10年後、超エリート選手の9割は消えた
■長距離ランナー“東京五輪世代”の甘くない現実
高校スポーツ界には年間にいくつものビッグイベントがある。春・夏の甲子園(野球)、選手権(サッカー)、都大路(駅伝)、花園(ラグビー)、ウインターカップ(バスケ)、春高バレー……。憧れの舞台を経験した者は、ひとつの夢をかなえたと言ってもいい。その中でも有望な選手は次のステージに進むことになる。
野球でいえば、毎年100名前後が日本高校野球連盟に「プロ野球志望届」を提出する。日本野球機構(NPB)のドラフト会議では30〜40名ほどの高校球児が指名を受けることになる。高校からいきなりプロに進み、スーパースターの道を突き進む選手がいる一方で、ドラフト指名で入団したのに一度も1軍に登録されることなく、ひっそりとグラウンドを去る選手もいる。そうした「格差」は、どの競技にも共通する甘くない現実だ。
▼2007年、高校3年「トップ10」のうち今も実業団で走るのは1人
今回、10年前に高校3年生の5000m走で、当時トップ10だった選手たちの「今」をクローズアップしてみたい。彼らは現在、28〜29歳で、2020年の東京五輪が集大成ともいうべき世代。特に注目されているのは、この世代の選手が「マラソン」で活躍できるかどうかだ。
下記のリストはトップ10選手の「タイム」「名前」「高校」「その後の進路」である。
(1)14分00秒8 鎧坂哲哉(広島・世羅)→明治大
(2)14分01秒50 柏原竜二(福島・いわき総合)→東洋大
(3)14分04秒25 八木勇樹(兵庫・西脇工)→早稲田大
(4)14分07秒56 矢澤曜(神奈川・多摩)→早稲田大
(5)14分09秒80 伊藤正樹(秋田・秋田工)→国士館大
(6)14分11秒45 三田裕介(愛知・豊川工)→早稲田大
(7)14分12秒11 松原健太(島根・出雲工)→東京農業大
(8)14分12秒55 中山卓也(兵庫・須磨学園)→早稲田大
(8)14分12秒55 奈良眞太郎(宮城・東北)→日本体育大
(10)14分13秒19 刀祢健太郎(山口・西京)→東海大
■トップ10入りした超エリート選手の「その後」は?
【鎧坂哲哉(1位)】
この「トップ10」の中で大学卒業後も際立った活躍をしているのは、1位のタイムを出した鎧坂哲哉(現・旭化成)だ。明治大では1万mで日本人学生最高(当時)の27分44秒30をマークすると、社会人では2015年の北京世界選手権1万mに出場。5000m(13分12秒63)と1万m(27分29秒74)で日本歴代2位のタイムを持ち、ニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)では連覇(17・18年)も経験している。
【柏原竜二(2位)】
箱根駅伝ファンならば、真っ先に目がいくのが「山の神」と呼ばれた柏原竜二だろう。箱根駅伝は5区で4年連続の区間賞を獲得し、チームに3度の総合優勝をもたらした。また関東インカレ1万mで4年連続して表彰台に乗るなど、トラック競技でも活躍した。しかし、富士通に入社後は故障もあり、2017年3月末で陸上部を退部。その後は同社の社員として働いており、現在は同社アメリカンフットボール部「富士通フロンティアーズ」のマネージャーを務めている。当時の5000mのタイムでは2位につけた柏原だが、高校3年の12月の記録会でマークしたもので、高3の秋までは全国的にまったく無名の存在だった。
【早大進学組4人(3、4、6、8位)】
一方、この世代で当時「最強」と呼ばれていたのが、インターハイ5000mで2年連続の日本人トップに輝いた八木勇樹(3位)だ。そしてインターハイ5000mで日本人トップ3を占めた八木、三田裕介(6位)、中山卓也(8位)がスポーツ推薦で早稲田大に入学。国体少年A5000mで7位に入った矢澤曜(4位)も一般推薦で早大に入った。彼ら早大進学組は大学1年時から学生駅伝を沸かせている。3年時には、出雲、全日本、箱根を制して、「駅伝3冠」を達成した。しかし、最後の箱根は八木、三田らが出場できなかったこともあり、早大は4位に終わった。ちなみに中山はソウル五輪とバルセロナ五輪の男子マラソンで4位に入った中山竹通の長男。大きな期待を受けて名門早大競争部に入ったものの、学生三大駅伝は1年時に出雲を走っただけだった。以上、早大進学組の4人はみな、卒業後に実業団チームに所属したが、社会人ではいい結果を残すことはできていない。
トップ10のうち上記で紹介した選手を含む9人は大学卒業後も実業団で競技を続けた(9位の奈良眞太郎以外)。しかし、10年経過した現在も実業団ランナーとして活躍しているのは鎧坂ただひとりだ。想像以上に厳しい現実が浮き彫りになってくる。結局、高校時代に超エリートだった10人の選手のほとんどは大学時代か20代前半にピークを迎え、その後は下降線をたどったことになる。
▼「トップ20位〜50位」の選手はどうなったか?
