スシローにも、はま寿司にも、くら寿司にも必ずある…回転寿司を日本中に広げた"シェア8割の国産機械"の正体
■シェア8割、売上高158億円で過去最高
回転寿司やスーパーマーケットのテイクアウト寿司で欠かせない存在となっているのが、「寿司ロボット」である。その寿司ロボット市場で8割という圧倒的シェアを誇るのが、鈴茂器工だ。
鈴茂器工は主要顧客を「5大100円回転寿司」と公表しており、これは一般的に「スシロー、はま寿司、くら寿司、かっぱ寿司、魚べい」の5つを指すものだ。つまり、主要な回転寿司チェーンは、すべて鈴茂器工の寿司ロボットを使っていることになる。
国内だけでなく、海外にも広く展開していて、進出している国の数は90カ所以上にもなっている。決算も好調で、2025年3月期決算で155億6800万円と過去最高となる売上高を記録し、さらに2026年3月期では158億6400万円と過去最高を更新している。
寿司ロボットを開発したのは同社の創業者である鈴木喜作氏(故人)だ。同社は1961年に製菓機械メーカーとしてスタートしたが、寿司ロボットの会社に生まれ変わった。
寿司ロボットの第1号を世に送り出したのは、1981年のことだったという。

「創業者は寿司ロボットを開発しましたが、ただ機械だけを売ろうとしたわけではありません。寿司ロボットは米飯食文化を拡大するための“手段”と考えていました。寿司ロボットで寿司を大衆化し、米飯食文化の拡大につなげようとしたのです」というのは、鈴茂器工の谷口徹社長(57)だ。
彼は鈴茂器工のプロパー社員ではなく、証券会社でビジネスマン人生をスタートさせ、外資系企業、流通のパルコの再建、さらに企業再生支援会社を経て、2015年4月に入社し、2025年に社長に就任している。かといって、再建のために入社したわけではない。鈴茂器工の好業績は創業以来、ずっと続いている。
■「寿司ロボット」で進んだ“大衆化”
寿司は日本食の代表といえる存在だが、ひところは“高級な食べもの”の代表格でもあった。家族そろって寿司屋にでかけるなど、庶民には縁遠いことでしかなかったのだ。それが現在、もちろん高級寿司店もあるが、家族で美味しく回転寿司にでかけて腹いっぱい食べるのは“普通の光景”になっている。寿司が大衆化しているわけだ。
寿司の大衆化を創業者が模索しはじめたのは、大阪万博(万国博覧会)が開催された1970年だったという。この年は「外食元年」と呼ばれ、海外の食文化が一気に流入してきた。この年にドムドムバーガーが東京・町田市に1号店をオープンし、翌年には日本マクドナルドの1号店が東京・銀座の三越に誕生した。日本初のファミリーレストランが登場したのも1970年で、「すかいらーく国立店」が1号店である。

「気楽に食べられるものが普及し、家族で安く食べられる店舗が広がっていくと、創業者は感じました。その流れに寿司を乗せようと考えたのです」と、谷口社長。
1958年に大阪府で創業した「廻る元禄寿司」が世界初の回転寿司チェーンで、コンベアで寿司がまわるスタイルはいまと変わらない。ただし、握るのは職人の手作業で、その職人が不足しているために思うように店舗展開ができない状況にも陥っていた。大衆化は足踏みしていたのだ。
その職人不足を寿司ロボットで補えば、回転寿司の店舗展開は急速にすすみ、寿司は誰もが気軽に食べられるものになる。足踏みしていた寿司の大衆化は一気にすすむ、と創業者は考えたのだ。
■減反政策に憤った創業者
創業者が寿司の大衆化を考えたのは、米飯食文化が危機的な状況にあったからである。日本人がコメを食べなくなったために、コメの過剰生産となり、その対策として政府は、稲の作付面積を強制的に減らしてコメの生産量を減らそうとした。減反政策である。
これに、創業者は危機感をおぼえていた。日本農業の中心は米作であり、そのコメ作りが強制的に制限されていけば、日本の農業そのものが壊滅しかねないからである。
必要なのはコメ作りを制限するのではなく、コメの消費そのものを増やしていくことだと、創業者は考えた。そうした発想から、米飯食を拡大するための手段として創業者が考えたのは、寿司ロボットだけではなかった。

ハンバーガーのバンズ(専用の丸パン)の代わりに圧縮して焼き固めたご飯を使うライスバーガーをハンバーガーチェーンが発売して話題になったが、これを提案したのは鈴茂器工である。そのための機械も手がけている。

