金曜日の夜は特に待ち合わせの人で混み合う「みなみ西口」。地元の人の間では「相鉄口」や「相鉄の交番前」など別の呼び方をすることも(筆者撮影)

昨年、ある小説が話題になった。改築を続ける横浜駅が自己増殖の能力を得て、全国を覆い尽くしていくという世界を舞台にした『横浜駅SF』(柞刈湯葉著)だ。今年3月2日からは、小説を下敷きにして実際の横浜駅を舞台にしたリアル謎解きゲーム「横浜駅SF謎」が開催されている(来年3月1日まで)。ゲームに使うセットには「開催期間中、横浜駅の構造が変化する恐れがあります。くれぐれもご注意ください」というユニークな注意書きが添えてあった。

イベント開始から4日後の3月6日、その注意書きどおりのような変化が起きた。東西自由通路と地下街を結ぶ仮通路が通行できるようになったのだ。この仮通路は長年JR横浜駅から地下街に向かう際にあった、一度地上まで昇ってから再び地下街に向けて降りるという不便な構造(通称「馬の背」)を解消するもので、現在行われている横浜駅の工事でもとりわけ注目される場所になっていた。

「ずっと工事をしている」と言われる横浜駅とその周辺。これまでのまちと何が変わり、これからはどんなまちを目指しているのだろうか。

1950年代から続く横浜駅の開発

横浜駅の「変化」は、1950年代に始まった西口開発に端を発する。主導したのは横浜にターミナルを持つ相模鉄道(相鉄)で、1952年にアメリカの石油会社が保有していた広大な土地を購入し、横浜名品街、横浜高島屋、横浜ステーションビル、ダイヤモンド地下街と次々に施設を建設・開業していった。

特に注目されるのは1962年11月に開業した「横浜ステーションビル」の建設だ。横浜駅西口は1948年に戦災復興で木造駅舎が応急的に作られたきり、しばらくそのままになっていた。しかし、西口の発展が進むにつれて立派な駅舎を望む声が大きくなり、1957年に横浜駅の駅弁販売で財をなした崎陽軒と西口開発を推し進めていた相鉄がそれぞれ「民衆駅」建設の請願を国鉄に提出する。民衆駅とは、国鉄と地元資本が共同で駅舎を建設し、商業施設を設けた駅のことだ。

最終的に相鉄と崎陽軒でそれぞれが提出した案をまとめ、自己資金だけでは駅舎の建設をすることが難しい国鉄がゴーサインを出した。そして国鉄側の要望を汲む形で国鉄・東急・相鉄の乗り換えが楽にできるよう改札口が1階にまとめられた。実はこれが「馬の背」の部分で、昔は改札口が同じ階にまとめられていたのだ。当時は改札口を出て真っすぐ進むとダイヤモンド地下街へ降りるという自然な構造だったのである。

その後、1973年に相鉄が10両編成化に伴い、ホームと改札口を高架化したうえで現在の位置まで南西に移動し、同時に相鉄ジョイナスと横浜高島屋が現在と同じ位置で開業。1980年には幅13mの国鉄横浜駅構内の地下通路を拡幅し、幅36mの東西自由通路が完成する。この相鉄の移転と自由通路誕生による国鉄の改札地下化で、横浜ステーションビルには東急の改札口と「馬の背」の構造だけが長年取り残されることとなった。

その後は横浜駅がさらに大きく広がる。1980年の東西自由通路開業と時を同じくして東口には駅ビル「ルミネ」と地下街「ポルタ」が開業、1985年にはポルタの向こう側に横浜そごうが開業した。

東横線地下化で増えた通路

しばらく工事が落ち着いた期間を置き、1995年からはみなとみらい線乗り入れと通路増設に向けた工事が始まった。この工事により、東急が地下化したうえでみなとみらい線に乗り入れるとともに、北と南に1本ずつ地下自由通路とそれをつなぐ南北自由通路が作られ、さらに東横線の跡地を利用する形で横須賀線のホームが広がった。工事は当初よりも遅れ、2011年まで続くこととなったが、中央通路への人の集中は緩和された。


