◆前回までのあらすじ

同棲をはじめたばかりの亮太郎(27)と明里(29)。

交際して一年記念日を迎えたある日、亮太郎は明里の不仲の妹・歌織と連絡を取る。そのことを知った明里は、記念日であるにもかかわらず怒りのあまり亮太郎を寝室から閉め出すのだった。

▶前回:「え、嘘だろ…?」同棲前に彼女の親に挨拶に行ったら、実家が金持ち過ぎて…




Vol.7 連絡<明里>


土曜日の朝目覚めると、すでに太陽は昼の日差しを投げかけていた。

― あっ、亮太郎の朝ごはん…!

いつのまにかすっかり習慣になった朝食作りが頭をよぎり、慌てて布団を撥ね除けたが、しばらく止まったあとにもう一度ベッドに倒れ込む。

ベッドの隣が、冷たく広い。

そういえば亮太郎は、昨晩から帰っていないのだった。

亮太郎が歌織と連絡を取っていたことがわかった1年記念日から、2週間。

モヤモヤが晴れない私はどうしても亮太郎に優しくすることができず、この1LDKの部屋の中には、なんとなく気まずい空気が充満している。

食事作りも続けているし、亮太郎を寝室から閉め出したのは記念日当日だけで、そのあとは一緒のベッドで眠っている。

でも、私の静かな不満を亮太郎も感じ取っているのだろう。体を重ねることはなくなっていた。

もちろん私だって、亮太郎とこのまま気まずい生活を続けたいとは全く思っていない。

けれど、かろうじて表面上は普段通りの生活が送れてしまっているこの状況で、改めて「ごめん」と話を蒸し返すのも良くないのかもしれない。

そんなふうに考えてしまい結局、手も足も出ないままこの1LDKで気まずい時間を過ごしているのだった。

窓から溢れる陽光とシーツに包まれながら、私はぼんやりと考える。

― 今回のことは、完全に私が悪い。


昨日から亮太郎が留守にしている理由は、家族旅行のためだ。

なんでも毎年この時期にはおばあちゃんのお誕生日祝いで、いとこ一家も一緒に温泉旅行にでかけるのが恒例行事になっているのだという。

なんて、なんて仲がいいのだろう。

家族のだれかの誕生日を祝して旅行に出かけるなんて、私の育った家庭ではとても考えられない。

私の旅行の思い出といえば、幼少期のサマースクールやスキースクールにポニーキャンプ。それに高校時代の短期留学くらいだ。お互いに仕事の休みが重ならない両親とは、家族旅行に行くことは難しかった。

そもそも誕生日自体も、ろくにお祝いをした覚えがない。

家族の誕生日にもわざわざ集まらないし、私の誕生日もモノを買ってもらうだけの日で、9歳の誕生日にゴールデンレトリバーのソラをプレゼントしてもらったのが一番の思い出だ。

こんな不仲な家族がこの世に存在すること自体、亮太郎には考えすら及ばないだろう。

私は、家族と、歌織と私との間にある確執について、亮太郎にはっきり伝えたことがない。

それなのに亮太郎に、気持ちを理解してもらえるわけがない。

私たちの間に流れている気まずい空気は、完全に私のせい。




3歳下の妹・歌織のことは、小さい頃から苦手だった。

私と違って、可愛い歌織。甘え上手な歌織。そんな歌織に頼まれれば、断れる人なんて誰もいない。

両親からもらったプレゼントはほとんど、歌織の「いいなぁ」の一言で奪われた。

プレゼントだけが両親から愛されているという証拠だったのに、いくら「いやだ」と言ってもダメだった。

「お姉ちゃんなんだから、譲ってあげればいいじゃないの」

その一言で、全てが歌織のものになった。

お気に入りのぬいぐるみも、ゲームも、髪飾りも、アクセサリーも、全てが歌織のものになっていく。

「また新しいのを買ってあげるわよ」と言われても、それはもう私の大切なものではない。

だけどそれは、両親には理解できないことだったらしい。仕事や体面に関係のないことは、両親にとっても関係のないことなのだ。

思春期になると歌織の要求はエスカレートし、対象はモノ以外にも及んだ。

初めて好きになった人。

初めてお付き合いをした人。

…はじめて、結婚の約束をした人。

みんな歌織のものになった。

一番傷つくのは、奪ったものを歌織がその後、全く大事にしないということだ。

私の宝物はみんな、歌織に弄ばれて、飽きられた。両親の「歌織ちゃんは仕方ないわね」という言葉と共に。

歌織に奪われなかったものは、いくら歌織が「欲しい」と言っても私にだけ懐いてくれたソラと、自ら起業して作り上げた仕事くらいだ。




ソラは虹の橋を渡り、もういない。

今私のそばにいてくれるのは、ソラではなく亮太郎だ。

歌織に対する私の気持ちを亮太郎に話してみようと思ったことは、これまでに何度もある。だけど…。

聞かれてもいないのに、過去の恋愛について話して、不快な想いをさせたら?

あれだけ家族仲のいい亮太郎に、家族の悪口を話して、引かれてしまったら?

