「これは単なるレトロブームではない」昭和なネオンサインが海外で再評価され始めたワケ

■街から懐かしいネオンが消え、新たなネオンが灯る
この2年間、私は東京周辺に点在する、ネオンのある風景を撮影して歩いた。LEDの普及によって、かつて日本中を彩ってきたネオン管を使う看板は、この15年で急速に消滅していると聞いたからだ。
撮影をはじめると、長年、街を照らしてきたネオンが消えていく一方、ここ数年でオープンした店舗の多くにネオンの看板が使われていた。その流れはコロナ禍でさらに加速していった。私は街から懐かしいネオンが消え、新たなネオンが灯る現象を目撃することになった。
今現在、店先にネオンサインを掲げる新しく開店した店舗が東京、関西を中心に、急増している。若者の街、渋谷の109や、PARCOを歩けば、多くの店でネオンやネオン風LEDを使った店名サインや装飾が店内を彩っているのを見ることが出来る。
ネオンブームのきっかけの一つに、韓国での「ニュートロ」と呼ばれるトレンドが日本に伝わったからとも言われている。ニュートロとは『NEW』と『RETRO』を組み合わせた造語で、『新しい懐かしさ』とでも訳すといいだろう。
単なるレトロブームではなく、かつてあったものを現代において新しく解釈し直すことで、多くの韓国の若者に受け入れられた。このブームの中、韓国では飲食店を中心にネオンを使う店舗が増え続けている。
■ネオンブームには、全く気付いていなかった
ファッションでは強い発色の蛍光のネオンカラーが世界的に流行し、2019年のパリコレでは多くのトップブランドが採用し話題となった。近年の日韓のファッションシーンでもネオンカラーは流行色であり続けている。
音楽では、5年程前から80、90年代の日本のシティポップが欧米で人気となり、それが韓国にも伝わり音楽の一つのトレンドとなっている。2019年のK-POPのヒット曲に、韓国で活躍する日本人歌手YUKIKAが歌った『NEON』がある。
日本人歌手が韓国で80年代風のシティポップを韓国語で歌ったこの曲は、日韓両国の若者たちの流行の相関性を象徴していると言えるのではないだろうか。
写真家の性か、個人の嗜好か、私は移りゆく時代の中で社会から消えていきつつあるものに、目を向けてしまう志向がある。
私自身、ネオンブームがやってきていることには、全く気付いてはいなかった。ネオンを意識するようになったきっかけは、今から2年前、ある編集者からネオンの写真を撮ってみませんか、と誘われたからだった。
街からネオンは消えつつあるが、ネオン制作の技術を継承していくために新たなムーブメントを起こしている人達がいる。それを写真に残しませんかと。その活動と共にネオンと言えば関西なので、関西のネオンを撮りにいきましょう、という誘いだった。
■「東京のネオン」を写真に残すということ
当時、私は東京の下町に住んでおり、東京下町から消えつつある昭和的風景を撮影し続けていた。その撮影では建築撮影で多用されるシフトレンズを使っていた。

そのレンズを使う場合はきっちり三脚を構えて撮るのがセオリーだが、近年進化が著しいミラーレスカメラを使うことで、手持ちでもピント合わせが容易になり、スナップ感覚で撮影出来るようになった。
私がネオンを撮るのであれば、遠く土地勘のない関西ではなく、東京周辺のネオンのある風景を撮ってみたい。ネオンの撮影でも、東京下町で続けてきた手法で東京の風景を捉えてみると、新しいものが見えてくるのではないか。
ネオンのことを知るようになったばかりにも拘らず、東京周辺の街からネオンが消えてしまう前に、自分が写真に残さねばならない。そんな即席で出来あがった使命感にかられ、私のネオン撮影ははじまった。
■世界中から注目を集めたカジノのネオン照明
ネオンのはじまりは1898年。イギリスの化学者ウィリアム・ラムゼーによって大気中に極微量に存在するガスが発見され、『新しい何か』を意味する『NEON』と名付けられる。
1910年、フランスの科学者であったジョルジュ・クロードによってネオン管が発明された。彼はネオンガスを封入したガラス管の両端を繋いで放電すると、発光することを発見した。
同時に、ネオンガス、アルゴンガスを封入し、塗装したガラス管を利用すると、色々な色に発光することも発見する。現代におけるネオン制作の原理のほとんどはクロードによって発明された。
1912年、その新発見はパリ万博で公開される。それまでの広告照明は白熱電球が主流で、小さな電球を並べるだけで表現の幅も限られていた。ネオン管は高い光量の割には光質が柔らかく、線で発光し、どのような色でも表現出来るため、広告照明として一気に普及していった。
1920年代、アメリカ、ラスベガスでネオンが積極的に利用されるようになり、煌びやかで斬新なカジノのネオン照明は世界中から注目を集めた。
ネオンサインが日本にはじめて出現したのは1918年、銀座タニザワとして現在でもその名が残る、谷沢カバン店の店頭と言われている。それは1mの長さの赤色ネオン管3本を、ただ直列につないだ、至ってシンプルなものであった。
戦前のネオンの普及は小規模のカフェやバーなどに始まり、徐々にキャバレーなどの大型店でも採用されるようになり、次いで一般企業の広告にも使われるようになった。
戦後、壊滅状態となった都市部では電力不足が続いたが、電力事情が好転した1949年にやっとネオンが解禁となり、銀座四丁目交差点を中心にビルの屋上に企業のネオンサインが灯りはじめた。ネオンは戦後の好景気と共に、各地の都市を照らし続けていくこととなった。
バブル崩壊後もネオンは変わらず、主な広告照明として使用されてきたが、2000年代初頭に誕生したLEDの普及によって、急速にネオン需要は縮小していった。その流れは震災後の電力不足を端緒とした政府によるLED普及の推進によって、さらに加速していった。
■10代20代の若者がシェアするオリジナルネオン
かつての大手ネオン制作会社アオイネオンの荻野隆さんによると、15年前まで、会社の売上の多くを締めていたネオンの売上は、予想を上回るスピードで減少していき、現在では1%未満まで下がっているそうだ。4人いた職人も今は1人になっている。

