25年から群馬を率いる沖田監督。豊富な指導歴を持つ指揮官だ。写真:元川悦子

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 8月のシーズン移行を控え、目下、熱戦が繰り広げられている2026年明治安田J2・J3百年構想リーグ。J2勢が7チームもひしめくEAST-Aでまずまずの健闘を見せているのが、J3のザスパ群馬だ。

 2020〜24年にかけて5シーズン、守ってきたJ2の座から陥落した同クラブは、25年から沖田優監督が就任。ボールを保持し、主導権を握りながら敵を凌駕していくスタイルを目ざしているが、25年はJ3で14位。それでも、終盤に6連勝を飾るなど、尻上がりに上向いた形でフィニッシュ。26/27シーズンに向けて現在、基盤を強化しているところだ。

 そもそも沖田監督はなぜ、超攻撃的なスタイルを志向するようになったのか。それは彼の歩んできたキャリアと、その時々に出会った指導者の影響によるところが大きいという。

 1978年、千葉県生まれ。成田高校から筑波大学に進み、2002年から2年間、筑波大学のコーチとして指導に当たった。同期の平川忠亮や石川竜也、羽生直剛らはプロサッカー選手になったが、自身の選手生活は大学で終了。いち早く指導者としての道を切り開く決断をしたのである。

 沖田監督が最初に赴いたJクラブは、大宮アルディージャ。2004年からスタッフの一員となり、当時は三浦俊也監督がトップチームの指揮を執っていた。その体制でチームは同年にJ1初昇格。沖田監督は翌05年から三浦監督の下でコーチを務めることになった。

 ちょうど同じ頃、目に留まったのが、2005年に柏レイソルとの入替戦を制してJ1切符を勝ち取ったヴァンフォーレ甲府。チームを率いる大木武監督の超攻撃的スタイルに敵ながら魅了されたのだという。

 確かにこの年の甲府は、バレーという傑出した点取り屋が最前線に陣取り、藤田健、倉貫一毅、奈須伸也の3人が形成する中盤も華麗。見る者を釘付けにするワクワク感を与えてくれた。 
 
「自分の攻撃サッカーの原点は、甲府の大木さんです。2005年の大宮はJ1残留を目ざしていて、守備からのカウンターで何とか勝点を取ろうとしていました。その傍らでJ2上位を走っていた大木さんのサッカーを見て、『どうしたら、ああいう距離感を取れるのか』『なぜあんなにボールが動くんだろう』と疑問を抱きました。そこが僕の始まりです。

 やっぱり攻撃は面白いし、見ていても楽しい。自分はスカウティングの仕事でいろんなチームのサッカーを見ましたけど、甲府だけはもう別枠(笑)。試合終了間際に小瀬(JITリサイクルインクスタジアム)の照明が落ちた入替戦の1戦目も、もちろん足を運んでいました」と、沖田監督は約20年前の胸のトキメキを改めて語った。

「いつかは大木さんのようなチームを作りたい」と夢を描き、指導者としての経験値を積み重ねていった。2008年には大宮を離れてコンサドーレ札幌へ。そこで12年まで働いた後は、13〜14年にベガルタ仙台へ。そして15年に再び札幌に戻ってきた。

 そこから3年後の2018年、浦和レッズを離れて札幌にやってきたのが、ミハイロ・ペトロヴィッチ(ミシャ)監督だった。

「ミシャさんと一緒に仕事をしたのは、2018〜2024年でしたが、2006年にサンフレッチェ広島に来られた時から『距離感の違うサッカー観だ』と目を見張るものがありました。自分の攻撃的サッカーへの思いがさらに増していったのは確かです。

 大木さんとミシャさんの2つの流れに刺激を受けつつ、2010年代に入ってからバルセロナのペップ(ジョゼップ・グアルディオラ)のサッカーを見て、さらに加わるものがありました。そのへんで自分が今、実践しているような形が考え方として固まりつつあったかなという気がします。

 ミシャさんの下で指導するようになってから特に学んだのは、人間性や監督論ですね。戦術的には広島・浦和を観倒していたので、真新しい所はありませんでしたが、とにかくミシャさんは臨機応変なので、その時々によって様々な変化をつけていくんです。とにかく凄い監督だなという一言に尽きます」と、沖田監督はスケールの大きな指揮官の姿から理想の監督像を思い描いていったようだ。