「ソオッと歩かにゃあいけんよ」広島の平和記念公園で走った私は、なぜ“原爆供養塔”の守り人から叱られたのか?
今年で、広島と長崎に原爆が投下されて81年。ウクライナ、イラン、ガザ……戦争が絶え間なく続く今の世界において、1冊の本『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』を思い起こしたい。核兵器が投下された1945年8月6日のヒロシマの地で、一体何が起きたのか。そして、何が始まったのか。そのことがまさに肌身に迫って来るような感覚で綴られた、ノンフィクション作家・堀川惠子さんによる渾身の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作である。
【画像】“広島の大母(おおかあ)さん”と呼ばれた佐伯敏子さん。佐伯さんは供養塔に眠る人々と向き合い続け、人生を捧げた
2015年に単行本が刊行されて11年が経過する今、堀川さんにお話を伺った。
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核兵器をめぐる動き
――今、世界では戦禍が絶えず、きな臭さが強くなり日本でも危機感を持っている人が増えてきています。改めて、こういった現況を踏まえて、『原爆供養塔』、またこの本に登場する人々について、どのような思いをお持ちですか。
堀川 『原爆供養塔』の単行本を出したのが2015年でした。その前年にロシアによるクリミアの併合が起きていた。で、本書を出すタイミングの直前だったでしょうか、プーチン大統領がテレビのインタビューで、クリミア併合にあたって核兵器を使う準備をしていたと明かしたドキュメンタリーが放送されたんですね。私は、風化に抗うための「ひとつの記憶の足場」を作りたいと思いながらこの本の原稿を書いていたんだけれども、本を刊行する段になって、核兵器が実際に使われる可能性がまさにそのときあった、為政者が準備に着手をしていた、そんな切迫した状況を知って、「あ、これは今まさに現在進行形の危機なんだな」と思ったわけです。

平和記念公園の原爆慰霊碑。 写真:show999/イメージマート
あれから10年以上が経つなかで、ご存知のようにロシアとウクライナの戦争があり、アメリカ軍によるイラン攻撃があり、ここ3〜4年の動きを見ていて思うのは、ウクライナでもイランでも、さすがに核兵器は使われていない。じゃあどういう戦いが行われているかといえば、通常兵器による泥くさい戦闘が延々と続いているわけですね。
ロシアはウクライナを簡単に占領できると思って、おそらくは数日で鎮圧できるという見込みで地上軍を投入し侵攻した。だけど、いまだ4年経っても、ウクライナは抵抗を続けている。つまり、通常兵器の火力で、圧倒的に戦力が勝るロシアであっても、ウクライナを屈服させることはできていない。現在もウクライナ東南部では血みどろの激戦が続いている。
もう一方の、イランへの軍事攻撃も、アメリカ側から見て「うまくいった」今年1月のベネズエラでの軍事作戦のように、おそらくアメリカは数日間のうちに決着がつくだろうと思っていたのに、長期にわたる経済制裁で疲れはてているはずのイランとは、結局、通常兵器で決着が着かない。
それどころか、ペルシャ湾やホルムズ海峡に関していえば、機雷という古典的な武器をイラン側が仕掛けたと言われ、世界中が原油高に襲われて大変な目に遭っている。だから、侵略をする側、もしくは抵抗する側も、これだけ通常兵器で戦っても決着が着かないのであれば、核兵器を使いたいという欲求が働いても全く不思議ではない世界情勢に今はなっていると思うんですよ。
幸い81年間、世界で初めての原爆が日本へ投下されて以降、核兵器の使用はされてこなかったんだけれども、今、この81年で最も危ない時期にまさに来ているんだろうという危機感を持っています。だからこそ、じゃあいざ、核兵器を使ったら何が起きるのか? ということの想像力を私たちは――私たちというのは日本だけではなくて、核兵器というパンドラの箱を開けてしまった人類は持たねばならないのです。生身の人間の上に核兵器をさく裂させたら何が起きるのかっていう原点にもう1回戻らないといけない。その原点とは、ヒロシマでありナガサキ、そして死者たちの眠る「原爆供養塔」なんだろうと思います。
