1998年度の選手権・開会式。優勝旗を握る金古を先頭に3人が縦並びで入場する、貴重なショットだ。写真:佐藤香織

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 1998年度の全国高校サッカー選手権で大会連覇を成し遂げた、“赤い彗星”こと東福岡。前年度に3冠王者でも主軸として活躍したMF宮原裕司、DF金古聖司、そしてDF千代反田充は、押しも押されもしない攻守の中軸だった。
 
 その後、伝説の同級生トリオはプロの道へ進み(千代反田は筑波大学経由)、Jリーグでも確かな足跡を残した。やがて現役を退き、それぞれのセカンドキャリアを歩むこととなる。ひとりは指導者S級ライセンスを持つJ下部組織の監督、ひとりは埼玉の強豪校で新境地を開拓し、もうひとりはサラリーマンとなり、大企業の営業マンとして革靴をすり減らしている。
 
 東京都内で一堂に会し、それぞれのサッカー観と人生観を語り合った3人衆。今日はスペシャル鼎談の第2弾をお届けする。まずは3人の出会いから……。
 
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[3人の不思議な関係]
 
──3人は確か小学生の頃から20年以上の仲だと思いますが、もうどこまでさかのぼったらいいんだろう。
 
宮原「小5。福岡県選抜が初対面」
千代反田「その頃から、このふたりはデカい顔してました」
金古「してないしてない」
宮原「だって、コイツ(千代反田)が県のトレセン来てまで、牛乳瓶の底みたいなメガネかけて本読んどるわけよ。おかしいやろ、そりゃイジルやろ誰でも(笑)」
 
──そのあと、みんなで東福岡に入学するわけですけど、当時のヒガシはまだ県内でも2番手3番手で、東海大五(現・東海大福岡)などが強い時代でした。なぜ東福岡を選んだんでしたっけ?
 
宮原「俺は単純に、本山雅志がヒガシに行ったから俺も行く。もっさんが違う高校に行ってたらそこに行ってた。で、せっかく行くなら、県選抜みんな仲よかったし、強かったから。確か九州で優勝したよね? みんなで同じ高校でやったらぜったい楽しいから、ふつうに誘うよね」
金古「ミヤに誘われるまで東福岡のこと知らなかったもんね」
千代反田「僕はヘタクソだったから直接誘われなかったけど(笑)、みんなでヒガシに行くらしいって聞いてて。そしたらある日、志波(芳則)先生が中学校まで話しに来てくれたんですけど、校長先生以下、学校全体が少し困ってた。まさかふつうの高校を受験するよね、ってみんなに止められて」
宮原「何度も言うけど、チヨはほんとに頭だけは良かったから。まあ止めるよね」
千代反田「僕は視力が極端に低くて、きっとサッカーは高校で最後になる、だからヒガシでサッカーがやりたかった。両親も、だったらやりなさいって許してくれたんです」
 
──ところで、東福岡は行きたいって思えば誰でも入れる高校なんですか?
 
宮原「正直、俺と金古は学力ではムリでしょ。チヨは頭がいいから進学クラスで入学できたけど」
金古「だから俺、ヒガシに入学が決まった後から塾行ったもんね」
宮原「意味がわからん」
金古「高校行って勉強ついていけなかったら苦労すると思って。東福岡は進学校でもあったんで」
 
──高校に入って、いつ頃からプロサッカー選手になろうと思い始めましたか?
 
千代反田「高2ですかね。自分は1年のころはAチームじゃなかったんで」
金古「俺も高2かな」
宮原「3冠したあとじゃなくて、春にはもっさんたちのところにスカウトの人たちがたくさん来てて、自分たちも話聞かせてもらったりしはじめてから」
 
──プロになりたかった?
 
宮原「時代よね。獲ってくれるチームがあったら行く時代。俺、志波先生に、『東大以外だったらどこでも行ける』って言われた」
金古「俺も言われた。で、プロに絞るなら大学の推薦はなくなるよ、って」