どうして法律は「〜してはいけない」と書かないの?中世の武士と現代人で大きく違うその理由

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第二十六章 殺人の罪

(殺人)
第百九十九条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

※刑法(明治四十年法律第四十五号、改正:平成三十年法律第七十二号)より。

いきなり物騒な話で始まりましたが、現代の日本では、人を殺すと「五年以上MAX無期限の懲役か、自分の命=死をもって償う」という末路が待っています。

罪は必ず裁かれる Wikipediaより。

しかし、この条文に違和感を覚えたのは、筆者だけではないはず……そう、この条文は「人を殺したら、これらのペナルティ(刑罰)のどれかを課すからね!」とは言っていますが、「人を殺してはいけませんよ」とは言っていないのです。

あくまで人を殺すか殺さないかは本人の自由意思に任されており、ペナルティは抑止力(犯行をためらわせる要因)にこそなれ、人を殺すこと自体を禁止している訳ではありません。

つまり「最悪死刑になってもいいから、アイツを殺したい!」という決断をした者に対して殺人を止めることが(道義上はともかく、法律上は)出来ないことになってしまいます。

もちろん、そういう人は仮にダメだと言ったところで犯行に及んでしまうものですが、そもそも殺人は基本的に悪いことであり、行為自体を禁じた方がよさそうなものです。

恐らく「自分の行動は自分の意思で決めるべきであり、それを法律で禁じるなんてよくない」という人権思想の結果、「どんなことも禁止はしないよ。でも、社会にとって不都合な行為に対してはペナルティを課すからね」という法理念が生まれたのでしょう。

一方、中世の武士たちはいたってシンプルです。

「時トシテ何(いか)ニ腹立事アリトモ、人ヲ殺害スヘカラス(すべからず)」

※北条重時『六波羅殿御家訓』より。

法律ではありませんが「いいからどんなに腹が立っても、人を殺してはダメなんだ!」という問答無用っぷりです。現代人にしてみれば「(人を殺してはダメなんて)そんな事は当たり前だ」と言いたくなるでしょうが、当時はよほど殺人が多かったのでしょう。

「何だコラ、斬るぞ」血の気が多い武士たち。

諍(いさか)いあれば斬りかかり、侮辱されれば斬りかかり、気に入らなければ斬りかかり……何なら酒に酔っても斬りかかるというアウトローっぷりは、そのエピソードに事欠きません。

こんな連中ですから、殺すなと言っても殺してしまうため、きちんと法律にも刑罰が定められており、鎌倉幕府の基本法『御成敗式目(ごせいばいしきもく)』では殺人について死刑もしくは流刑、加えて全財産没収というペナルティが課せられています。

ちなみに、殺人については連座制(連帯責任)がとられていたようで、明らかに無関係であることが立証できない限り、共犯として同等程度の刑罰が科せられました。

Q.なぜ「人を殺してはいけない」と法律に書かないのか?

A1.現代:そんなの「当たり前」だから
A2.中世:そんなの「書いたところでムダ」だから

結局「人を殺してはいけないよ」という禁止ではなく「殺したらペナルティを課すからね」という法律の趣旨は一緒ですが、現代と中世ではその動機が大きく異なるのでした。

時代によって、やっている事は同じでも、その価値観は大きく違う……こういう差を楽しむのも、歴史を学ぶ醍醐味だと思います。

※参考文献:
石井進ら『中世政治社会思想 上』岩波書店、1994年2月
勝又鎮夫ら『中世の罪と罰』講談社学術文庫、2019年11月
細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社、2012年8月