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新型コロナウイルスの影響によって延期、異例の無観客試合となった東京オリンピックが8月8日、閉会した。コロナ禍、強行された華々しいオリンピックの陰には、生活困窮を強いられた人々がいる。

8月7日に放送された『報道特集』(TBS系)によると、7月から約1カ月の間に、全国の42会場のうち20会場で計13万食もの大会関係者の弁当が廃棄されたという。その一方で、毎日の食事にも事欠くシングルマザーと子どもたちは厳しい生活を送る現実がある。

学校の給食のない夏休みは特に危険だ。世帯年収によって子どもの健康状態に危険信号がともることだってある。

新型コロナとオリンピックの影響を受け「ほぼ収入ゼロに近い」状態に陥った、ある看護師の女性に話を聞いた。(ルポライター・樋田敦子)

●「少し貧乏でも愛情のある家庭で育てたかった」

「困窮してますよ、大変です」

そう話すのは、都内に住むバイト看護師の山中公子さん(47歳、仮名)だ。小学生の子ども2人を抱えて健診専門の非正規アルバイト看護師として働いている。夫と離婚して9年。これまでバイト看護師としての収入と養育費、児童扶養手当、育成手当などで生活してきた。

バイト看護師とは、その名の通り、アルバイトで仕事をする看護師のこと。全国の看護師は2019年で、約168万人(日本看護協会出版会編集『看護関係統計資料集』より)。従事者の多くが病院やクリニック、保健所に所属するが、山中さんは健診専門の看護師として、派遣会社のサイトに登録。振り当てられたシフトから希望の条件にあったものを選択して働くという仕組みだ。

「小さい子どもがいて病棟で働けない」「介護があって短時間の仕事が良い」といった事情を抱え、長時間勤務が難しい看護師・医師らが健診専門のスタッフとして働いている。

条件の良い職場は人気で、競争率も高い。バイト看護師の平均的な年収は300万円(一般的な看護師は500万円)。ただし、それは正社員として働く健診看護師の場合で、バイト看護師の時給は、2000〜3000円換算のことが多い。

経験によって時給が高くなることもなく、遠い仕事場だと通勤に時間がかかり、割は決して良くない。昇給や賞与もないのが現状だ。山中さんの場合、健診にあたる時間は正味3時間ほどだが、準備や後片付けも含めると実労働時間は5時間程度になる。1日に60、70人の採血をすることもあり、仕事の後は、ぐったりと疲れる。

看護師資格を取り総合病院に就職した山中さんは、循環器科の救急外来などを担当してキャリアを積んだ。次に転院した大病院では外来。そんな時、看護師仲間から誘われたバイトが健診の仕事だった。休日にやってみると、採血を中心とした仕事で比較的楽だった。

「アルバイト先で、また来ませんか?と誘われ、病院で忙しく働くよりも、こちらのほうが拘束時間も短くて、いいかなと思いました。当時は独身でしたし、普通に生活して、趣味のエアロビクスを楽しめるくらい稼げればよいかなと」

結婚、出産を経ても仕事は続けた。子どもが小さいうちは、保育園の送り迎え、園や小学校の行事もある。バイト看護師は自分のスケジュールで仕事が入れられ、融通がきく。離婚してからも、この仕事で生計を立てた。

病棟勤務だと夜勤もあり、深夜の呼び出しも残業も多い。近所のクリニックは求人も多いけれど、小規模で看護師の数も少ないところでは、ひとり誰かが何かの理由で休みをとれば、しわ寄せが同僚にいく。

「収入の面で、何度か病院勤務も考えましたが、踏み切れませんでした。5時間ほどの拘束で1万円〜1万5000円もらえて生活していけたので健診看護師のままでいました。残業なしで、午後6時には家族3人そろって、夕食が食べられる生活がしたかった。

今は落ち着いていますが、私自身が大病し、またいつ再発するかも分かりません。父親もいないし、仕事ばかりしていて母親もいなくなったら……。もう少し働けばお金に困らないと思うけれど、少し貧乏でも愛情のある家庭で育てたかった」

●緊急事態宣言で健診は相次いで延期に…

コロナの感染拡大が始まるまでは、山中さんの努力もあって、派遣会社の信用を得られた。優先的にシフトを入れてくれ、収入面では正社員並みに働けた。

ところが新型コロナの感染拡大で様相は一変した。

健診の時期は毎年4月からの数カ月間と秋口が多い。コロナが拡大し始めた昨年4、5月は、実は健診看護師にとっては、書き入れ時だった。この時期に新年度の健診が集中するからだ。しかし緊急事態宣言を受けて、健診は軒並み中止か延期に。在宅勤務が増え通勤がないから、健診もキャンセルが相次ぎ、行われなかった。