いまやコンビニではおにぎりは定番だが、そこには1983年に鈴茂器工が世に送り出した「おむすびロボット」が大きく貢献している。1984年には、のり巻きロボット「のり巻きくん」も生みだした。これらのロボットがコンビニやスーパーで利用され、まちがいなく米飯食の拡大に貢献している。創業者の思いが実現されつつあり、その思いを鈴茂器工はいまでも引き継いでいる。
■「こんなのは団子だ」、厳しい職人の言葉
寿司ロボットといっても、酢飯(シャリ)の上にネタがのった寿司が自動的にできあがってくるわけではない。寿司ロボットがつくるのはシャリの部分、つまり“シャリ玉”だけである。このシャリ玉にあらかじめ切って用意してある魚などのネタをのせるのは人の手でやる。のせるだけなので、本格的な職人の手は必要ない。

しかし、そのシャリ玉が難しい。開発当初の試作機は、ただ酢飯を型に詰める単純なものだったため、助言を頼んだ寿司職人からは「団子みたいで、寿司じゃない」と厳しく指摘されてしまう。団子のままだったら、現在のように寿司の大衆化が実現していたかどうかも疑わしい。
じつは、筆者は寿司ロボットが実用化されてから、生前の創業者に取材し、寿司ロボットのつくるシャリ玉について説明してもらったことがある。
「口に入れたときにシャリがほろっと崩れてネタと馴染むようでなければ、旨い寿司にはならない。寿司ロボットは、そういうシャリ玉にするために工夫を積み重ねてきました」と、創業者は言った。

理想のシャリ玉にするために創業者は寿司屋に通って研究し、試行錯誤を繰り返していく。そして、シャリ玉を握るための微妙な力加減を実現し、シャリと接する機械の金属部分にシリコンゴムを貼り付けて人の掌の柔らかさを再現するなどの工夫で、コメ粒を潰さずにふんわりとしたシャリ玉にすることに成功する。そこまでたどりつくのに、約5年もの時間がかかっていた。
「いまでは職人が握ったのと変わらない、それどころか職人が握るより旨いシャリ玉だという評価もあるくらいです」と、谷口社長は嬉しそうに言った。だからこそ、寿司の大衆化は実現し、鈴茂器工も過去最高売り上げを更新できてもいる。
■回転寿司市場の急拡大を支えた
回転寿司の店舗数は、業界調査の数字によれば2022年時点で約4220店にのぼり、市場規模は7252億円にもなっている。10年前の2011年度の市場規模は4636億円だったから、すでに1.5倍以上に膨らんだことになる。直近の推計では、市場規模は8000億円を超えるまでになっているのだ。
その急成長を支えたのが、寿司ロボットなのである。
さきほども紹介した「廻る元禄寿司」が、1958年にそのスタイルを確立してから半世紀以上が経つ。それでも、回転寿司が一気に全国に広がっていくのは、ずっと後のことだった。寿司を握るのは職人で、その職人が圧倒的に不足していたからだ。
寿司職人の世界には「飯炊き3年、握り8年」という言葉があり、一人前になるには10年以上もの修行が必要だといわれてきた。店舗を増やそうにも、それだけの職人を抱えるのは現実的でなかったのだ。
寿司ロボット第1号機が完成したのは1981年。1980年代に入って回転寿司チェーンが次々と全国展開を本格化させていく時期と、ぴったり重なる。鈴茂器工の寿司ロボットは、その回転寿司ブームの波に乗って、一気に全国へと広がっていった。

シャリ玉さえ機械が握ってくれれば、ネタをのせるのは人の手で間にあう。本格的な職人技は必要なくなったのだ。スシローなどの大手チェーンが全国に店舗網を広げられたのも、寿司ロボットがあったからこそである。
■牛丼チェーンで活躍する「ご飯盛付けロボット」
鈴茂器工の売り上げを支えているのは、寿司ロボットだけではない。創業者の理念である米飯食文化拡大のために開発された基幹商品のひとつに、ご飯盛付けロボット「Fuwarica」がある。ボタンひとつで一定量のご飯をお茶碗に盛ることができる機械だ。