技術習得にかかる時間もネオンではかなりの年数を要し、職人の数が減った分、技術の継承が難しくなっている現状がある。アオイネオンのネオン職人、横山幸宜さんによると、ガラス管にガスをきちんと入れられるようになるまでには、特に鍛錬が必要で、それには10年の時間がかかるという。
今、東京タワーで開催され話題を呼んでいる『大ネオン展』の仕掛け人が、上に挙げた、アオイネオンの荻野隆さんだ。彼は、最後に残った職人の技巧を衰えさせないためにも、ネオン制作における新たな分野を開拓していった。
2018年からアーティストに無償で作品を制作する活動をはじめ、電気グルーヴの石野卓球さんなどにオリジナルネオンを提供し話題を呼んだ。またネオンを使った作品を制作するアーティストに参加を呼びかけ、去年から『大ネオン展』を各地で開催している。
12月現在、来年の1月6日までは、東京タワーで開催され、連日多くの10代20代の若者が集まり、インスタ上に参加アーティストの作品がシェアされ続けている。
今回の『大ネオン展』にも参加している、はらわたちゅん子さんは近年多くのブランドとコラボレーションしており、今年10月に台湾にオープンしたユニクロ全球旗艦店では、彼女が描いたネオン画が店内に埋めつくされている。日本のネオンブームは海外にまで拡まりつつあるのだ。
■新しい世代のネオンは単色で柔らかな字体に
ネオンに関する知識は後付けで、ネオンのネの字も知らない私であったが、2年前から、私のネオン探索の日々がはじまった。同行してもらえる日には前述の編集者も一緒に、いろんな街でネオンを探した。はじめの頃は、ネオン風LEDを、ネオンと間違えることも度々だった。
今はLEDを精巧にネオンに似せているものもある。だが、慣れてくるとドットで直線的なLEDの光と、ガラス管の中で柔らかく拡散されたネオン管から発せられる光の質の違いに気付き、その優しく温かい光に魅了されていった。

そして昨年春、この撮影をはじめてまもなく、街はコロナ禍に見舞われていった。ネオンを灯してきた多くの店が休業廃業に追い込まれていく様をみた。ネオンがあることをネットで検索して訪れた店の中には、直前に廃業していた店も少なくなかった。撤去された壁に、長年のネオンの発熱で煤けた壁の痕を見つけ、心が痛んだ。
そのたびにかつてあった賑わいを想像し、やり場のない気持ちに包まれたのを覚えている。私自身、普段は人物撮影を中心に活動しており、対面でしか撮影が成立しないため、一時は全く仕事がなくなっていた。街々で起こっていた事は決して他人事とは思えず、一層ネオン撮影に力が入った。
そして、街の様相が変わりはじめたのに気付いたのは、今年に入ってからだった。
飲食店に限らず、もともと比較的新しい店舗にネオンサインを採用している店は多かったが、閉店廃業した空き店舗を居抜きで借り受け、新規でオープンした多くの店に、また新たなネオンが灯りはじめるのを見た。
昔のネオンが多くの色を使用し存在を強く主張するものが多いのに対して、新しい世代のネオンは単色で柔らかな字体のものが多く、周辺環境への配慮を感じるところに、時代意識の変化を感じた。
日本で唯一、ネオン管の材料を制作しているメーカーさんによると、かつて会社の主力は、屋上塔屋などの大規模なネオンで使われる14ミリの太さのネオン管だったが、震災後、その14ミリ管の発注は極端に減った。
■街が、ネオンの灯りに求めたのは何か
一方、ネットやSNSの発達によって、ネオン管の魅力を知った個人店主が、ネオン工房を自分で探して発注するようになり、店内や小規模店舗用に良く使わる10ミリ管の需要が、ここ数年で一気に増加している。それは震災前の10倍近いという。

企業からの依頼は減ったが、個人店からの発注が増え、人気のあるネオン工房は今活況を呈しており、SNSで熱狂的に支持されるネオン職人もいる。新たな店舗でSNSに投稿されたネオンが客を呼び、客が店に集うことで、また新たなネオンを生み出している。
このネオンの撮影では、消えゆく時代の残り香を追いかけていたら、新しい時代を撮影することになった、という不思議な感覚があった。レトロブームというのは、単なる懐古主義ではなく、時代の変遷を意識しながら、歴史の積み重ねを受け取り、今を生きるということなのかもしれない。
ネオンが灯る夜の街も、我々の都市の一部であることに何の変わりはない。ネオンが灯す光が世代を超えて今また、なぜ人々を魅了するのか。疲弊した街が、ネオンの灯りに求めたのは何だったのか。そのことを、コロナと共に生きる街を歩きながら、ぜひ一緒に考えて頂きたい。
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中村 治(なかむら・おさむ)
写真家
広島生まれ。成蹊大学文学部卒業。ロイター通信社北京支局で現地通信員として写真を撮ることからフォトグラファーのキャリアをスタートし、雑誌社カメラマンを経て、ポートレート撮影の第一人者、坂田栄一郎に5年間師事。2006年独立し、広告雑誌等でポートレート撮影を中心に活動している。
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(写真家 中村 治)