「(仮称)横浜駅西口開発ビル」の横には相鉄ジョイナスがあり、建設中のビル完成の際には接続する予定。現在の位置に移動するまで相鉄の駅は写真左側のあたりにあった(筆者撮影)

ジェイアール東日本企画の「JR主要駅改札口別利用実態調査2017」によると、JRの乗降客の16.0%が北改札、43.1%が中央通路の改札、30.5%が南改札を利用するようになり、横浜駅を利用する人々の中央通路への集中が緩和した。

そして2010年、老朽化した横浜ステーションビルの建て替え計画がJR東日本から発表された。当初計画では東急電鉄と共同で、横浜ステーションビルと隣接する横浜エクセルホテル東急を2011年から取り壊し、地上33階建て地下3階建ての駅前棟、地上8階建て地下1階建ての線路上空棟、地上9階建て鶴屋町棟を建設する予定だった。

さて、ここで不思議に思われるのは、横浜西口開発および横浜ステーションビル建設に大きな影響を与えた相鉄の存在がないことだ。


建設中の「(仮称)横浜駅西口開発ビル」。地下には相鉄ジョイナスと一体化した地下街が広がる(筆者撮影)

実は相鉄は2005年の事業持株会社化から2010年の純粋持株会社化まで「選択と集中」として、大胆な事業や資産の整理や子会社化を行っていた。その中で横浜ステーションビルも対象となったのだ。「2010年6月30日付で、相模鉄道が28%保有していた株式がJR東日本に譲渡された」(横浜ステーシヨンビル)という。結果的に横浜ステーシヨンビルの現在の株主構成は「JR東日本が85%、崎陽軒が9.6%、ルミネが5%、残りは自己株式」(同)となり、結果的にJR東日本の子会社となった。

こうした事業主体の集約により、ようやく横浜ステーションビルの再開発が行われる地盤が整ったのである。さらに2013年末には再開発のスピードを上げるため、東急電鉄は東横線の跡地を利用した駅前棟から鶴屋町棟をつなぐデッキ整備のみ行うこととなり、横浜駅西口駅ビルの建物建設はJR東日本に一本化されることになった。

大変貌する駅の北側

その後、JR東日本は2014年3月と昨年10月に「(仮称)横浜駅西口開発ビル」の計画変更を行う。まず線路上空棟の建設を取りやめ、駅前棟は地上26階建て地下3階建てとした。また、鶴屋町棟には駐車場だけでなく商業施設・ホテル・スポーツジムを入居させることになった。こうして現在の「(仮称)横浜駅西口開発ビル」の計画となり、2020年の開業に向けて工事を行っている。


横浜駅と周辺の主な施設や道路などの位置関係図(筆者作図。横浜市営地下鉄、東急東横線、みなとみらい線の横浜駅は作図の都合上省略した)

「(仮称)横浜駅西口開発ビル」が開業すると、鶴屋町まで駅ビルが広がっていくことになる。さらに隣接地には再開発組合が国家戦略特区制度を活用した44階建てのビルも建設されることになり、横浜駅北側は大きく姿を変える。

こうした2010年以降の横浜駅周辺再開発計画は横浜市の策定した「エキサイトよこはま22」計画に基づいている。では、「(仮称)横浜駅西口開発ビル」以外の今後の横浜駅および周辺はどう変わっていく予定なのだろうか。

すでに、基盤整備の基本方針やまちづくりガイドライン、エリアマネジメント型のまちづくりといった方向性は策定されているが、気になるのは線路上空デッキの検討・整備と東口の再開発想定だ。

まず、デッキの整備だが、やはり現在ある3本の東西自由通路だけではまだ人の流れが集中しやすいために、新たな導線が必要とされている。特に中央通路は1日約50万人、みなみ通路は1日約25万人が利用する。そこで、この間に線路上空に西口側と東口側を結ぶデッキを架けようという計画が検討されている。相鉄横浜駅の東端あたりからルミネの南側へ線路上空を通り、そのままスカイビルまで結ぶ構想だ。

