世界の愛好家から注目される貴重な「廃車」 40選(前編) ジャンクヤード探訪記
米国最大級のジャンクヤード
1956年の創業以来、『フレンチレイク・オートパーツ(French Lake Auto Parts)』は米国有数の廃車解体場として名声を確立し、「ジャンクタウンUSA」という愛称で親しまれてきた。今や世界中のクラシックカー愛好家にとって必見の場所となっている。
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ミネソタ州にあるこの広大なジャンクヤードには、1920年代から現代まで数千台の車両が保管され、レストア用あるいは部品取りとして製造年ごとに丁寧に整理・分類されている。フレンチレイク・オートパーツクは配送サービスも提供しているが、実際に足を運んで探索する体験に勝るものはない。

米国でも有数の巨大ジャンクヤードから、興味深い「逸品」を紹介する。
わたし達取材班が見つけた、興味深いクルマをいくつか紹介しよう。
フレンチレイク・オートパーツについて
ここフレンチレイク・オートパーツを訪れた人は、歴史あるクルマがずらりと並ぶ中を歩き回り、整然と配置された部品の中から隠れた逸品を見つけ出すことができる。クラシックカーのファンなら、少なくとも一度は訪れる価値のある場所だ。
このジャンクヤードについては以前も取り上げたことがある。詳しくは、2024年12月28日に掲載した記事【旧車愛好家の「聖地」で眠る珍しい廃車 40選 ジャンクヤード探訪記】をお読みいただきたい。

フレンチレイク・オートパーツはミネソタ州アナンデールにある。
AMCマーリン(1967年)
AMCマーリンは、その海洋を思わせる名前が印象的だが、最初からこの名で呼ばれていたわけではない。当初はランブラー・ターポンとして販売されていたが、速く優雅に泳ぐマーリン(カジキ)にちなんでブランド名を変更し、スピード感と優美なイメージを強調した。流線型のファストバックデザインは確かにその名に恥じないもので、1960年代中盤のマッスルカーとは一線を画す存在だった。
自動車業界に波紋を広げたものの、AMCが期待したほどの販売成功には至らなかった。この個体は超希少な1967年式で、同年は生産最終年ということもあり、わずか2545台しか販売されなかった。

AMCマーリン(1967年)
ラサール(1940年)
ラサールはゼネラルモーターズ(GM)傘下のブランドで、キャデラックと低価格ブランドとの間を埋めるものとして設立された。1940年にはブランド史上2番目の販売台数となる2万4133台を記録した。しかし、こうした成功もブランド存続には至らず、GMは1940年末をもってラサールの生産終了を決定。13年にわたる歴史に幕を閉じた。

ラサール(1940年)
ビュイック・ルセイバー(1964年)
1964年に生産された13万5000台のビュイック・ルセイバーのうち、2ドア・コンバーチブル仕様は7000台未満だった。ゆえにこの1台は極めて希少だ。しかし、希少性が必ずしも価値に直結するわけではない。特に、この個体のように状態が著しく劣化している場合はなおさらだ。レストアの余地はほぼないが、まだ使える部品がいくつか残っている。

ビュイック・ルセイバー(1964年)
キャデラック(1938年)
1938年のキャデラックの部品を他にどこで見つけられるだろうか? 確かにこの個体には再利用可能な部品はほとんど残っていないが、ジャンクヤードに今もこのようなクルマが置かれている事実は、実に驚くべきことだ。1938年、キャデラックとラサールの販売台数は合わせて2万4950台だった。

キャデラック(1938年)
フォルクスワーゲン・ビートル
フォルクスワーゲン・ビートルが1台もない廃車置き場など物足りないだろう。ここフレンチレイク・オートパーツは主に米国車を扱っているが、この2台のビートルを含む輸入車もいくつか在庫がある。カメラに近い個体は1973年式で、その隣は1974年式だ。

フォルクスワーゲン・ビートル
カイザー(1950年)
このカイザーは1950年式で、特徴的なハート型フロントガラスとリアガラスを導入する1年前のモデルだ。デラックス仕様の4ドア・セダンと思われるが、隣の車両はバガボンドかトラベラーで、革新的なクラムシェル式リア開口機構を備えている。ステーションワゴンとのハイブリッドのような設計は、ハッチバックの先駆けと言えるだろう。

カイザー(1950年)
ポンティアック・ルマン(1970年)
この1970年式ポンティアック・ルマン4ドア・ハードトップは、フロアパンがほぼ完全に錆びて崩れ落ち、車体も真っ二つに割れている。下部のボディパネルも同様にひどい状態だ。世界最古の自動車耐久レース、ル・マン24時間にちなんで名付けられたモデルだが、その名が連想させる栄光からは程遠い光景だ。

ポンティアック・ルマン(1970年)
キャデラック・エルドラド(1969年)
エルドラドは1952年にデビューし、なんと50年間にわたりキャデラックのラインナップの定番として君臨していた。伝説の黄金都市に由来するその名は、豪華さと豊かさのイメージを引き立てる。このクラスのクルマにふさわしいネーミングだ。こちらの1969年モデルはエルドラドの8代目にあたり、キャデラックが前輪駆動技術へ踏み出した時期のものだ。
エルドラドは当時急成長していたパーソナル・ラグジュアリーカー市場において、パワーとスタイル、洗練性を兼ね備え、栄華を誇っていた。この年、約2万3333台が生産され、ブランド全体の生産台数の約10%を占めた。

キャデラック・エルドラド(1969年)
フォードLTD(1977年)
1992年以来走行していないことを考慮すると、この1977年式フォードLTDは驚くほど良好な状態だ。長年誰かのガレージに保管され、つい最近フレンチレイク・オートパーツに搬入されたものと推測できる。走行距離は17万5000マイル(約28万km)だが、エンジンとトランスミッションは良好な状態で、すでに部品として回収されているようだ。

