元FRB議長のアラン・グリーンスパン氏が100歳で死去した/Jonathan Ernst/Reuters via CNN Newsource

(CNN)かつて好景気を牽引(けんいん)する名指揮者と称賛された一方、退任後に起きた住宅バブル崩壊と金融危機の責任の一端を負わされた米連邦準備制度理事会(FRB)のアラン・グリーンスパン元議長が死去した。妻のアンドレア・ミッチェル氏が明らかにした。100歳だった。

グリーンスパン氏は、1987年にロナルド・レーガン大統領の指名を受けてFRB議長に就任し、その後4人の大統領の下で5期を務めた。ジョージ・W・ブッシュ大統領の下での任期は2006年に満了した。18年半に及ぶ在任期間は、米国の中央銀行トップとして歴代2番目の長さだ。

訃報(ふほう)は、NBCニュースの特派員であり29年間連れ添った妻でもあるミッチェル氏の声明で発表された。

「アランは今朝、パーキンソン病の合併症により、自宅で100歳で亡くなった」とミッチェル氏は声明で述べた。

「彼は偉大な人物であり、党派を問わず複数の大統領の下で何十年にもわたり米国経済の形成に貢献した。しかし同時に、自らの過ちを認めることにも常に誠実だった」とミッチェル氏は語った。

ニューヨーク市生まれのグリーンスパン氏は、1950年代に母校のニューヨーク大学で経済学を教える一方、自らが共同で運営し21年間携わった経済コンサルティング会社タウンゼント・グリーンスパン社の会長兼社長を務めていた。また、68年のリチャード・ニクソン大統領選挙キャンペーンでは国内政策研究部門の責任者を務め、ニクソン政権発足後も非常勤顧問として助言を行った。

74年、ニクソン政権最後の年に、グリーンスパン氏は大統領経済諮問委員会の委員長に就任し、ジェラルド・フォード大統領の任期を通じてその職に留まった。フォード氏が76年の選挙で敗れた後は経済コンサルティング業務に復帰し、FRB議長に任命されるまでその仕事を続けた。

「FRBにとって悲しい日だ」と、FRB理事のクリストファー・ウォラー氏は22日、FRBでのイベントで述べた。FRBもまた、グリーンスパン氏の功績を振り返る声明を発表した。

グリーンスパン氏のFRB議長在任中、米国経済は平時としては歴史上でも屈指の力強い景気拡大を経験した。失業率は4%を下回り、株式市場は当時の過去最高水準に到達。連邦政府は財政赤字ではなく財政黒字を計上するようになった。

2000年のドットコム・バブル崩壊後、経済は01年に景気後退に陥り、さらに同年9月11日の同時多発テロ攻撃によって大きな打撃を被った。これを受けて、グリーンスパン氏とFRBは当時としては前例のない水準まで主要政策金利を引き下げた。金利は最終的に1%に達した。

多くの経済学者は、そうした低金利が住宅バブルを膨らませる一因になったと指摘。投資家がそれまでなら住宅ローンの資格を満たさなかった借り手に対しても、住宅ローンを提供するようになったと分析している。また好景気に沸いた当時、FRBが住宅ローン市場に対してより適切な監督を行わなかったことについても批判の声が上がっている。

グリーンスパン氏は在任中、住宅バブル論を退け、個々の地域市場では価格が割高になっている可能性はあるものの、全国規模のバブルを示す証拠はないと主張していた。

しかし08年秋に全米で住宅価格が暴落し、差し押さえや銀行の破綻(はたん)が急増すると、同氏は下院監視委員会で証言。「衝撃と信じがたい思いに駆られている」と打ち明けた。