孫家邦はなぜ坂元裕二と映画を作ったのか “遠いところまで来てしまった”『片思い世界』
『花束みたいな恋をした』(2021年)の脚本家・坂元裕二と土井裕泰監督が再びコンビを組んだ『片思い世界』が現在、全国劇場で公開中だ。この両作品を生んだ製作プロダクション、リトルモアは、映画製作ばかりでなく、出版、アートディレクション、ギャラリー、タレントエージェンシー、演劇公演など、あらゆる文化事象を手がけ、日本のカルチャーシーンを30年以上にわたり揺さぶってきた。
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多岐にわたる活動を休むことなく画策してきたのは社主であるプロデューサー・孫家邦(そん・かほう)である。これまで個別の取材を受け付けてこなかった孫プロデューサーのインタビュー取材を実現し、前後編でお送りする。前編の今回は、公開中の新作『片思い世界』について語ってもらった。(荻野洋一)
●孫家邦と坂元裕二の“長い歴史”
ーー『片思い世界』は『花束みたいな恋をした』チームが再集結した作品ということもあり、情報発表時から大きな話題となりました。
孫家邦(以下、孫):「1人の作家と3本はやる」というのを責務のように感じています。それは関係性が熟成していくことの醍醐味を知っているからです。『花束みたいな恋をした』のあと、すぐに僕はまたやりたいと思ったんですけど、問題は坂元裕二がまた書きたいと思うかどうか。坂元さんが書く書かないは別として、土井裕泰監督とは「またやりましょう」と話していたところ、坂元さんの方から「やりたいことがまた出てきた」と言ってきた。やりたいのは3人の女の子の話だ、合唱団だと。改めて驚かされたのは、まだ本人が1行も書いていない段階で、役者さんの所属事務所に「スケジュールを開けていただけますか? まだ何もお見せできるものを用意できていませんが、3人の女の子のお話しです」とこちらが言っただけで、事務所サイドから即答に近いOK返事が来るんです。そんな状況は黒澤明以来のことですよ(笑)。
――『片思い世界』の3人の主人公――美咲役の広瀬すずさん、優花役の杉咲花さん、さくら役の清原果耶さん。現在の日本映画・ドラマ界を牽引する3人の俳優が結集しました。また、美咲が思いを寄せる幼なじみの典真役に横浜流星さんと、きわめて豪華キャスティングです。『花束みたいな恋をした』にも出演していた清原さんを除くと、リトルモア作品初登場ですね。
孫:広瀬すずさんに映画に出ていただくのは初めてですが、以前、ポストカードサイズの小さな写真集をリトルモアから出したことがあります(『広瀬すず 東京デート』 写真=長野陽一/2015年刊)。2日間ほど上野公園とかそのあたりの下町を歩きながら撮影したものです。一方、杉咲花さんは映画をものすごくたくさんご覧になっている方で、石井裕也監督へのお手紙をリトルモア気付でくださったりして(『舟を編む』『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』がリトルモア製作であるため)、映画に対して非常に真摯で前向きな役者さんだということは以前から存じ上げていました。
――じつは坂元裕二さんは元々、映画に対してかなり距離を置いていたそうですね。「自分はテレビ屋であって、映画の作り手には向いていない、そして映画人が怖い」という意識をお持ちで。その坂元さんを映画に向かわせるまでに、長い熟成期間があったと聞きました。リトルモアと坂元さんの最初の仕事は2篇の朗読劇からなる書籍『往復書簡 初恋と不倫』で、これは2017年の刊行です。
孫:その前にもっと長い歴史があります。むかし、ある俳優事務所が毎年、隅田川花火大会に屋形船を出す会を催していたんですよ。2001年ころの会だったか、行定勲監督、岩井俊二監督の顔も見えるなか、坂元さんも奥様の森口瑤子さんと一緒に参加していた。その時に初めて話す機会があって、「(森口瑤子主演の映画)『UNloved』はすごい傑作だね」と言ったら、「あれ、大傑作ですよね」と応答してくれて、それ以来、たまに会うことになったんです。2014年に「中目黒のウッディーシアターで朗読劇をやるから観にきてくれ」と誘われて、観に行ったらこれが本当に素晴らしかった。こんなものも書けるのかと感激して、「これ、本にしようよ」と言うと、彼はすごく喜んでくれた。でも内心は戯曲は売れないからなぁと半信半疑で、雑事に追われるまま放置していました。そうしたら2016年にドラマ『カルテット』(TBS系)がブームみたいになって、うちの女性編集スタッフが「坂元裕二はやっぱりすごい!」と言うから、思い出して「そういえば俺、彼の作品を預かってるんだけど」とこぼしたら、「何してるんですか!」と叱られまして(笑)、慌てて坂元さんに電話して「そろそろあれ、出そうか」と切り出したら「遅いよ!」とまた叱られた(笑)。
