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4月18日の「サワコの朝」のゲストは、カリスマ左官職人の久住有生さん。祖父の代から続く左官一家の長男として兵庫県淡路島で誕生した久住さんは、幼い頃から彫刻の型抜きなど“お手伝い”という名の修業に励んできたそう。卓越した技術と独創的なデザインセンスでまるでアート作品のような“壁”を生み出し、海外でも高い評価を得ています。一切妥協を許さないカリスマならではの哲学、人生の全てを“壁”に捧げる職人魂にサワコが迫りました。

皆がいいと思うものを造りたい!完成していても造り直す究極のこだわり
高校卒業後、本格的に左官職人の道を歩み始めた久住さん。30年に及ぶ職人生活では、金閣寺の敷地内にあるお茶室や東京国立博物館などの文化財から、区立小学校、渋谷の東急プラザ等で新たな"壁"を造り、人々を魅了してきました。スタジオには、久住さんが作品を造る時に使うサンプルを展示。「お客さんに説明するためもあるし、自分で新しく形とかデザインを考えるので、確認するためにも毎回(サンプルを)作ってます」というと、その中の一つ、去年オープンしたホテルオークラの車寄せに使われた壁について説明してくれました。最初に砂や砂利で模様をつけたそうで「その上から金箔を8500枚位貼ったかな。貼ってはハケで落とし。金箔全部を完全に貼っちゃうと結構派手になるけど、砂のところは6〜7割は落ちちゃうので、このような意匠にしました。」と解説。「これは芸術家の域に入っている気がします」とサワコを唸らせました。

そんな久住さんは、全ての作業が終わっていても、その出来栄えが気に入らないと最初からやり直すのだそう。依頼者が「十分気に入っています」と言っても「僕は気に入らない」と返し、納得いくまで制作するといいます。「プロが見なきゃわかんないようなミスだから、まぁいいか!っていうことはない?」というサワコからの問いにも「できることならちゃんと皆がいいと思って造れた方がいいなと思っています」と応え、壁に対するカリスマ左官職人ならではの想いを語りました。加えて、一般的には10種類程度を使い分けて作業する職人の手となる"コテ "について「僕は1000本以上使う」と明かすと、材料となる土は地元・淡路島の土を使い、独自に配合していると説明。一切の妥協を許さない究極のこだわりを教えてくれました。

"死んでも残る"左官の世界へと導いた父からの言葉

1995年、久住さんの故郷を阪神・淡路大震災が襲いました。多くの壊れた家屋を前に奮起した久住さんは「ずっと家を直して回りましたね。100軒とかじゃきかないんじゃないかな。本当に朝から夜中までひたすら壁を塗っていた」と、当時を回想。「ヘルニアも2つ位潰れているし、手首も腱鞘炎だし。体が痛くてまともに寝られなかった」と、過酷だった当時の状況をサワコに語りました。しかし、「壊れはしているけれども、先々代が手掛けたものがどんな風に壊れたのだろうとか、言葉で教わらなくても造ったものを剥がせば何がしてあるのかわかった」と言うと、ボロボロになりながらもひたすら壊れた家を直し続けた日々は、同時に今につながる"技"を学んだ時間でもあったと話しました。

そんな久住さんは、物心ついた頃から左官職人の父のもと、お手伝いの域を超えた修業に勤しんだそう。「毎日しないとご飯食べさせてもらえなくて。夏休みとか長い休みは凄く嫌だったけど、父親の作業場に連れて行かれた。山積みの砂をふるったり、押し入れの壁を塗ったり、彫刻の型抜きをやったり、色んな作業はしていました」とその内容を説明すると、厳しさのあまり家出をしたこともあったと明かしました。その後「早く自分のやりたいことを見つけないと左官職人にさせられる」と察した久住さんは、ケーキ屋になりたいという自分の意思を父親に告白。当然、却下されてしまいますが、高校三年の夏に父親の勧めで訪れたヨーロッパで久住さんの心境に変化があったそう。サグラダ・ファミリアに感動し「左官もいいかなと初めて思った」と言うと、帰国後に父親から「ケーキは食べたらなくなる。左官は死んでも残る」と言われたことで"残るものの凄さ"に打たれ、左官の世界を歩み始めたと語りました。

「サワコの朝」はインタビューの達人・阿川佐和子が土曜の朝に素敵なゲストを迎えて送るトーク番組です。MBS/TBS系で毎週土曜あさ7時30分から放送中。ゲストの心に残る音楽と秘蔵トークをお楽しみに!

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