「ガル高」――箱根駅伝ファンの間で長年“伝説の名門校”として語られてきた、ケニア人留学生ランナーたちの出身校だ。日大のギタウ・ダニエルや、北京五輪マラソン金メダリストのサムエル・ワンジルらを輩出しながら、その実態は長く謎に包まれていた。なぜ“ガル高出身者”は日本の駅伝界から忽然と姿を消したのか。

【衝撃画像】「陸上界で都市伝説のように語られてきた」箱根駅伝“ナゾの名門校”「ガル高」を写真で見る

 第57回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した、ノンフィクションライター・泉秀一氏の著書『アフリカから来たランナーたち 箱根駅伝ケニア人留学生』(文春新書)より一部を抜粋し、“幻の名門校”を追ってケニアへ飛んだ泉氏の現地ルポを紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)


ガル高に在籍していたとされているサムエル・ワンジル ©文藝春秋

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青いペンキで書かれた「NGARU ××××× HIGH SCHOOL」の文字

 ナイロビから北へ車で2時間半。舗装道路の両側にバナナの木が青々と茂る中を進んでいると、運転手が左を指差した。

「あれだね。お前が行きたいっていう高校は」

 舗装道路から左に折れる細い道が見える。ハンドルを切ると、途端にタイヤの下の感触が変わる。舗装からデコボコした赤土の未舗装路へ。車体が小刻みに揺れ始め、土埃が舞い上がった。

 運転手は慣れた様子でハンドルを握りながら、道端の穴を避けるように慎重に車を進める。前方に小さな看板が見えてきた。青いペンキで書かれた文字が次第にはっきりしてきた。

「NGARU ××××× HIGH SCHOOL」──。

 長年、疑問を抱き続けた幻の学校の名前が、確かにそこに刻まれていた。ついに辿り着いたのだ。ずっと訪れたかった場所を前に、興奮を隠せないでいた。しかし、その高揚はほんの一瞬だった。

 大文字で書かれた看板のNGARUとHIGH SCHOOLの間に「GIRLS」の5文字を見つけてしまったからだ。私はその瞬間、この謎解きが一筋縄ではいかないことを覚悟した。

 校門をくぐって最初に目にしたのは、白いシャツに水色のスカートの制服を着た女子生徒たちの姿だった。外国人がこの場所を訪れるのは、きっと珍しいことなのだろう。彼女たちは教室の窓から好奇心に満ちた視線をこちらに向けている。ニコニコしながらどこか照れくさそうに手を振る姿に、こちらも思わず笑顔になる。

 ところが、校庭を見回しても、陸上のトラックはおろか、まともな運動場らしきスペースすら見当たらない。あるのは、ゴール部分が取り外されているバスケットボールのコートと小さな中庭だけ。日本の陸上ファンがイメージする、数々の名選手を輩出してきた名門校の姿とはあまりにもかけ離れた光景だった。

駅伝のテレビ中継テロップで何度も目にしていた「ガル高校」

 私はついに「ガル高校」を発見した。

 しかし同時に、それは新たな謎の始まりだった。

 なぜ、ケニアの一地方の高校に対して「ついに」という感覚を抱くほど入れ込んでいるのか。その名前を聞いたことのある陸上ファン以外は、きっと疑問に思うことだろう。しかし、このガル高校は、陸上界では長らく都市伝説のように語られてきた存在だった。

 その名が知られるようになったのは、1990年代のこと。日本でケニア人ランナーが走り始めたのは、第2章で記した通り、実業団では1980年代中盤にエスビー食品で、大学では山梨学院大学が1980年代後半に、高校では仙台育英が1990年代前半に切り開いた。

 その後、ライバルチームたちは、数年間は日本人にこだわった。しかし、ケニア人ランナーたちがもたらしたインパクトの大きさから、次第に追随するようになる。

 実業団ではエスビーが始めたのち、コニカ(現コニカミノルタ)、MDI(現レオパレス21)、マツダ、トヨタ自動車、スズキが続き、大学では山梨学院大学に続いて、日本大学、拓殖大学などが早くからケニア人ランナーを受け入れた。

