UR団地に外国人が溢れかえっている…「日本人ファースト」外国人労働者なしで日本経済は回るのか「海外研究の興味深いデータが示唆する難民と労働移民の違い」

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 2025年は「日本人ファースト」を掲げた参政党が政治的に躍進した。たしかに不法移民問題など何かしらの解決策を出していかなければいけない事案はある。その一方で、コンビニに行けば多くの外国人が働いている。今やわれわれの社会の一部を支えている外国人をなくして、この国の経済は回るのだろうか。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説する――。

外国人の若者で溢れる「三郷団地」日本人高齢者の不安とは

 埼玉県三郷市。都心から電車で1時間足らずの場所に、巨大なコンクリートの塊がそびえ立っている。UR都市機構が管理する「三郷団地」だ。かつて日本の高度経済成長を支えた労働者たちの家族で溢れていた場所は、今、全く別の顔を見せている。

 朝の光景は象徴的だ。ゴミ出しの時間になると、行き交う人々の言葉が日本語ではないことに気づく。中国語、ベトナム語、その他のアジアの言語。ここ三郷団地では、すでに住民の多くが外国籍の人々が占めているという。その多くは若者だ。一方で、元から住んでいる日本人の多くは高齢者である。

 ここに、現代日本が抱える課題のすべてが凝縮されている。

 古くからの住民は、ゴミの出し方や騒音、そして何より「隣に誰が住んでいるのかわからない」という事実に不安を募らせている。行政側も手をこまねいているわけではない。三郷市は外国出身の住民に向けて、生活のルールを記したガイドブックを発行したり、行政情報の多言語化を進めたりしている。

 しかし、近隣住民の感覚から言えば、それだけでは不十分だ。

日本経済は外国人労働者なしで回るのか

 外国人向けにパンフレットを配るのでは、近隣住民の不安は消えない。必要なのは、外国人にルールを教えること以上に、行政自身が「誰が、どこに、何人住んでいて、何をしているのか」という実態を正確に把握することだ。実態が見えないことこそが、近隣住民の恐怖を生む。外国人向けのサービスを充実させる前に、まずは徹底した居住実態の調査を行わなければならない。

 視点を少し広げてみよう。なぜ、これほど多くの外国人が日本にやってくるのか。そして、日本経済は外国人労働者なしで回っていくのか。

 歴史を振り返れば、日本の経済成長は常に「労働力の移動」によって支えられてきたことがわかる。

 昭和の時代、戦後すぐのことだ。

外国の労働力を受け入れる経済的なメリット

 日本は農地解放を行い、農村の仕組みを大きく変えた。その結果、農村からあふれ出た多くの人々が、仕事を求めて都市部へと移動した。集団就職列車に乗って上野駅に降り立った若者たちだ。1950年代から70年代にかけての高度経済成長期、年平均で10%という驚異的な成長を支えたのは、まさに地方から都市へと流入した労働力だった。

 農村の若者が工場の働き手となり、建設現場の力となった。人が足りない場所へ、人が余っている場所から労働力が移動する。これによって経済の目詰まりが解消され、日本全体が豊かになった。当時の移動は日本国内の話だったが、経済の仕組みとしては、現在の外国人労働者の受け入れと同じだ。

 ただ一つ、決定的な違いがある。かつての移動は、言葉も文化も同じ日本人同士だった。だから、社会的な摩擦は比較的少なかった。しかし現在は、国境を越えた移動だ。文化や習慣の違いは、昭和の時代とは比べものにならないほど大きな壁となる。

 では、文化的な摩擦を乗り越えてまで、外国の労働力を受け入れる経済的なメリットはあるのだろうか。ここで、感情論ではなく、冷徹な数字を見てみたい。

難民と「労働を目的とした移民」国の財政に与えるインパクト

 ヨーロッパのオランダで、非常に興味深い調査が行われている。移民を受け入れることで、国の財政、つまり「税金と社会保障のバランス」がどうなるかを計算したものだ。

議論の中心は「財政的ネット貢献」と呼ばれる指標だ。簡単に言えば、その人が国に納める税金から、その人が受け取る医療や教育などの公的サービスのコストを引いた金額のことだ。プラスなら国が儲かり、マイナスなら国の持ち出しになる。

 2024年のIZA研究所の研究によると、労働を目的とした移民の場合、一生涯で国にもたらす貢献は約10万ユーロ(約1600万円)のプラスになるという。若い労働者は病気になりにくく、バリバリ働いて税金を納めてくれるからだ。