――前史は長いですが、『往復書簡 初恋と不倫』が刊行された2017年から『花束みたいな恋をした』製作開始までの流れは早かったですね。
孫:坂元さんが書きたいと言い出してからの流れはあっという間でした。「自分はラブストーリーの作家である。会社から自宅まで大急ぎで帰ってまで、自分の書いたドラマを熱い思いで観てくれていた人たちに対して、もう1回ラブストーリーを贈りたい」――有村架純と菅田将暉のラブストーリーで行きたいという彼の希望はすぐに叶いました。監督は誰がいいかとなった時に、「自分は映画のことはよくわからないから任せる」と言うから「土井裕泰さんじゃダメなの?」と聞いたら「え、土井さんでいいの?」と問い返されたんですよね。あのふたりはすでにコンビを組んで素晴らしい実績を築いていたし、僕は土井さんの『ビリギャル』(2015年)を素晴らしいと思っていたので。あんなくだらない話があんな洒落た作品になったのは土井さんの力ですよ。
●映画は簡単には作れない、いや、簡単に作ってはいけないんだ
――さらに『花束みたいな恋をした』が異例の大ヒットを記録してから、コンビ第2作『片思い世界』の始動も早かったですね。
孫:坂元裕二という脚本家はいま、大きな物語を書きたいというふうに思い始めている気がします。彼と話をしながら聞いたのは、やっぱり興行収入の面においても新海誠こそが日本一の監督なんだと。そのことを真摯に受け止めるところから、実写映画はアニメとの勝負を始めていかなければならない。『すずめの戸締まり』(2022年)についても真剣に語り合いました。
孫:それと『片思い世界』は、撮影期間中に大きな事故を経験したことが大きく影響しています。千葉県・犬吠埼でのロケーション撮影を終えたあと、メインスタッフが翌日から開始されるスタジオ撮影にそなえて、セット見分のために大泉の東映撮影所に向かう移動中に交通事故に遭った。過失は100パーセント相手車であるもらい事故だったのですが、土井監督、撮影の鎌苅洋一さんが生命の危険に晒されるほどの重傷を負いました。改めて映画というものは本当に簡単にはできないのだ、と思い知りましたね。年々映画を作ることが怖くなっている。簡単には作れない、いや、簡単に作ってはいけないんだと。
――公開延期も含め大幅な計画変更を余儀なくされました。豪華なメインキャストであるがゆえにかえってリスケが難しかったと思いますが、完成に持っていったのは奇跡のように思えます。
孫:ええ。監督自身が生死の境をさまよって、その少しあとに監督とも話したんだけど、結局『片思い世界』の3人の主人公たちが突然わけのわからないまま命を失うということ、それが作り手である自分たちの身にもリアルに感じる出来事が起きてしまった。そのことのリアルをきちんと、彼女たちの日々の気分も大事にしながら作っていかなきゃダメだねということを話し合いました。
――事故に遭った時、スタジオ撮影はまだ始まっていなかったそうですね。
孫:再開後に美咲・優花・さくらの3人の芝居場が本格的に始まりました。終幕の合唱コンサートのシーンも。それまでなんとなくふわふわとした気持ちだったのが、いっきに吹っ切れましたね。俳優陣の芝居も明らかに変わっていました。あの変化の具合は、今でもなんとも言いようのないものですよ。ビジコンを覗きこむだけで、なんかものすごい魂の宿りを感じたほどです。だから、ネタバレを気にしない上映後のアフタートークが素晴らしいんです。キャストも監督も淡々と語るんですけど、死が忍び寄る感覚というのは主人公3人だけの問題ではないんだ、それを自分はわかった、と監督が普通のテンションで話すのを聞いていると、不思議と気持ちが高揚して、とても大事なことが含まれているなとも実感してます。伝達するということが欠落すると、人間はいかに悲しい生物になってしまうかということがちゃんと描かれた映画になっている――僕はそう確信しています。
――『花束みたいな恋をした』そして『片思い世界』――先ほど孫さんは「1人の作家と3本はやるというのを責務のように感じている」とおっしゃっていました。では、坂元裕二、土井裕泰、孫家邦でもう1本、私たち観客は新たな作品の誕生を期待することできるわけですね。
孫:坂元裕二、土井裕泰でもう1本やってみたい――このことは記事に書いていただいても結構です。今回の『片思い世界』ではあまり知らない、ずいぶんと遠いところまで来てしまったなぁという感じがしてしょうがないんですよ。この途方もない遠征感覚はいったい何なのだろうか、自分でもまだ具体的にこの遠征の意味や内実を理解できていません。それが見えてくるためには、とにかくもう1本やってみなければならない。いまはそう考えています。
(文=荻野洋一)
