(写真:日経BP)
50m先の至近距離で爆発音が轟いた。大勢の警察官が一斉に小銃の安全装置を外し、臨戦態勢を取った――。

ジャーナリストの池上彰氏(65)は、バングラデシュの首都・ダッカで「テロ」に遭遇していた。2013年12月、日本の援助の実態を探るために取材に訪れたときのことだ。

「2014年の総選挙を前に、野党が強権的な与党への抗議行動を続けていました。私がダッカ市内で取材中、その野党勢力のグループが、手製の爆弾を投げつけたのです。爆発音が大きく、いささか驚かされました。幸い死傷者は出ませんでしたが……」

このとき、池上氏はダッカ郊外にあるアパレル工場の火災現場にも足を運んだ。この工場は、「ユニクロ」「GAP」など、世界中のアパレルメーカーの生産を請け負っていた。現場に入った時点で火災の発生から3日が経過していたが、鎮火していなかったという。

「広大な敷地内の主要な工場は全焼し、駐車中のトラックまでが黒こげに。放火である可能性が、きわめて高いとのことでした。背景には、経済が急成長するバングラデシュで、企業と労働者の間に賃金をめぐる緊張が高まっていたこと、そして、政権与党への不満が募っていたことがあります。それが、民衆の過激な行動に結びついたのです」


(写真:日経BP)
爆弾テロ、先進国企業の下請け工場への放火…。「穏健派のイスラム教国」バングラデシュ社会には、池上氏が訪れた当時から人々の不満が鬱積していた。その不満が、7月2日に邦人7人が殺害されたテロ事件sに密接に関わっている、と池上氏はみる。

「人々の中から、『イスラム国』(IS)の主張をネットで読んで、共感する者が出てくると思います。ISは本拠地のシリアとイラクで劣勢になっていて、以前のように世界各地から戦闘員を呼び集めることができなくなりました。

そこで戦術を変更し、世界の過激な思想を持つ連中に『自分のいる場所でジハード(聖戦)に立ち上がれ』と呼びかけています。今回のテロはそれに呼応したものでしょう」

日本人7人が犠牲となった今回のテロ事件は、現地の日本人社会に大きな衝撃を与えた。事件後、自宅待機が続いているという商社の現地社員が語る。

「犯行グループには大卒の上流階級出身者がいました。こういう層は、通訳や現地社員として我々が『雇用』する対象。今後、身辺調査をやり直さなければなりません。また、家庭で雇っているメイドは、イスラム過激派が多いフィリピン出身者が少なくありません。どこにテロリストがいるのかわからない状況で、まったく気が休まりません」

もはや、世界中から安全な場所はなくなったと、池上氏は言う。日本人だからといって、例外ではない。
(週刊FLASH 2016年7月26日)