なぜスピルバーグNetflixと手を組んだのか?(写真:Marc Piasecki/Getty)

スティーブン・スピルバーグが、手のひらを返した。最近まで「配信作品がアカデミー賞をぶち壊す」と信じていた彼は、今週Netflixとついに映画製作契約を結んだのだ。

スピルバーグが会長を務める製作会社アンブリン・パートナーズは、今後Netflixに映画を提供していく予定である。独占ではなく、アンブリンは今まで通りユニバーサルとの契約も続行するが、今後スピルバーグが関わる新作が最も頻繁に見られる配信サービスはNetflixになるのが濃厚だ。

スピルバーグの「ネトフリ嫌い」

このニュースは、ハリウッド関係者を驚かせた。配信が勢いを増す中で、スピルバーグは「映画とは映画館で見るものだ」と主張し続ける大物監督の一人だったからである。

2018年3月、スピルバーグはテレビのインタビューで、「テレビのフォーマットで作ると決めたなら、それはテレビ向け作品。それが良い作品なのであれば、エミー賞を取るべき。オスカーではない。(オスカーの)資格を得るためにひと握りの劇場で1週間だけ上映した映画にアカデミー賞の資格を与えるのは違う」と発言。

その翌年のアカデミー賞でNetflixが配信したアルフォンソ・キュアロンの『ROMA/ローマ』が作品賞受賞をギリギリで逃した直後には(受賞したのはアンブリンが制作する『グリーンブック』だった)、「次のミーティングで資格の基準を厳しくする案を提案するつもりでいる」とも報道された。

当時、アンブリンの広報担当者は、「スティーブンは配信と劇場用映画をはっきり差別化するべきだと信じています。そのミーティングでほかの人たちも彼の意見を支持してくれることを願っています」と語っている。

しかし、結局ルール変更は実現しなかった。そして、それから2年後の今、彼は敵と手を組むことを決めた。

Netflixとの契約を発表する声明で、アンブリンのCEOジェフ・スモールは、「彼らは世界規模のプラットホームを作り上げました。2億人という会員数がそれを物語っています。スコット(Netflixのオリジナル映画制作のトップ)や彼のチームと協力できる機会を得て光栄です。私たちはアンブリンのアイコニックなブランドをNetflixの観客に提供していきます」と述べている。

スピルバーグにとって、これは新しく、ポジティブな門出なのである。

一体、なぜスピルバーグは考えを変えたのか? ひとつには、コロナが関係しているだろう。日本ではコロナ禍でも映画館が開いていて『鬼滅の刃』のような大ヒットも出たりしたが、ロサンゼルスやニューヨークでは昨年3月から今年3月まで映画館は完全閉館。つまり、アメリカでは丸1年も「劇場用映画」は存在しなかったのである。

劇場で上映したくてもできないのだからやむをえず、あくまで一時的な措置としてアカデミーも2021年のアカデミー賞についてルールを変更し、劇場公開されなかった作品も資格を得られるようにした。コロナをきっかけに「配信と劇場の境目」は以前よりもっと曖昧になったのだ。実際、今年のアカデミー賞では、近年と違って「配信作に作品賞を取らせてはダメだ」というような議論は一切聞かれなかった。

また、公開予定だった映画を延期するのか、それとも製作費を回収するためにほかに売るのかをスタジオが検討する中では、いくつもの映画がNetflixやAmazon、Appleに売り渡されている。アンブリンが制作した『シカゴ7裁判』もそのひとつだ。

今作はパラマウントが劇場公開する予定だったが、コロナの状況を受けて手放すことを決め、競売の結果、Netflixが5600万ドルで買収。Netflixは、そのお宝を大切に扱った。コロナ禍の中でも映画館の経営を許している限られた都市で、当初の公開予定日に公開するなど、劇場での公開を願っていたフィルムメーカーたちに最大限の敬意を払ったし、アワードシーズンには大規模なキャンペーンを展開している。

