王貞治氏

写真拡大

■「日本一」の目標が小さく思えた

「野球のことはお任せします。とにかくやるからには日本一になって、そして世界一をめざすチームにしてほしい。望むところはその一点です」

2005年1月、ホークスのソフトバンクへの譲渡が正式に決まったとき、新オーナーとなった孫正義さんは、私にそういいました。ふつう野球界の目標は日本一です。でも孫さんは世界一だという。そういわれて、我々がめざしてきた目標がずいぶん小さなものに思えました。

その後、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開催され、日本代表は初代チャンピオンとなりました。私は監督を務めましたが、世界一をめざすという話は、その前からはっきりいっていたことです。我々のようにプロ野球という狭い世界で生きてきた人間とは、発想する段階のスタート地点が違う。

孫さんが「世界一をめざせ」といった背景には、野球の国際化を進めて、サッカーのワールドカップのような仕組みを整え、そこで厳然たるナンバーワンになれ、という意図が込められていたと思います。日本の野球界には、これまで「世界をめざす」という発想がありませんでした。それは野球界の複雑な構造が影響しています。プロとアマに大きく分かれ、アマも高校や大学、社会人、さらに硬式と軟式などで団体が異なる。サッカーが日本代表を頂点とする日本サッカー協会を中心にまとまっているのとは対照的です。

私を含む多くの野球人は、日本の野球界が一丸となって、世界の野球界に影響力を発揮していくべきだと考えています。しかし具体的にどのようなことを進めればいいのか、というのが難しい。そこで孫さんのように強いリーダーシップを持っている人が、「とにかくこうするんだ」といって先頭に立つことで、まわりが動き、見えなかった課題が見えてくる。すると手が届くようになる。WBCはその第一歩だったと思います。

孫さんには、「自分の信念を持って取り組んでいけば、必ず実現できる」という強い思いがあります。まわりの人たちも、そうした孫さんの実績を認めざるをえないような状況になってきた。今は孫さんがどんどんと進むところを、みんなが支持するようになっていますよね。

野球が、サッカーのワールドカップのような大会を開くのはかなり先になるでしょうけど、そのように本当の意味で野球の世界一を決める大会をつくらなければいけない。そういう方向に向かっていくとき、やはり孫さんの存在というのは、我々野球界にとって、ものすごく大きなものだと思います。

■お金は出すけど口は出さない

もうひとつ、孫さんの言葉で印象に残っているのが、「九州で稼いだお金は、九州で使ってください」というひと言です。

この言葉を聞いて私は、「ああ、この人は本当に野球が好きでオーナーになったのだな」と思いました。孫さんは、お金のために野球をやるという発想をまったく持っていませんね。

しかも孫さんは、「野球のことはお任せします」という言葉の通り、野球の中身に関しては、見事にひと言も口を挟みません。歴代のオーナーで、これだけお金を出して、口を出さない人はいないんじゃないでしょうか。

2011年、秋山幸二監督にバトンタッチして3年目にソフトバンクホークスは念願の日本一となりました。私はクライマックスシリーズから孫さんの隣で観戦していましたが、孫さんは意外にも試合に熱中して、悔しがったり、怒鳴ったりする。とても正直に自分を表現される方だと思いました。そのうえで、最後の最後まで勝利を諦めない姿勢が印象に残っています。

野球はある程度の枠の中で戦っています。12球団で決まったルールと寸法で試合をする。お互いに情報を持ち合い、相手の長所も短所も知り抜いている。自分たちのレベルを上げれば、勝率も上がるという世界です。

一方、ビジネスの世界には枠がない。次から次へと新手が出てくる。正面から挑んでも勝てるとは限りません。僕らの狭い世界とは違います。最後の最後まで勝敗はわからないという意識が強いのかもしれません。

孫さんには「絶対に負けない」という意志の強さがありますが、だからといって人を威圧することはありません。誰にでも好感を持たれる魅力がある。マネジメントで一番難しいのは、人を動かすということです。人をその気にさせるというのは、人間の魅力の最たるもの。決して甘やかすばかりではなく、厳しいこともいうけれど、結局、「よし、じゃあやってみよう」と思わせてしまう。そこが孫さんの魅力でしょう。やっぱり、あの顔を見たらしょうがないね。

----------

王貞治(おう・さだはる)
1940年、東京都生まれ。59年早稲田実業高等学校卒業後、読売巨人軍に入団。73年、74年に2年連続の三冠王。77年、ハンク・アーロンの大リーグ本塁打記録を破る756号を記録、本塁打世界記録達成に対して国民栄誉賞を受賞。80年、現役を引退。84〜88年、読売巨人軍監督(リーグ優勝1回)、95〜2008年福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)監督(リーグ優勝3回、日本一2回)、06年第1回ワールド・ベースボール・クラシック世界大会日本代表監督(初代チャンピオン)。

----------

(山田清機=構成 市来朋久=撮影)