【プレイバック’06】夫を植物状態にして…風俗店を経営していた中国人“鬼嫁” 店の「サービス」
義両親は何者かに殺害された
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックを今ふたたびふり返る【プレイバック・フライデー】。今回は20年前の’06年3月31日号『1000万円かけ整形 インスリン注射で夫を植物状態にした後も風俗バイトを続け 中国人“鬼嫁”オトコが群がった「性感マッサージ」』を取り上げる。
’06年3月10日、千葉県光町(現・横芝光町)の左官業・佐藤忠夫さん(仮名・当時54)への殺人未遂容疑で千葉県警に再逮捕されたのは、妻の優香(仮名・当時33)だった。’04年4月に忠夫さんに糖尿病治療用のインスリンを大量に投与し、血糖値低下による脳障害で意識不明の重体にした疑いだ。優香は’03年に忠夫さんに熱湯をかけて大やけどを負わせた傷害容疑ですでに2月に逮捕されていた。
逮捕当時は植物状態の忠夫さんを病院に残して失踪しており、東京・浅草の風俗店で働いていたことで各メディアで話題になった事件だ(《》内の記述は過去記事より引用、肩書は当時のもの)。
優香は中国・黒竜江省出身。1993年に忠夫さんと中国でお見合いをして翌年に結婚し、日本に帰化した。忠夫さんとの間には2人の男児が生まれている。夫婦仲は良く、同じ敷地内に住んでいた佐藤さんの両親との関係も良好だったという。だが、結婚した翌年に最初の悲劇が起きた。’06年3月31日号では次のように書いている。
《’95年、忠夫さんの両親が殺された上、家が放火され全焼するという凶悪な事件が起こる。優香は火事の第一発見者だった。警察ではこの1年前の事件に関しても優香に事情を聞いている模様だ。
嫁、姑の仲が悪かったという話もあるが、この時、1000万円を超える火災保険金が、忠夫さんに渡っていることも判明している。そしてこの頃から、優香の“銭ゲバ”体質が明らかになってくる。
「忠夫さんはよく『優香は金遣いが荒い』とぼやいていました。『あいつは中国に家を建てた』とも言っていましたから、ずいぶん中国に送金していたようです」(忠夫さんが通っていた飲食店の従業員)》
こういった経緯もあり、今回の事件でも忠夫さんに5000万円近い生命保険がかけられていたことから、警察は保険金目当ての殺人未遂事件だとみていたようだ。さらに’03年10月に大やけどを負った忠夫さんが退院後に「俺は殺されるかもしれない」と近しい人に漏らしていたという話もあった。
2人の子供は’02年ごろに優香が中国に連れ帰ってから日本に帰ってきておらず、そのことで熱湯事件直前には忠夫さんとの間にトラブルが起きていたという。
1000万円かけて美容整形
インスリンで忠夫さんが植物状態となった後、優香はたびたび病院を見舞っていたが、’05年7月ごろから姿を見せなくなったという。逮捕される少し前に彼女を目撃したという近所に住む女性は《印象がまったく変わって驚いたんです。化粧も派手だったし、まったく別人のようでした》と語っていた。
それもそのはずで、優香は1000万円をかけて美容整形手術を受けていた。そして、自ら西浅草で風俗店『M』を経営し、かなり稼いでいたようだ。当時の記事を抜粋する。
《「自分の店を開いたのは昨年9月ですが、それ以前から風俗で働いていました。すでに浅草の風俗店で働いていた優香の妹が、彼女を誘ったのです。妹も日本人と偽装結婚していたという話ですが、今は中国に帰っています」(風俗関係者)
優香の人気は高かったようで、指名の客も多かったという。
「常連客の一人に、自らも埼玉などで風俗店を経営する人物がいたのですが、彼がスポンサーとなって、彼女に店を開かせました。それが『M』です」(前出・風俗関係者)》
『M』はマンションの一室でマッサージや性的サービスを行う、いわゆる中国エステで、優香は経営者であると同時に接客もしていた。店には4〜5人の中国人女性が出勤していたようだ。当時、店のHPには詳細なプレイ内容が紹介されていた。
《料金は60分で1万3000円。まずは女の子と一緒にシャワーを浴びる。じっくりとマッサージを受けた後、性的サービスを受け、再びシャワーで終了という流れだ。
これなら何の変哲もない性感マッサージだが、
「独自色を出そうとしたのでしょう。(中略)いわゆる“本番行為”をしていたという噂もあります」(前出・風俗関係者)》
そんな営業努力もあってか、周囲には競合店が多かったにもかかわらず『M』は繁盛していたという。
日本に憧れていたという優香。ようやく成功を手に入れたかに見えた彼女は傷害と殺人未遂という2つの罪に問われていた──。
獄中で綴った後悔の言葉
’06年9月から千葉地裁で開かれた裁判で優香は「夫を弱らせたかっただけで殺意はなかった」と殺意を否認、傷害罪の適用を主張。また、忠夫さんに熱湯をかけて大やけどを負わせた傷害事件については「故意ではなかった」と無罪を主張していた。
なお、犯行が保険金目当てだったかについては、優香が日本の複雑な保険制度を理解していなかったことが判明したとして、動機にはされなかった。
だが’07年3月、優香に言い渡された一審判決は懲役15年だった。裁判長は〈生命に危険性があるインスリンを被害者を眠らせた上で注射しており、計画的かつ冷徹な犯行だ〉と指摘した。
優香側は上告したが、二審の東京高裁も’07年12月に〈使用量の10倍以上を一度に注射した。強い意識障害に陥る可能性を十分認識しており、殺意があったのは明らかだ〉として控訴を棄却。その後、刑が確定した。懲役15年は殺人未遂に対する刑としては、かなり重い部類に入る。
フリージャーナリストの田村建雄氏は獄中の優香に面会を重ね、取材していた。その著書『中国人『毒婦』の告白』(文藝春秋)の中で、’10年9月に久しぶりに優香から届いた手紙には次のように書かれていたと明かしている。
〈罪を犯した私が罰を受けることは当然の報いだけど、わが子にはなんの罪もありません。母としてなにもしてやれない自分が情けなくて悔しい気持ちでいっぱいです〉
田村氏は’09年7月に忠夫さんが亡くなったことを手紙に書いて返信した。その後も優香から手紙が来ることはあったが、忠夫さんの死に触れた内容は一切なかったという。