 ところが、これが労働移民ではなく、難民や、後から呼び寄せた家族となると話が変わる。貢献度はマイナス20万ユーロ(約3200万円)以上の赤字になるという結果が出た。家族が増えれば、医療費がかかる。言葉の壁で高い給料の仕事に就けなければ、納める税金も少なくなる。社会保障の利用が増えれば、当然、国の財政は圧迫される。

「誰でもOK」はリスクでも、日本に選り好みする時間もない

 オランダの経済政策分析局も、過去の報告書で同様の指摘をしている。1995年から2019年までの累積コストは、4000億ユーロに上るという推計さえある。賃金の低い仕事に就くことが多い移民は、税収より社会保障のコストが上回ってしまう傾向があるのだ。

 もちろん、移民の子供たちが教育を受けて成長すれば、将来的にはプラスに転じる可能性はある。しかし、短期的な財政の数字だけを見れば、現実は厳しい。

 このオランダのデータが日本に教えてくれることは明確だ。

「とにかく誰でもいいから来てほしい」という無計画な受け入れは、将来的に日本の財政を破綻させるリスクがあるということだ。日本が経済的なメリットを得ようとするなら、働く意欲と能力のある「労働移民」を中心とした受け入れに絞るべきだ。福祉や社会保障の負担が増えるだけの受け入れ方は、慎重でなければならない。

 しかし、日本には「選り好み」をしている時間があまり残されていないのも事実だ。ここに、日本が陥っている「袋小路」がある。

 日本社会には、移民に対する根強いアレルギーがある。「治安が悪くなるのではないか」「日本の文化が壊れてしまうのではないか」という懸念だ。これは決して一部の排外主義者だけの意見ではない。静かな住宅街で暮らす普通の人々が抱く、素朴な不安である。

日本経済は縮小し、停滞するしかない

 一方で、少子高齢化の現実は待ったなしで襲ってくる。

 2025年のデータを見れば、65歳以上の高齢者が人口の約3割を占めている。働き手となる現役世代は減る一方だ。2040年までには、労働人口がさらに2割も減ると予測されている。工場を動かす人も、介護をする人も、荷物を運ぶ人も、何もかもが足りなくなる。

 IMF(国際通貨基金)の分析でも、今の日本の移民受け入れ数では少なすぎて、高齢化による労働力不足を補うには不十分だとされている。グローバル化を進め、海外の活力を取り込まなければ、日本経済は縮小し、停滞するしかない。それが経済の専門家たちの共通認識だ。

 福祉の負担が増えることを避けるためにも、定量的なシミュレーションが必要だ。どのくらいの数、どのようなスキルの人を受け入れれば、GDP(国内総生産)がプラスになり、日本人の生活水準を維持できるのか。感情論ではなく、計算に基づいた戦略が求められている。

私たちは今、二つの恐怖の間にいる

 私たちは今、二つの恐怖の間に立たされている。

 一つは、見知らぬ人々が増えることで社会が変わってしまう恐怖。もう一つは、働き手がいなくなって国が衰退し、座して死を待つ恐怖だ。

 どちらの道も平坦ではない。しかし、経済を回し、現在の豊かな生活を維持しようとするなら、労働力の確保は避けて通れない課題だ。オールドメディアや一部の知識人は、この現実から目を背け、「共生」や「多文化理解」といった美しい言葉で問題を包み込もうとする。だが、現場の起きている摩擦や、財政的なコストの計算を無視して、理想だけを語っても誰も納得しない。

 では、どうすればいいのか。

 鍵となるのは「安心」だ。ただし、ここで言う安心とは、漠然とした心理的なものではない。透明性に裏打ちされた、具体的な制度のことだ。

 冒頭の三郷団地の例に戻ろう。住民が不安を感じるのは、相手が「どこの誰かわからない」からだ。言葉が通じないからではない。得体の知れない存在だから怖いのだ。

 法務省や自治体は、外国人の登録を義務付けているが、それが現場の住民と共有されているとは言い難い。プライバシーの問題はあるにせよ、地域社会の一員として暮らす以上、最低限の情報共有は不可欠だ。

 行政がやるべきことは、多言語のガイドブックを作って配ることだけではない。もっと踏み込んで、地域に住む外国人の情報を管理し、ルールを守らない場合には厳格に対応する姿勢を見せることだ。また、どんな人が住んでいるのかを、可能な範囲で地域住民に見えるようにする透明性も必要になる。

 日本に必要なのは、国益を見据えた冷徹な戦略だ。社会の秩序と財政の健全性をどう守るか。きれいごとを抜きにして、その仕組みを早急に構築すること。それだけが、人口減少が進むこの国で、私たちが豊かさを手放さずに生き残る唯一の道である。