では、2007年、高校3年生5000mタイムの「トップ50」まで広げてみると、どうなるのか。
箱根駅伝の人気もあり、駅伝を本格強化している大学は関東だけでも30校以上ある。そのため、有力高校生ランナーたちの争奪戦は年々増加。トップ50ともなれば、引く手あまたといえる状態だ。授業料免除や奨学金を支給する大学もあり、筆者が高校時代だった約25年前と比べると、高卒で実業団に進む選手が激減している。
トップ50だった選手で、その後、大学で競技を続けたのは42人いる。そのうち41人が関東の大学に進学した。東洋大、早大、東海大、順大、駒大、山梨学大など強豪校ばかりだ。面白いことに現在、箱根駅伝4連覇中の青山学院大に進学した選手はひとりもいない。当時の青学大は箱根駅伝に復帰する前(予選通過できなかった)で、有力選手には見向きもされていなかったのだ。
■トップ50のうち、実業団で今も走るのは9人だけ
関東の有力大学に入学した41人はみな「箱根」を目指したわけだが、実際に箱根駅伝に出場できたのは28人で残り13人は出ていない。3人に1人は「箱根」に届かなかったことになる。
大学に進学した42人のうち、大学卒業後に実業団チームに進んだのは29人だ。トップ50のうち高卒で実業団に進んだ5人を加えると、50人中34人ということになる。では、現在も実業団チームで「現役選手」を続けているのは何人なのか。
答えは、鎧坂哲哉(旭化成)、園田隼(黒崎播磨)、久井原歩(黒崎播磨)、川上遼平(カネボウ)、橋本隆光(小森コーポレーション)、的場亮太(小森コーポレーション)、山崎亮平(中国電力)、棟方雄己(カネボウ)、細川勇介(大阪ガス)の9人。東京五輪に向けたサバイバルレースは、トップ50の2割弱しか生き残らなかったことになる。
大学に進学して、実業団に進まなかった選手(13人)のほとんどは一般企業に就職した。一方、大学卒業後に実業団に進んだ選手は前述したように29人だが、その大半はすでに陸上部を引退。退社して家業を継いだり、転職したりする者もいるが、そのまま会社に籍を残し、社業に専念している元選手が多い。陸上部を抱える会社には、トヨタ自動車、ホンダ、日清食品グループなど大企業が多く、引退後も収入は安定している。
▼トップ50圏外だった非エリートの「巻き返し」もある
最後に、トップ50の中から2020年東京五輪に近い選手を紹介したい。
まず、トラック種目(5000m、1万m)ではキャリア十分の鎧坂に期待がかかるが、鎧坂以外は厳しい状況だ。マラソンでは、今年2月の別府大分毎日マラソンで2時間9分34秒の日本人トップを奪い、今夏のアジア大会代表に選ばれている園田隼(黒崎播磨)が最も近い位置にいる。
また「10年前のトップ50」では圏外だったが、同学年で東洋大に進んだ山本憲二(マツダ)は、今年2月の東京マラソンで9位(2時間8分48秒)に入った。園田と山本は東京五輪の日本代表選考会であるマラソングラウンドチャンピオンシップ(MGC)の出場権をつかんでいる。トップ50に入れなかった「非エリート」がその後の努力によって、巻き返した形だ。
■トップ50の7割が「走る」という武器で大企業に入社
このように彼らの学年には東京五輪を狙える選手がいるが、男子マラソンは激戦区だ。2学年下には設楽悠太(ホンダ)と大迫傑(ナイキ・オレゴン・プロジェクト)がいる。3学年下には井上大仁(MHPS)がいる。年下の超強力ライバルに対抗して、夢の舞台に立てるだろうか。
10年前、大学に入ったばかりの彼らを取材したとき、その多くが「箱根駅伝で活躍して、世界で戦える選手になりたい」と語っていた。現実は甘くない。それでも、トップ50の約7割(50人中34人=68%)が「走る」という武器で大企業に入り、実業団選手としても走ることができたと考えると、競技生活としては恵まれたものだといえるかもしれない。
(スポーツライター 酒井 政人 写真=iStock.com)