そして東口には横浜中央郵便局を中心に「ステーションオアシス地区」というものも計画されている。現在は歩行者用通路のみ決定しているが、今後は高度利用を前提に商業、業務、宿泊といった機能について具体的な計画を策定する。これまで付近には業務以外の機能はなく、また低次利用地もあったため、高度利用化による都市空間形成には期待が持てそうだ。また、上空デッキとステーションオアシス地区の接するところでは上下方向の移動導線をまとめた「ターミナルコア」を設け、人々の移動を円滑化する計画だ。

しかし、線路上空デッキおよびステーションオアシスの双方とも検討中で、「関係者での協議中であり、計画策定はもちろん完成までしばらくかかる」(横浜市都市整備局都市再生課)という。

西口五番街の再開発はどうなるか

こうした計画を市民はどう思っているのか。


居酒屋が多く、また雑然とした雰囲気の横浜五番街。ここの再開発はまだまだ先だ(筆者撮影)

市内に在住する男性は「線路上のデッキの計画に期待したい。いまはみなみ西口の交番前くらいしか待ち合わせスポットがなく、夜は混雑する。なので、待ち合わせ場所となるところを新しいデッキの上に作り、ルートの選択肢を増やして歩きやすくしてほしい。それから、西口五番街はきれいに再開発してほしい」という。

横浜西口五番街地区は相鉄の横に広がっており、駅前にしては見た目が雑然としている。確かに再開発の余地がある場所だろう。横浜市に再開発の予定について問い合わせたところ、「再開発の準備組合があり、再開発を行うことは決まっている。しかし、どういう事業を行っていくかという具体的な計画はまだ決まっていない。いまは勉強会などをやりながら検討している状況。道のりは長い」(横浜市都市整備局都市再生課)という。

待ち合わせ場所も確かに十分でない印象だ。代表的なのは、地下中央通路にある「赤い靴はいてた女の子像」や、横にあるガス灯が挙げられる。しかし、人の多い中央通路では見つけにくく、見つけたとしてもその前で立ち止まって待つのも大変だ。そのため横浜駅によく来る人は相鉄の改札の近く、みなみ西口にある交番前に集まることが多いが、交番前も通行量が多く、混んでいる場所だ。

また、場所の説明が難しく、目の前に雑然とした「横浜五番街」が広がっているため、横浜の外から来る人との待ち合わせにはこちらも向かない。そのため、デッキと共に改札口とゆったりした待ち合わせスペースが整備されれば役に立つだろう。

とはいえ、ひとまず「馬の背」は解消し、駅ビル建設も本格化することで横浜駅や周辺の再開発といったハード面は大きく前進していっている。今後も駅周辺の再開発で横浜駅や周辺施設の構造変化はしばらく続きそうだ。

横浜駅周辺を「魅力あるまち」にするには

むしろ、これから重要になるのは、もっと面的にまちにさまざまな空間を作り出し、魅力のあるまちづくりを志向するというソフトの面だ。「エキサイトよこはま22」計画では、まちの将来像として、『選ばれるまち』『魅了するまち』『誇りに思うまち』という指針が示されている。しかしこのためには課題が多いと思わざるをえない。

もともと横浜駅周辺地区は大型商業施設とビルにより発展し、なんでもそろう利便性が人を集めていたエリアだ。選ばれるような独自の魅力や面白さのあるまちとはタイプが違う。少しずつソフト面の取り組みが始まっているとはいえ、まちを歩けば人が多いばかりで文化施設やゆっくり休める場所も少ないと感じられるのが実情だ。JR東海道線沿線に住む人の中には、横浜は疲れるので1棟のショッピングモールになっている川崎のラゾーナに行くという人もいた。

さらに今後相鉄がJR・東急へ乗り入れることが計画されており、これによって人の流れが東京へと向かい、横浜駅周辺へ来訪する人が減ることが危惧されている。

こうした現状と実感から考えると、「エキサイトよこはま22」のようなハード面中心の計画だけではなく、「横浜駅周辺がいい」と思わせるゆとりのある、面白いまちになるような仕掛けをしていくことが求められる。そのためには箱を作るだけではなく、大型商業施設にありがちな店や空間とは違ったものを導入していく仕組みや雰囲気作づくりが重要になってくるのではないだろうか。