じつはご飯盛付けロボットを鈴茂器工が開発したのは2003年のことで、「ほぼすべての大手牛丼チェーン店に使ってもらっています」と谷口社長はいう。牛丼チェーンが使っているのは、衛生面もあるが、コスト的な利点が大きい。
牛丼のご飯は人の手で盛り付けられていたが、常に一定量に調整するには手間がかかる。とくに忙しい時間帯では、いちいち測っていられない。少なく盛るとクレームにつながりかねないので、ついつい多めに盛ってしまう。
1回や2回なら問題ないのだろうが、20グラム多く盛り付けると、1日で100食と計算しても2キロも余計なコメを使うことになる。年間にすると730キロとなり、店としては大きな損失である。ご飯盛付けロボットの導入で、そうしたムダを省けるのだ。
現在、「Fuwarica」は売り上げを伸ばし続けており、鈴茂器工の売り上げの約1割を占めるほどのヒット製品となったという。
■「機械を売る会社」からの脱却
順風満帆の鈴茂器工なのだが、そこに危機感を訴えたのが谷口社長だった。2019年6月の役員人事で、創業家の鈴木美奈子氏(現在・会長)が社長に就任し、このとき谷口社長は取締役に昇進する。
そして5カ年中期経営計画に着手するのだが、そのために経営陣は熱海のホテルに2日間缶詰になって合宿をおこなっている。この席で谷口社長が語ったのが、証券会社時代に目の当たりにした、写真フィルム現像機で世界トップシェアを誇っていた会社のことだった。

「ある日、この会社の事業がなくなってしまったんです。デジカメが登場し、またたく間に普及したからです」
デジカメの普及でフィルム需要は一気にしぼみ、そうなってくると現像機の必要性も薄れた。世界トップシェアだったために現像機を売る事業に傾注しすぎていたため、その会社の経営はたちまち窮地に立たされてしまった。
同じように、寿司ロボットという機械だけを売るビジネスだけに頼り切っていると、たちまち経営は傾くことになる。そうならないために、機械だけを売るのではなく、機械が売れるような環境づくりまで考えた経営方針が必要だ、と谷口社長は訴えたかったのだ。谷口社長の言わんとしていることを、経営陣は理解した。
■「寿司ロボットを売ること」が目的ではない
「このときの中期経営計画のビジョンをひと言でいうなら『原点進化』です。創業者の理念に立ち返り、そこから進化させていくということです」と、谷口社長。
創業者の理念とは、米飯食文化を広めることだった。そのための手段が寿司ロボットだったのだが、原点に戻るなら、寿司ロボットを売ることを優先するより、米飯食文化そのものを拡大することを優先すべきだということである。
「そして5カ年の中期経営計画『Growth2025』を2019年11月に発表し、自前主義を脱して外部の良いところも取り込んでお客様の事業を強化するために多面的な価値を提供するという方針になりました」
ひとつの具体例が、2021年に鈴茂器工が買収し、2025年には吸収合併した日本システムプロジェクトという会社である。ここが持っているセルフオーダーシステム「SEMOOR」を中心としてソリューションの幅を広げ、回転寿司をはじめとした店舗のオペレーション改善を狙っているという。
例えば、従来のコンベアにのって回ってくる寿司の皿をジッと待つのではなく、テーブルに置かれた端末から注文すれば、注文した寿司がコンベアで運ばれてくるスタイルが普及している。好みの皿が回ってくるのを待つ必要もないし、つくりたてだから新鮮で衛生的でもある。それによって集客増が望めるので、店舗にとっても嬉しいし、米飯食文化の拡大にもつながるからだ。
■寿司ロボットが「外食の風景」を変えた
自社で開発した機械に固執する自前主義ではなく、必要ならM&Aや他社との協業にも積極的に取り組むのが現在の鈴茂器工である。それによって米飯食を広げていく「原点進化」にとどまらず、「(創業理念の)進化と深化だ」とも谷口社長は語った。

「団子みたいで、寿司じゃない」と職人に酷評された寿司ロボットが、半世紀を経て寿司業界を支え、家族そろって回転寿司に出かける普通の風景を実現させた。創業者・鈴木喜作が大阪万博の年に思い描いた寿司の大衆化は、いまや回転寿司8000億円市場という形で現実のものとなったのだ。
創業者の理念は、谷口社長の「原点進化」を経て、いまも守られ続けている。寿司ロボットが、日本の食卓を支え続けているのだ。
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前屋 毅(まえや・つよし)
フリージャーナリスト
1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。著書に『学校が合わない子どもたち』(青春新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(KKベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『日本の小さな大企業』(青春新書インテリジェンス)などがある。
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(フリージャーナリスト 前屋 毅)
