「籍を入れて、相手を『私のもの』『あなたのもの』と所有される感覚がどうしても苦手なんです」。歌手の北山みつきさんは日本人との2度の結婚を経て、一夫多妻制のお国柄を持つサンコンさんの第3夫人になる道を選びます。日本の法律上は婚姻関係になれないにも関わらず、2018年、あえてパートナーであることを公表した理由とは。

【写真】サンコンさんもノックアウト?浜辺で50代後半とは思えないスタイルを披露する北山さん(7枚目/全14枚)

きっかけは「サンコンの元気を吸い取りたい」

── ギニア出身のタレント、オスマン・サンコンさんの「第3夫人」となったことを、2018年に公表した歌手の北山みつきさん。おふたりの始まりは、北山さんからの猛アタックだったそうですね。しかも、そのきっかけは、ご自身が大病をされたことだったとか。

北山さん:2016年頃、ニューカレドニアに向かう飛行機の中で経験したことのないような強烈な頭痛に襲われました。すぐに日本に引き返して受診したところ、脳動脈瘤と診断され、カテーテル手術を受けましたが、長期入院を余儀なくされました。

退院後もベッドから起き上がれず、トイレに行くのもやっとの状態。つらくて、痛くて、とにかく元気になりたかった。そんなとき、なぜか頭の中に突如として現れたのが、サンコンの笑顔でした。ただ、その時点では、過去に2度会った程度で「ただの顔見知り」の関係だったんです。

── 病床で突然サンコンさんの顔が…?しかも深い関係だったわけでもないのに、なぜだったのでしょう。

北山さん:自分でもわからないんですよね。でも、極限の状態で誰かに助けてほしかった。ほら、彼って見るからに元気をくれそうじゃないですか(笑)。底知れぬ生命力を感じる彼から「元気を吸い取りたい!」って。

──「癒やされたい」でも「元気をわけてもらいたい」でもなく、「吸い取りたい」だったんですね(笑)。そこからすぐにサンコンさんに連絡を?

北山さん:いえ、しませんでした。同情で会ってもらうのは嫌だったんです。だから「ちゃんと元気になってから会いにいこう」と決めて、それをリハビリの目標にしました。「今日は玄関まで行ってみよう」「今日は犬と散歩に出よう」と。でも、途中で具合が悪くなってベッドに戻る。その繰り返しを数か月間、続けていました。

北山さんの熱烈なアプローチで2016年頃に付き合い始めた

── たった2回会っただけの顔見知りの存在が、つらいリハビリを乗り越える支えになった。それだけ強い思いだったのですね。

北山さん:以前会ったときに電話番号は聞いていたので、リハビリを経て、ある程度動けるようになってから思いきって連絡したんです。ところが彼は私のことを覚えていなかった(笑)。一緒に撮った写真を送って、ようやく思い出してもらい、お互いのマネージャーを交えて4人でお茶をすることになりました。

ただ、私としては、単に「言い寄ってきた女性のひとり」として軽く扱われるのだけは絶対に嫌だったんです。彼はすごくモテますから。だからすぐに告白するようなことはしませんでした。自分が病気だったことも、彼に会いたくて必死にリハビリを頑張ったこともいっさい伏せて。弱っているところを見せて気をひくようなことはしたくなかったんです。守られる「か弱い存在」ではなく、彼の横に並んで立てる女性として見てほしくて。

だから、お付き合いが始まる前から、これまで打ち込んできた国際支援活動の話をたくさんしました。学校を回って文房具やランドセルを集めて送ったり、地元の藤沢市の議員さんと協力して、消防車や救急車を彼の母国であるギニアへも届けたり。ただ彼を支えるだけの関係ではなく、同じ志を持って動けるひとりの人間として、共に歩める存在だと認めてほしかったんです。そうした活動の積み重ねを経て、ようやく対等なパートナーとして認めてもらえるまで、3年くらいかかりましたね。

日本的な結婚は苦手「一夫多妻いいかも?」

── 3年間、パートナーとしての信用を積み上げていく時間でもあったのですね。

北山さん:当時、彼のメンタルが少し参っていた時期でした。彼はすごくお人よしで、信用していた人に騙されたり、大金を取られたりしたことがあったんです。そうした過去の話を一つひとつ聞きながら、心のケアに努めました。騙された経験があるからこそ、彼のなかに「また裏切られるんじゃないか?」という怖さがあったと思うんです。だから、私としては「裏切らない人間」と、わかってもらう必要がありました。