 高校では、青森山田や滋賀学園、世羅などが仙台育英の後を追った。そうしてケニア人ランナーが増えるにつれて、出身校にも注目が集まるようになっていく。

 駅伝はテレビ中継される際に、各選手の出身校が表示される。基本的には、視聴者が地元の選手を身近に感じて、より応援しやすいようにという意図で、日本の学校を想定したものだろう。そもそも海外の高校名を書いたところで視聴者は認識できない。

 それでも、ケニア人ランナーも他の日本人と同じように出身校が紹介される。そこで何度もテロップに表示されたのが、ガル高だった。

 2009年(85回大会)に日本大学で箱根駅伝の2区を走り、驚異の20人抜きを果たしたギタウ・ダニエルもガル高の出身だ。同じく日大に所属したディラング・サイモンやガンドゥ・ベンジャミン、あるいは拓殖大学のジョン・マイナ、ダンカン・モゼもガル高の出身となっている。

 大学だけではなく、高校もガル高からの転校で留学生を受け入れている。2002年に仙台育英高校に入学したサムエル・ワンジルはすでに触れた通り、卒業後にトヨタ自動車九州に所属すると、2008年の北京五輪のマラソンでケニア人初の金メダルを獲得したスターランナーだ。

 後の金メダリストが在籍していたのだから、当時の仙台育英は全国高校駅伝で連覇を果たすほど圧倒的に強かったのだが、実はこの時、ワンジルを含めた男女4人のケニア人留学生ランナーが在籍していた。そして、仙台育英のホームページによると、その全員が「Ngaru Secondary School」からのスポーツ留学生となっている。

陸上ファンが盛り上がった「ガル高校応援スレ」

 駅伝で他を圧倒するケニア人ランナーたちの出身校が同じとなれば、陸上ファンがガル高に注目するのも当然だろう。陸上ファンの間では、ガル高はケニアの超エリートスポーツ校に違いないと認識されていった。

 ガル高にまつわる情報は陸上ファンたちが面白がるネタとなり、いつしかインターネット上の掲示板にスレッドが立ち上げられた。「ガル高校応援スレ」と名付けられたそのウェブページを覗くと、さまざまな噂が展開されてきた様子がわかる。

「ネットで必死に探してるのにガル高校のHP見つからねぇ。実際にあるのかも疑問に思えてきたw」

「ガル高校が存在しないって妙にリアルだな。記録会で優秀なタイムを出した選手を、ガル高校出身として日本へ送り出す組織がある(もちろん高額な金が絡む)。そしてガル高校の存在を探そうとするヤツは消される……」

「ガル高ばかり日本に来るのはガル高にしか凄い選手がいないのか、ガル高以外はそれほど日本に輸出しないのかどっちか分からんな」

出身校として「消えた」ガル高

 しかしこのスレッドは、2012年を最後に更新が止まっている。それは、ちょうどその頃、2010年代前半を境に、突如としてガル高出身の留学生が来日しなくなったからである。

 例えば、箱根駅伝に出場したランナーでは、2014年のダンカン・モゼを最後に、以降はガル高から選手が輩出されることはなくなった。今では、東京国際大学のリチャード・エティーリの出身校であるシル高や、現在はホンダに所属するイェゴン・ヴィンセント(東京国際大学卒)のチェビルベレク高、城西大学の4年生ヴィクター・キムタイのマウ高などさまざまだ。

 これまでに箱根駅伝を走ったケニア人ランナーは41人いるが、そのうちガル高の出身者は5人。比率としては約1割だが、これは留学生ランナーが増えた近年に、出身校としてガル高が「消えた」からである。

「うちが陸上の名門だなんて、全く知りません」箱根駅伝“幻の名門校”「ガル高」実は普通の女子校だった? ケニアを訪れてわかった“意外な実態”〉へ続く

(泉 秀一)