『原爆供養塔』でもっとも伝えたかったこと
――この本は、佐伯敏子さんという「原爆供養塔の守り人」の生涯を追ったノンフィクションであると同時に、ヒロシマをめぐる重大な真実の謎が、堀川さんによる丹念な取材で解き明かされていく展開にもなっています。この本の中で、特に読者に読んでほしいと思う部分はありますか。
堀川 そうですね。原爆供養塔には7万人のご遺骨が眠っていると言われています。でもその7万の根拠は、この本で示した通り、昭和20年の末に、死者14万(±1万)人のうち、まぁ7万人くらいは身元が分かっているから、計算上、引き算をして7万人が行方不明で供養塔にいるよという、もう非常にアバウトな形で算出された数字なわけですよ。それは事実上、死者を数えた数字とは言えないですよね。だけれども、その正確な数はさておき、供養塔に、引き取り手のない遺骨となって眠らざるをえない人たちには、ひとりひとりの人生があって、家族があって、生きていた時間があった。
核兵器の威力を最大限に生かすためには、おそらく海上の船舶をねらったりとかではなく、都市に落とされることになる。そうなってくると、たとえ軍事目標という大義名分は付けたにしても、必ず無辜(むこ)の市民が巻き添えになる。市民がどうしても軍事目標の周辺にいる。この『原爆供養塔』を読めば、どういう人たちが原爆投下のキノコ雲の下にいたかということが具体的に分かります。作家として為すべきことは、ひとつひとつの人生を丹念にたどるしか道はないと思い、その瞬間まで彼ら彼女たちがなぜ広島にいて、どう生きていたのかという足跡を取材でたどりました。
原爆供養塔の守り人、佐伯敏子さん
――この本でも綴られていますが、堀川さんが佐伯敏子さんと出会ったのは、広島平和記念公園の、まさに原爆供養塔の前でしたね。
堀川 はい。思い返せば、佐伯さんとの出会いは、当時地元広島のテレビ局に記者として勤めていた私がヒロシマと向き合う大きなきっかけとなった出来事でした。
最初に会ったのは1993年ですが、原爆供養塔に行けば、いつも365日、土日もなく、真っ黒い喪服を着た佐伯さんがいるわけですよ。テントウムシのように緑の小山のような土饅頭(原爆供養塔)にひっついて、草むしりをしている。あそこは芝生を張ってあるので、雑草が生えるんです。佐伯さんはしっかり水もやって、土饅頭をいつもツルンツルンに綺麗にしていた。
で、私が「佐伯さーん!」と叫んでタカタカ走って行くと、「この公園はソオッと歩かにゃあいけんよ」と、叱られる。「あなたが走っているその土の下には、今もたくさんの人たちが眠っているんだから」とたしなめられるわけです。平和公園の分厚いコンクリートの塊の下にはかつて広島有数の繁華街があり、大勢の人が暮らしていた場所だったんです。それが原爆投下でほぼ一瞬のうちに消滅した。まぁだから言ってみれば、佐伯さんにとっては、原爆供養塔だけではなく、広島の地そのものが墓地なんですよね。
原爆投下後、町のあちこちで犠牲者の遺骨が野ざらしとなりうず高く積まれ、また何年も経った後でさえ、ほんのすこし足元を掘り返すだけで人骨が出てきたといいます。もっともそれから半世紀を経て、佐伯さんと出会った1993年ごろの広島の風景というのは、戦争の記憶なんか欠片もないような近代的な街の風景になってしまっていた。だけれども佐伯さんと出会ったことによって、足元に眠っている人たちの存在に思いを至らせることができるようになった。あの「ソオッと歩かにゃあいけんよ」という言葉は私にとって本当に大切で、本の冒頭で紹介したのです。
(2回目に続く)
〈「普通のちいちゃなおばあちゃんなんですよ」近所の人から笑われても、“原爆供養塔”の守り人が無縁仏の遺族を訪ね歩く理由〉へ続く
(堀川 惠子/文春文庫)