両親に何を言っても伝わらない経験ばかりしてきた私には、言いたいことを我慢したまま溜め込んでしまう悪い癖があることは自覚している。

だけど、シンプルに「歌織には女として負けている」と口に出して認めることは、吐き気をもよおすほどに恐ろしい。

それになにより、もしも亮太郎がソラとは違って、歌織に惹かれてしまったら──。

そう考えると私にできる精一杯は、亮太郎をなるべく家族から引き離しておくことだけだった。


ベッドの上で鬱々とそんなことを考えながら、何気なくスマホをいじる。

― なんでだろう。もしかしたら同棲してないほうが、こういう深刻な話ってしやすいのかもしれない…。

何の気なしに亮太郎とのLINEを開くと、そこにはまだ、2ヶ月前の同棲以前のメッセージのやりとりも残っている。

「おはよう」「おやすみ」といった日常の挨拶。

その日あったことや、相手に見せたい面白い光景の写真。

これから先ふたりで行きたい場所や、レストランのURL。

それになにより、日課になっていた通話の跡や、他愛もない雑談や冗談などが、ズラリと並んでいた。

対して同棲が始まってからのやりとりは、まるで業務連絡のような言葉ばかりだ。

『今から帰る』

『今日は遅くなります』

『ごはんいらない』

カラフルだった世界が、一転してモノクロになったみたいに味気なくなっている。

一緒に住んでいるのだから、LINEでするような恋人の話は、直接の会話でするようになったのだろう。

そう思いたいところだけれど実際には、単純に置き換わったような感覚ではない。

同棲して一緒に住んでいるからこそ、軽々しく話題にできないことが増えたのだ。

根深い悩み。相手への不満。

そういったトピックスを軽々しく話題に出したとして、たとえ気まずくなっても毎日の生活は続いていく。

気分を害したからといって、簡単に同棲を中断することなんてできない。

物理的に離れられない環境だからこそ、本音でぶつかることができない。

そんなジレンマに陥るなんて、一緒に暮らし始める前は考えてもみなかった。




そう考えると、亮太郎が旅行に出ているこの週末は、久しぶりにひとりで冷静になれる貴重な機会だった。

― もしかしたら、亮太郎もそうなのかな。私に言いたくても言えないこと、あるのかな…。

そういえば、亮太郎の過去のつらい恋愛について聞いたのも、同棲する前のことだった。

もしも私が、知らずのうちに亮太郎の地雷を踏んでしまっていたら…。

そう考えると、今私がやっているような臭いものに蓋をするようなまねはせず、真っ直ぐに向き合って全てを話し合いたいと思った。

― やっぱり…変な空気になったとしても、ちゃんと話そう。今すでに気まずいんだもん。

はっきりそう決意した私は、指先で弄っていたスマホを握り直し、亮太郎とのLINE画面に向き合った。

けれど、『帰ったら、話そう…』とそこまで文字を打ち込んだ、その時。

反対に亮太郎からLINEメッセージが届いた。

写真付きの、短いメッセージだった。




『旅行楽しいよ!でも、早く明里に会いたいな』

一緒に送られてきた写真には、旅館のテーブルでケーキを囲むご家族と、大きく自撮りに映り込んだ亮太郎の笑顔が映っている。

「…ふふっ」

久しぶりに送られてきた、業務連絡じゃないメッセージ。

それだけで、こんなにも心が温かくなる。

私は途中まで書いていたメッセージをすっかり消すと、もっと素直な気持ちを指先に込めて送信した。

『私も早く会いたい。亮太郎がいないと寂しいよ』

自分のメッセージを送ってしまってからも、私はうっとりと亮太郎からのLINEに見入った。

ソラにも似たこの笑顔を見ていると、思わずジンとしてしまう。

亮太郎には、私の気持ちをちゃんと伝えたい。だけど同時に、この無邪気な笑顔を困らせるようなことをしたくないのも、偽りのない想いだ。

嬉しいこと。悲しいこと。つらいこと。いろんな気持ちを亮太郎と分かち合っていきたいけれど、年下で純粋な亮太郎に、私の歪んだ感覚を背負わせるのはやっぱり違う気もする。

― 亮太郎とこのまま結婚まで行けたら、さすがに歌織に取られるようなこともないし…。

どうやら気まずい空気が霧散した今、私はついさっきまでとは打って変わって、歌織についての黒い感情を吐き出す気をすっかり無くしていた。

旅行中の亮太郎と、長々やりとりする気はない。

すっかり気分も晴れたことだし、せっかくの1人の日曜をどうすごそうか…と思った時だった。ベッドに放り出していたスマホが、再びLINEの通知で震えた。

「もう、いいのに〜」

まんざらでもない気持ちでもう一度スマホを手に取る。けれど、今度のLINEは亮太郎からのものではなかった。

メッセージの冒頭には、黒い隅付きカッコでタイトルが強調されていた。

【同窓会のお知らせ】

私はそのメッセージを見ながら、亮太郎のことを考える。亮太郎の“トラウマ”のことを。

せっかく仲直りしたばっかりなのに。これ…断ったほうが、いいのかな。

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自分のトラウマを亮太郎に伝えられない明里。一方の亮太郎は