── いっぽうで、当時サンコンさんには、すでにギニアと日本にそれぞれ奥さまがいらっしゃいました。ギニアでは一夫多妻制が認められているとはいえ、日本の感覚で言えば、家庭のある方とお付き合いすることは「不倫」になってしまいます。相手の文化とはいえ、抵抗やためらいはなかったのでしょうか。

北山さん:私自身もバツ2ですし、結婚に対する憧れはとうに消えていました。若い頃は、ふつうの結婚をして子どもを産みたいと思っていたので、一夫多妻は選ばなかったかもしれません。でも、いろんな人生経験を経て、結婚制度そのものに疑問を持つようになっていて。

籍を入れて、相手を「私のもの」「あなたのもの」という所有される感覚がどうしても苦手なんです。独身で自由に動いているときはものすごいエネルギーが出せるのに、妻という役割に入ったとたん、息苦しくなってしまう。関係が型に入ると、自分のなかのパートナーへの熱がしぼんでしまうんだと思います。

76歳バースデーのチャリティーパーティーにて感激で涙するサンコンさん

── 型にはめられると、自分らしさやエネルギーがしぼんでしまう。そうした感覚は、昔からあったのでしょうか。

北山さん:父が海外赴任をしていた関係で子どもの頃から多様な価値観に触れて育ったため、日本の「こうあるべき」という同調圧力にずっと生きづらさを感じてきました。中学生の頃からは自我がはっきり出てきましたが、日本の社会では同じように振舞うことが求められる。「つまらないな」とずっと感じていました。

大人になってからも、みんなで連れだってランチをして夫や子どもの話をしたり、昔の話で盛り上がるような空気が苦手で。私は子育て話や過去の話より、もっと「これから何をしようか」「未来をどう生きていくか」という話をしているときのほうがワクワクするし、自分らしくいられるんです。

これまで60か国ほどを訪れましたが、日本を一歩出ると自分のなかにパッと火がつくんです。日本では言いたいことを言うと雰囲気が悪くなるけれど、海外は思ったことを主張し合うのが当たり前。自分で切り開いていかなければならない環境のほうが、パワーが出て「生きている実感」があるんです。

「夫婦としての公表」が大事だった訳

── 入籍にはこだわらないいっぽうで、「(第3夫人として認められる)互いの関係の公表」には強くこだわったそうですね。その違いはどこにあったのでしょう。

北山さん:日本の法律では一夫多妻は認められていませんし、ギニアで籍を入れると国籍などの手続きが複雑になってしまうため、あえてどちらの国でも籍は入れていません。だから、私たちは法的に守られた夫婦ではないんです。でも、だからといって隠された存在のままでいるのは違うと思ったんです。同じ日本にいながら、1日一緒に過ごしても、彼は第2夫人と暮らす家に帰っていく。外から見れば、まるで人に言えない不適切な関係のように見える。それがどうしても受け入れられませんでした。

また、サンコンが熱中症になり、救急車で運ばれたとき、私は検査室に入れてもらえませんでした。「妻です」と伝えてもふたりの関係を示すものがない。公表したからといって法的な証明になるわけではありませんが、公表したことで「本当に奥さんなんですか?」と、疑われ続けることはなくなります。私にとってその違いは大きかったです。

だからこそ「発表してくれないんだったら別れる」と、彼には何度も伝えました。私にとっての結婚の形は、入籍ではなく、堂々とパートナーとして公表すること。ギニアにも行き、時間をかけて説得して、ようやく2018年に公表できたときは胸のつかえがとれてホッとしました。

ギニアにランドセルを届ける活動はすでに10年以上。ギニアにはサンコンさんが作った小学校もある

── ただ、現在もサンコンさんとは同居されていないと伺いました。

北山さん:もともと私は尽くすのが好きなタイプなので、一緒にいると何から何まで全部やってしまうんです。そうすると相手の気持ちも、「妻」から「お母さん」になり、相手のことに全力になればなるほど、自分が打ち込みたい活動に100%の力を注げなくなってしまいます。

私には、長年、慈善活動を通じて思い描いてきた、ギニアに学校を作りたいという大きな夢があります。だから、ある程度の距離を保ちながら、自由がきく今のスタイルが私には合っているんです。離れて暮らしていてもよく会うし、1日20回以上、LINEが来ますから(笑)。情熱的な愛情も、自分の夢も思う存分追うことができる。私にとってはこの生き方がいちばん自分らしくいられる気がします。

取材・文:西尾英子 写真:北山みつき