『ROMA/ローマ』でNetflixがやってみせた金に糸目をつけないキャンペーンは配信批判派の神経を逆撫でしたが、スピルバーグも彼らの恩恵にあずかる側になってみて初めてそのありがたさを実感したのだろう。

「作りたい作品」が作りづらくなった映画界

結果、スピルバーグは彼ほどの権威を持たないフィルムメーカーたちが言っていることを、ようやく理解したのではないかと思われる。

近年メジャースタジオは最初から知名度のある作品、つまりスーパーヒーロー映画やその続編、ゲームやアトラクションを原作とする映画ばかりを作りたがるようになっている。

かつてのような大人向けのドラマや恋愛映画はヒットしてもたかが知れているし、続編製作も難しいので旨味はないとスタジオは考える。だから、そうした作品を作りたいフィルムメーカーたちは、配信サービスやテレビに企画を持っていくようになってきたのだ。

劇場にこだわるならインディーズという道もあるが、資金調達は困難。お金のかかるプロジェクトであれば、有名な監督や俳優が参加していても厳しい。

最高の巨匠であるマーティン・スコセッシですらスタジオから断られた結果、『アイリッシュマン』をNetflixで作っている。

『ゼロ・グラビティ』でアカデミー賞監督賞に輝くキュアロンも、『ROMA/ローマ』をインディーズ作品として作ったが、メキシコ人の無名俳優が出ているモノクロ映画には配給がつかなかった。

そんな彼らにNetflixが手を差し伸べてくれたのだ。もし、どこか小さな配給会社が拾ってくれていたとしても、Netflixのようなアワードキャンペーンはとてもじゃないが無理だっただろうし、それ以前に世界の多くの人は配給がつかなかったせいで見られないままで終わったはずである。

映画を作る人たちが何より望むのは、自分が作りたい作品を作らせてもらうこと、そしてそれをできるだけ多くの人に見てもらうことだ。そのためにお金をたっぷり出してもらえるなら、さらに言うことはない。

スピルバーグのように世界で最も有名かつ成功している監督でも、かつて自分が作ったような映画を「今のスタジオシステムで作ることは難しい」と感じるようになっていたはず。世の中の流れに逆らわず、作り手としての自分が最も自由をもらえる形を考えた結果が、今回の契約だったのだと思われる。

配信作品の「意外なメリット」

さらに配信の場合、もうひとつメリットがある。興行成績が公開されないことだ。ヒットしたなら、興行成績はもちろん最高の宣伝になる。だが、オープニング週末の数字が思ったよりいかなかった場合、あるいは悲惨だった場合、何年もかけて作った映画は、たった3日で死んでしまう。見てもらえたら実は結構良い映画かもしれないのに「失敗作」の烙印を押されて終わるのだ。

配信公開の場合は、その心配がない。恥をかくことはないし、逆にとても多くのアクセスを得られた場合は、「我が社の歴史で最高に多くの人々に見てもらえました」などとリリースを出してくれることもする。

Netflixが配信したサンドラ・ブロック主演の『バード・ボックス』や、Amazonの『続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画』がその例だ。

『続・ボラット』も、もともとはユニバーサルによって劇場公開されるはずだったが、コロナ禍の中でAmazonに買い取られている。彼らは主演、プロデューサー、脚本家のサシャ・バロン・コーエンが望んでいた大統領選挙前のタイミングで配信してくれた。


サシャ・バロン・コーエンが演じたボラット(写真:John Rogers/Getty)

配信開始前には、バーチャルダンスパーティーを行うなど、プロモーションもしっかりやった。その結果、今作は下品な要素も含むコメディーであるにもかかわらず、アカデミー賞にも脚色部門と助演女優部門で候補入りすることになったのである。

つまり、監督たちにとって自作が配信でリリースになると知ってがっかりしたのは、もう昔の話だということ。今ではむしろ、そっちでよかったと思うことも多い。スピルバーグという大物が仲間入りをした以上、その傾向はますます強まるに違いない。ハリウッドの変化には、今また大きな弾みがついたのだ。