「くぅ〜! この味、最高です。じつはジンギスカンが苦手だったんですけど、ここのジンギスカンを食べたら一気に虜になりました」

 この日も川平慈英はハイテンションだった。

 目黒不動尊近くにある「炭火焼ジンギスカン まるひろ」。店のたたずまいは年代を感じさせるが、開店してまだ2カ月。店主は元アパレルメーカー社員で、川平とは20年来のつき合いになる。

「2人でサウナに行き、汗だくになっていたら『会社を辞めてジンギスカン屋をやる』と言われてびっくり。でも、思いましたね、『人間は何歳になってもいろいろできる。可能性はいっぱいあるんだ』って」

 川平は炭火を見つめながら、沖縄で過ごした子供のころを語り始めた。

「僕が住んでいたころの沖縄はまだアメリカでした。母はアメリカ人で、父は日本人。ときにはハーフというだけでいじめられることもありました。だけど、母はいつも『半分(ハーフ)なんて人間はいないのよ。あなたたちは日本とアメリカのW(ダブル)なの』と言っていました。いい言葉ですね、Wって」

 1972年に沖縄は日本復帰。その翌年、父親の仕事の関係で川平一家は東京に移った。

「小学5年生でした。『またいじめられるのかな』と心配していたら、『母ちゃんがアメリカ人? すげー』『英語、しゃべれるの? すげー』さらには『カッコいい』でした」

 サッカー好きだった川平は高校でサッカー部に入部。しかし、ヘディングをしたあとリーゼントヘアを気にする先輩などに落胆した。

 すると、一人の先輩が読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)のユースチームを教えてくれて、川平は門を叩いた。そこには都並敏史、戸塚哲也などのちに日本代表でも活躍する選手がいた。

 川平はツートップの一角を担い、高校2年のときには日本クラブユース選手権で優勝。プロ選手を目指したが、当時の日本にはプロ制度がなかった。そこで「アメリカならプロになれる」と留学を決意した。

「テキサス大学が特待生で迎え入れてくれて、2年生のときには全米ベストイレブンにも選ばれました。しかし、監督が代わり、僕の持ち味を生かせるブラジルサッカーからヨーロッパサッカーになりました。それからは出場回数ゼロ。監督に起用法を聞くと『君は使わない』と宣告され、その夜はチームメイトの友人の前で号泣しました」

「サッカーのモチベーションがガス欠になった」という川平は帰国し、上智大学に編入した。そこで演劇という新たなピッチに立つことになった。

「友人が『慈英、ダンス好きだろ?』と学生英語劇連盟のミュージカル『フェイム』のオーディションがあることを教えてくれました。高校時代、サッカーをやりながらダンスパフォーマンスなどをする『演劇表現部』を作り、文化祭でオリジナルダンスを披露していたんです。

『フェイム』の映画版は大好きな作品なので熱いものがこみあげましたけど、オーディションは翌日。ダメもとで『受けたいんです』と申し込んだら参加させてくださいました」

 川平は『オズの魔法使い』の『ザ・ウィズ』を歌い、審査員の心を揺さぶった。結果は合格。3日間の公演は記録的な観客動員数だった。スタンディングオベーションを受けた川平は「僕が行く道はこれだ。ステージだ。役者だ」と確信した。

 しかし、難題が待ち受けていた。子供を教師にすることを夢見ていた母への説得だった。

「2人の兄はそれぞれ別の道を歩んでいましたから母は僕に期待していました。だから『教師にはならない』と伝えたら泣かれて。初めてですね、母に楯突いたのは。

『ハーフの役者はイロモノにされる』『悪い誘惑もある』と心配されました。でもデビュー2作めが坂東玉三郎さんに抜擢された『ロミオとジュリエット』の舞台。母は大喜びしました。玉三郎さんの大ファンだったんです(笑)」

『フォーエヴァープラッド』に出演する川平慈英

■サッカーがきっかけでニュース番組に抜擢

 川平慈英の名前が全国区になったのはJリーグが開幕した1993年のことだ。『ニュースステーション』(テレビ朝日系)への出演がきっかけだった。しかし川平は当初、出演を躊躇していたという。

「出演していたミュージカルの演出を、司会の久米宏さんが所属するオフィス・トゥー・ワンの方が担当していたんです。僕がウオーミングアップでボールリフティングをしているところをご覧になり『サッカー、好きなの?』と興味を持ってくださいました。『好きなんてもんじゃないですよ』とサッカー愛を語ったことから推薦してくださったようです。

 でも、話を聞いたとき生意気にも『いやいや、僕は役者です。どうしてニュース番組に出るんですか』と思いました。

 すると兄のジョン(・カビラ)が『慈英、よく考えろ。これは表現者であるお前を多くの方に知っていただくチャンスなんだ』とアドバイスしてくれました」

 Jリーグ開幕からおよそ11年、川平は『ニュースステーション』でサッカーを熱くナビゲートした。

「番組もサッカーコーナー作りは経験がなく試行錯誤。ボールの弾道を七色にするなど僕の意見も取り入れてくれて楽しかったです。(決め台詞の)『いいんです!』は、ジョンの口癖です。『ビールもう一杯いいかな』『いいんです!』という川平家の日常会話です(笑)。

 出演させていただいて本当に感謝しています。サッカーファンが『慈英は役者なのか。舞台も観てみたいな』となり、役者の僕を知っている方は『サッカーの試合、おもしろそうだな』と言ってくださいました。神様はこのために僕を出演させたのかなと思いました」

 5月14日からミュージカル『フォーエヴァープラッド』の舞台が始まる。2013年に日本で初演された本作は、2020年に再々演される予定だったがコロナ禍で中止になった。

「今回がファイナル公演です。僕が演じる高校生のフランシスがジンクス(長野博)、スパーキー(松岡充)、スマッジ(鈴木壮麻)と出会い、コーラスグループ『フォーエヴァープラッド』を結成します。

 しかし、ショーの直前に事故で全員が亡くなります。でも4人は夢をかなえるためこの世にとどまり一度だけのライブをすることに。これ以上話すとネタバレになりますのでごめんなさい。歌は23曲披露します。お楽しみに、くぅ〜!」

 顔をくしゃくしゃにした川平は今年60歳になる。「ますます幼児化しています」と笑うが、100作品以上の舞台を経験してきたからこその深い言葉が聞けた。

「舞台はお客さまと役者の幸せの共有だと思っています。そう思えるようになったのは50歳を過ぎてから。それまでは『失敗しないように』とか『いい演技をしなくちゃ』と気負っていましたが、自分に足りないところは素直に受け入れて『作品や音楽に身をまかせればいい』と思うようになったら肩の力が抜けました」

 その心境を川平は「沖縄の言葉で『てーげー』ですね」と表現した。意味は「ほどほどに」だ。

かびらじぇい
1962年9月23日生まれ 沖縄県出身 1986年、スーパーロックミュージカル『MONKEY』でデビュー。その後も『ショーガール』『ビッグ・フィッシュ』『フェイクスピア』など舞台を中心に活躍。ドラマ『ちゅらさん』、映画『THE 有頂天ホテル』『記憶にございません!』などにも出演

【炭火焼ジンギスカン まるひろ】
住所/東京都目黒区下目黒3-8-1
営業時間/17:30〜22:00(要予約)
定休日/日曜
※新型コロナウイルス感染拡大の状況により、営業時間・定休日が記載と異なる場合があります

※『フォーエヴァープラッド』は5月14〜31日(よみうり大手町ホール)、6月30日(有楽町よみうりホール)に上演予定

写真・野澤亘伸
スタイリスト・関恵美子
ヘアメイク・森川英展