憲民主と希望は色合いが違う政党です。希望は、外交・安全保障政策は現実路線で、憲法問題もタブーなく議論する。内政では自民党の「自己責任型社会・小さな政府」ではなく、「オール・フォア・オール」で不安のない支え合いの社会をつくる路線です。

立憲民主も希望も、コンパクトになった分、考え方が近い人が集まっているので、筋肉体質になったと思う。それはいいことです。その上で、切磋琢磨する。参議院と地方組織がある民進党とも、連合と連携しながら、どう切磋琢磨するかが重要になる。参議院の民進党は向こう1年くらい、どんな器でやるかを考えると思う。連合が抱える12産別労働組合出身の参議院の比例代表候補は、党名でなく、個人の名前を書かせる選挙です。どの党に所属するかわからないけど、個人の名前を浸透させる活動を徹底してやっていただく。

来年以降、どういう器ができるのか。2019年に統一地方選と参院選があります。基本的には分かれた4つが協力することが必要と思います。小沢先生が唱える「オリーブの木」のような形か新党になるかはわかりませんが、今は切磋琢磨することが大事です。

【塩田】日本維新の会との関係ですが、希望と維新の合流はあり得ますか。

【前原】一つの選択肢であることは間違いないと思います。合流となると、政策・理念が本当に一致するかどうかです。「身を切る改革」の維新は、削るばっかりで小さな政府路線だったら、われわれとは違う。ですが、大阪都構想には私は反対ではありません。一度やってみればいい。もう一つはわれわれの最大の支持団体である連合との関係です。連合大阪は維新と決定的に対立している。現時点では連合は維新と組むことにきわめてネガティブです。連合の意向も加味し、相談しながら、慎重に検討する必要があります。

【塩田】総選挙の前、希望は維新とも協議を行い、足並みを揃えました。

【前原】私はそれにはまったく関与していません。総選挙で大阪を全部、維新に渡すことについては、聞いていなかったので、こちらがかなり押し返した面もありました。

■維新との合流は自公に対抗するのが目的だった

【塩田】前原さんは3年前の2014年6月に読売テレビの番組で「将来、維新と合流する可能性は」と聞かれ、「100%」と発言して話題を呼びました。

【前原】維新との合流ではなく、橋下徹さん(前大阪府知事・前大阪市長)と一緒にやるのが 100%なんです。今もメールをやり取りし、一緒に食事もしています。今回の私の決断にもエールを送ってくれています。

私が鳩山由紀夫内閣の国土交通相のとき、大阪府知事だった橋下さんと協力して関西空港と伊丹空港の運営統合をやった。非常にケミストリー(相性)が合う。

維新にはいろいろな方がいる。やんちゃな松井一郎代表(大阪府知事)、その懐刀としてしっかりとまとめる役をする馬場伸幸幹事長(衆議院議員)はなかなかの人物です。

ですが、私は何よりも橋下さんです。一番は発信力、突破力、実行力です。ご自分のことがよくわかっていて、「組織をまとめる、議員の面倒を見るという親分の役割は自分にはできない。それは松井さんにやってもらっている」といつも言います。ただ、人気はありますよ、今でも。私が「100%」 と言ったのは、自公に対抗する大きな家を造るのが目的でした。今回、大きな家になり損ねましたが、まだその途上です。今後、チャレンジするとき、維新とやるかどうかは別ですが、橋下さんとは連携して一緒にやっていきたいという思いがある。橋下さんは今、維新とは一線を画しています。これからどういう形があり得るか、連合ともしっかり話をしながら、見極めていかなければと思っています。

【塩田】橋下さんの政界復帰、国政進出の可能性をどう見ていますか。

【前原】あるんじゃないですか。いつかはわかりませんが。

【塩田】橋下夫人が政界復帰にブレーキをかけているという話も耳にします。

【前原】それは本当ですよ。私は橋下さんとは家族ぐるみの付き合いで、奥さん同伴でよく4人で食事をします。橋下さんは子供が7人いて、一番上がちょうど大学に行き始めた。やはり稼いでもらわなければいけない。大阪の知事と市長のとき、報酬を半分にした。「とてもじゃないけど無理」と奥さんが半分、冗談めかして愚痴をこぼしていました。でも、最後は橋下さんの判断だと私は思いますけどね。

【塩田】これからの政治で、前原さん自身はどんな役割を担っていくお考えですか。

【前原】まずは希望の党のスタートです。玉木代表を始め、執行部をしっかり支える。

来年か再来年かわかりませんが、将来、政界再編が必ずきます。そのためにしっかりと人脈を耕したい。政治は可能性の芸術ですから、与野党のキーパーソンとの人間関係が必要です。今までも培ってきましたが、政治家以外の方も含めて、ネットワークをつくっておくことが大事かなと思います。党の代表は放電するだけですが、これからは充電をしっかりやる。同時に、初当選以来、24年間でうまくいったこと、いかなかったこともすべて経験として自分の体に染みついています。将来を見渡す中で、それを生かしていきたい。

【塩田】2018年、日本の政治が取り組むべき課題は何だと思いますか。安倍首相は憲法改正に挑戦する気構えのようですが。

【前原】憲法改正ではありません。私は日本が土台から崩れ始めている気がする。若い人たちが結婚しない。結婚しても子供を持てないような社会です。一方、「人生 100年」といわれている中で、お年寄りは将来の不安におびえています。教育の土台も危ない。財政面でしっかり手当てしながら、日本の構造をどう支えていくかが大事です。来年は机上の議論だけでなく、自分で現場を回る。日本全体で何が起きているかをつぶさに見て、「オール・フォア・オール」の考え方を補強し、迫力をもって話せるようにしたい。

【塩田】最後に第4次内閣を迎えた安倍政権をどう見ていますか。

【前原】私は見かけほど盤石ではないと思っています。自民党の人たちもわかっていると思いますが、崩れ始めると、意外と脆い政権では。ただ総選挙に打って出て勝ったので、来年9月の自民党総裁3選は固いと思います。問題はその後です。心配なのは、北朝鮮の問題と、カンフル剤を打ち続けて株価を高くしているだけの経済です。構造問題を先送りにしていますので、オリンピックの景気が息切れしたときに調整の時期が必ずくる。それに備えて、別の選択肢をしっかりと示しておくことが大事かなと思います。

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前原誠司(まえはら・せいじ)
民進党代表・元外相・衆議院議員。1962年(昭和37)年4月、京都市左京区生まれ(現在、55歳)。京都教育大学附属高校、京都大学法学部卒。松下政経塾に第8期生として入塾。90年に28歳で京都府議に。92年に日本新党の結党に参加。93年の総選挙で旧京都1区から出馬して初当選した。現在9期目(現京都2区)。96年の総選挙から民主党に。2005年9月から06年4月まで民主党代表を務め、民主党政権の発足で鳩山由紀夫内閣の国交相(09年9月〜)、菅直人内閣の外相(10年9月〜11年3月)、民主党政調会長(11年8月〜)、野田佳彦内閣の国家戦略担当相(12年1月〜12月)を歴任した。17年9月に民進党代表となったが、10月の総選挙の後に辞任し、離党して希望の党に入党した。鉄道ファンで、時刻表マニア。SLの写真撮影が趣味。著書は『日本を元気にする地域主権』(PHP研究所刊)など。

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(作家・評論家 塩田 潮 撮影=尾崎三朗)