上皇ご夫妻にも「ウラの顔」がある…天皇ご夫妻と比べてわかった「決定的な違い」

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平成の30年間、天皇夫妻(現在の上皇夫妻)と皇太子夫妻(現在の天皇夫妻)の間には、確執が続いていた。菊のカーテンを1枚めくった内側では、ありふれた家庭問題が繰り広げられていたのだ。

平成の終焉』など天皇研究の著書が多数ある政治思想史研究者の原武史氏、『「平成の天皇家」と「令和の天皇家」』が5刷と大ヒットしている共同通信社の大木賢一氏。平成と令和の皇室を知り尽くした2人が、その内幕を語り合った。

原武史(写真左)/1962年、東京都生まれ。明治学院大学名誉教授。1987年から日経新聞に所属し、昭和天皇の最晩年を取材。近著に『日本政治思想史』がある

大木賢一(写真右)/1967年、東京都生まれ。共同通信社メディアセンターデジタル編成部編集委員。1990年に同社に入社し、社会部宮内庁担当などを務めた

「孫を連れてこない」と天皇が異例の苦言

大木:3月下旬から4月にかけて、天皇一家が東日本大震災の被災地を訪問すると報じられています。夫妻の人気は高いので大歓迎を受けると思いますが、天皇と皇后の被災地訪問も、令和になってから少し変化したような気がします。

原:同時に、皇室に対する国民の変化も明らかです。それは2024年の能登半島地震の被災地訪問を見ても感じました。

天皇夫妻が現地を訪れたのは、地震から2ヵ月が経った3月。現在の上皇夫妻であればもっと早く足を運んだはずですが、ネット上では「地震の直後に行くのは自分たちが目立ちたいからで、落ち着いてから入った現天皇夫妻は賢明だった」という声が多くありました。

大木:そもそも平成の天皇家と令和の天皇家では、ものの考え方に大きな違いがあります。私の考えでは、要するに「公としての尊い外面」を重視するか、「個としての素直な気持ち」を尊重するか、という違いだと思っています。

被災地訪問についても、そうした違いが感じられますが、もっと象徴的な出来事がありました。2008年2月、宮内庁長官が定例会見で「愛子さまが御所を訪れる回数が少なく、両陛下が心配している」と、皇太子一家に苦言を呈した事件です。

この発言は長官の一存ではなく、天皇夫妻、つまり現在の上皇夫妻の意を受けたものだった可能性が高いと思っています。当時皇太子だった天皇は、「プライベートなことだから」と多くを語りませんでした。

上皇夫妻は、国民の目に見える外面を何より重視する。だから「息子たちが孫を連れてこないという現状」を放置することができず、長官を通して苦言を呈したのでしょう。

人前では絶対に見せない「裏」の顔

原:皇室には必ず人々の目に触れる「表」の顔と、人々の目に触れない「裏」ないし「奥」の顔があります。現在の上皇夫妻にもそれがあると思っています。

「表」では上皇后が上皇を立てる。必ず上皇の後ろに立って従っている様子を見せ、絶対に「陛下」としか呼ばない。けれども「裏」や「奥」でさまざまなことを差配しているのは、上皇后ではないでしょうか。

大木:「後ろにいるように見えて、実は上皇のひじをつかんでコントロールしている」なんて冗談を言う人もいます。

原:2人の代名詞でもある「平成流」をプロデュースしたのは、間違いなく上皇后です。1961年、当時は皇太子夫妻だった2人が長野県の養護老人ホームを訪れたとき、皇太子妃が膝をついて入居者に声をかけた写真が残っています。自ら国民のほうへ下りて、同じ目の高さで語りかけた。

これをくり返すうちに、1960年代後半になると皇太子も一緒に膝をつくようになった。そのスタイルが、平成になり、被災地への訪問によって知られるようになったのです。

大木:平成の天皇夫妻には、「自分たちは国家を体現している」という強い自負があったように思うんです。訪問先で膝をつくのも、「国家があなたたちの目線まで下りてきていますよ」というメッセージだったとも考えられます。

上皇のスピーチを聞くと、「私」と言いながら自分の言葉で話しているように思えなかったり、そもそも主語が不明瞭だったりすることも多い。こういった特徴も、「国家に成り代わって国民に話している」と考えると腑に落ちます。

上皇后はよく、被災者やボランティアに「無事でいてくれてありがとう」「世話をしてくれてありがとう」と声をかけますが、どのような立場で言っているのかずっと不思議でした。これも国家に成り代わって人々を労っていると考えれば、納得できます。

後編記事『上皇ご夫妻との「すれ違い」、人格否定発言…天皇ご夫妻が「平成に大バッシング」を乗り越えるまで』へ続く

「週刊現代」2026年3月2日号より

【つづきを読む】上皇ご夫妻との「すれ違い」、人格否定発言…天皇ご夫妻が「平成に大バッシング」を乗り越えるまで