フォードLTD(1977年)
マーキュリー・コメット(1972年)
この1972年式マーキュリー・コメットは、この角度から見ると素晴らしい外観だが、だまされてはいけない。よく見ると、リアドアの上部がずれていることに気づくだろう。これは大規模な側面衝突の結果である。2008年にこの事故で走行不能となり、最終的にはフレンチレイク・オートパーツに搬入されることになった。
新車時には、現在保管されている場所からわずか50kmしか離れていないリッチフィールドのアンダーソン社によって販売されたものである。

マーキュリー・コメット(1972年)
キャデラック・セビル(1980年)
第2世代のキャデラック・セビル(1980-1985)は、かみそりの刃のような鋭いエッジと、特徴的なバッスルバック(ノッチバックの古い呼称)のリアエンドを誇っていた。このデザインは、1950年代の英国のコーチビルダー、フーパー&カンパニーに影響を受けたと伝えられている。キャデラックブランドに若い購入者を惹きつけることを狙った、大胆な外観だ。
しかし、このスタイリングは若年層にはほとんど響かず、むしろキャデラックの伝統的な年配顧客層に支持された。写真は1980年モデルで、同年に販売された3万9344台のうちの1台である。

キャデラック・セビル(1980年)
ジャガーXJ-S(1983年)
ジャガーXJ-Sは、人気のEタイプ(米国ではXKE)の後継車種であるにもかかわらず、愛好家から同じような熱狂的支持を得ることはなかった。高級感と角張ったデザインに重点を置いたものの、流麗で性能重視のEタイプとはイメージが大きく異なっていた。
結果として、Eタイプがコレクターに珍重される宝石のような存在であるのに対し、XJ-Sははるかに需要が低く、今日でも廃車置き場で見かけることがある。

ジャガーXJ-S(1983年)
ポンティアック・フィエロ(1984年)
廃車置き場では40年前のクルマをクラシックカーと見なすことが多いが、フレンチレイク・オートパーツはそうではないようだ。この1984年式ポンティアック・フィエロは、より現代的なクルマと一緒に並べられている。この個体は2M4モデルで、2人乗り、ミドシップレイアウト、直列4気筒エンジンという仕様だ。
最高出力わずか94psで、0-97km/h加速に11秒を要する低性能が好まれなかった。対照的に直列6気筒の2M6モデルなら、同タイムを約3秒短縮できた。

ポンティアック・フィエロ(1984年)
エドセル・コルセア(1959年)
フレンチレイク・オートパーツのフォードのコーナーには、複数のエドセルが並んでいる。この1959年式コルセア4ドア・セダンもその1つで、同年販売されたわずか3695台のうちの1台だ。1959年はエドセルにとって設立2年目にして、その歴史に幕を閉じる最終年でもあった。総販売台数は1958年の6万8045台から大幅に減少し、4万7396台となった。モデルラインナップも18種類から10種類に縮小され、ブランドの衰退を顕著に表していた。

エドセル・コルセア(1959年)
MG MGB(1970年)
この1970年式MG MGBのレストアは難しい状態かもしれないが、貴重な部品の宝庫となっている。象徴的なスチールバンパーは、1974年以前のモデルであることを示している。ハードトップもぜひ保存しておきたいものだ。
MGは現在も存在するが、もはや名ばかりだ。ブランドは現在、SAIC(上海汽車)が所有し、主に輸出市場向けに中国で生産されている。

MG MGB(1970年)
フォード(1949年)
1949年のフォードは戦後初の完全新設計であるだけでなく、戦後に登場したビッグスリー初の新型車でもあった。1948年6月に発表され、シボレーより半年、プリムスより9か月早く市場投入された。ヘンリー・フォードとその唯一の息子エドセルの死後に設計されたこのモデルは、洗練されたモダンなデザインで、会社の新たな出発を象徴していた。
ずんぐりとした流線型のフォルムから「シューボックス」フォードとして知られ、このデザインは3年間続いた。写真では、1950年モデルと1951年モデルが隣に並んでいる。

フォード(1949年)
ビュイック・スーパー(1949年)
理由不明ながら、誰かがこの錆びた1949年式ビュイック・スーパーを、腐食が進行しているにもかかわらず新たにオールペイントした。ホワイトウォールタイヤを装着し、ホイールまで塗装している。だが、なぜ修復不可能なクルマをわざわざ塗装し直したのだろうか? もしかしたら、レストランやアンティークショップなどで飾りとして使われていたのかもしれない。

ビュイック・スーパー(1949年)
キャデラック・ドゥビル(1965年)
1965年に生産された18万2425台のキャデラックのうち、このコンバーチブル仕様はわずか1万9200台しかない。廃車置き場で見つかるのは比較的珍しいことだ。ソフトトップがまだ残っているコンバーチブルはなお珍しく、これは車内が風雨からよく守られていたことを示している。
残念ながら助手席ドアのガラスが欠けているため、その保護は損なわれ、内装の一部がミネソタの厳しい天候に晒されている。7.0L V8エンジンはとっくに別の所有者の手に渡っている。

キャデラック・ドゥビル(1965年)
シボレー・ベルエア(1957年)
この1957年式シボレーの前の所有者は、オリジナルのサイドトリムを外してから二色塗装を施したようだ。結果として見た目が悪いわけではないが、オリジナルデザインのクラシックな風合いには及ばない。この個体はベルエア・スポーツセダンで、同年生産された14万2518台のうちの1台である。
(翻訳者注:この記事は「後編」へ続きます。)

シボレー・ベルエア(1957年)