「健診には、PCR検査を受けて陰性の人だけが来るわけではなく、不特定多数の人が来る。仕事に行って私がコロナに感染し、子どもにでもうつしたらと思うと怖かった。この子たちには私しかいませんから。4、5月は収入がほとんどゼロでした」

6月になって次第に仕事も入ってきたが、揺れ戻しも大きく、1日で100人以上もの健診者が押し寄せたこともある。看護師3人でどうやってさばいていくのか苦慮したほどだ。

その後も仕事は入ってくるが「年間の仕事の日数は減り、200万円だった収入は150万円くらいになった」(山中さん)

ひとり親の平均就労収入は年間200万円(厚労省平成28年度「全国ひとり親世帯等調査結果」)で、公的な手当てを含めても243万円程度。新型コロナの影響で、低所得になったひとり親には「臨時特別給付金」が子ども1人につき第1子に5万円、第2子以降は3万円が給付されるが、それが入っても余裕はない。

多くの働く母親と同様、山中さんもまた子どもを置いて朝早く仕事に出かける。「起きた?朝ごはん食べた?」と時間を見計らって電話する。そして仕事が終わると、すぐに家に帰っていく。

今年もその繰り返しで、なんとか頑張ってきたが、オリンピックが追い打ちをかけた。健診車は都心の企業に横付けされるため、オリンピックで交通規制が敷かれて、中心部には入れない。7月から健診は減り、8月もオリパラでその合間しか仕事がない状況だ。

「もともと8月のお盆の時期は、仕事も休みになりますが、それ以外は仕事がありました。ところが今年は、オリンピックの影響で7月後半から仕事そのものが相当数減り、社員が優先でシフトに入るので私たちまでは仕事が回ってきません。仕事が入っても取り合いだったので、7月は9回。8月は3回のシフトでしたが、つい先ほどキャンセルの連絡が来ました。これでは暮らしていけません」

親も高齢で頼れない。なるべく貯金は取り崩したくないので、ぎりぎりのところで生活している。自宅近くで行なわれているフードパントリー(ひとり親世帯やコロナなどで困窮している世帯を対象に食品を無料で提供する活動)に行き、食料をもらい、それで料理を作る。

「子ども食堂やフードパントリーの取り組みを知らなかったときは困っていましたが、今は食料品をもらって助かっています。子どもたちは食べ盛りなので納豆などでたんぱく質を補ってーー」

ふと気になって「山中さんは、きちんと食べてるの」と問うと、笑って答えが返ってこなかった。今年の冬に会った時と比べると明らかにやせている。子ども優先で、きちんと食べていないのだろうと予測できた。

コロナ以降、美容院には1年以上も行っていないし、外食も全くしていないという。7月勤務分の給与は今月入る予定だが、働いた回数から推定しても、収入は激減して生活はかなり大変だ。養育費も不安定で、あまり期待できない状況だという。

オリパラが終われば、仕事が戻ってくるかもしれない。夏になかった仕事が秋口に後ろ倒しになって、1日にいくつもの健診が入ってくるが、仕事が増えても体は一つ。1日に1回しか仕事はこなせないのだ。

またこの先、コロナが予想以上に広がれば、健診の数も減っていくだろう。

「感染が拡大し、みんなが反対しているのに、なぜ開催したのでしょうか。オリンピックは、私たちの生活を苦しくした、ただの迷惑なものでしかなかったですね」

山中さんは、冷ややかだった。

●不安な日々を送るシングルマザーたち

こうした声を上げるのは、山中さんだけではない。シングルマザーたちは、コロナと酷暑とオリンピックの影響で不安な日々を送っている。

「普通に例年並みの収入があったら、子どもと楽しくオリンピック観戦ができたでしょうに、今年は収入が激減。今後を考えるとオリンピックどころではなかった」(40代、子ども2人)

「子どもと実親を抱えて4人家族。母も働いてはいるが、低収入。私は日雇いバイトで働いた分の日給しか入ってきません。人との交流が苦手で、主な仕事は道路の清掃ですが、オリンピックの交通規制で仕事が激減。求人も少なく、この暑い夏をどう乗り切ろうか、不安です」(40代、子ども2人)

「実家を手伝っていますが、このコロナ禍で仕事が減りました。オリパラ会場で飲料を売るバイトを申し込みましたが、無観客で2週間の仕事もなくなりました。パラリンピックも観客を入れるかは未定です。この収入でどうしたらいいのか、生活が大変です」(40代、子ども1人)

自助、共助には限界がある。今後も「子育て世帯生活支援特別給付金(ひとり親世帯分)」などによって、困窮するシングルマザー支援を継続していく必要がある。

【プロフィール】 樋田敦子。ルポライター。明治大学法学部卒業後、新聞記者を経てフリーランスに。雑誌でルポを執筆のほか、著書に「女性と子どもの貧困」「東大を出たあの子は幸せになったのか」等がある。